会員さまの寄稿 独身(50代 男性 離婚)③

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馴染めぬ入院生活

馴染めぬ入院生活

昨年 10 月、緊急手術したのが S 医大脳外科。
その1ヵ月後、脳外科のお世話になった看護師二人に付き添われエレベーターで階上の内科病棟に転科。病室に着き看護師と固い握手をして別れたが一人になると心細さでいっぱいなる。

外科病棟は患者も看護師も比較的明るい雰囲気であったが、内科のフロアに足を踏み入れた瞬間なんとも言えない雰囲気が漂っていた。
わたしより年配の患者が点滴をぶら下げ帽子を被って歩いている。
深夜眠れない時エレベータホールで時間を潰していると何度かベット毎エレベーターで運ばれて行くのを目撃した。

「エラい処に来ちゃったな・・・」
ほとんどの時間ベッドに寝ている状態だったが無為な時間を過ごしたくなかった。
いろいろ考えたが結果本を読むことにしようと。

本屋さんには行けないので読みたい本はネットで注文して読んだ。
おそらく我が人生の中で一番本を読んだ時期となったと思う。
わたしはあまり社交的なタイプではない。同室の患者とも必要なこと以外話をすることはなかった。

でもいろいろと訊いてくる。
何の病気?
お仕事は?
ご家族は?
出身は?

わたしのために何をしてくれるという訳ではなく、みな好奇心からくる質問ばかり。
噂が広がるのが嫌だったので、その度に話をはぐらかすが当然のように孤立化していった。

病室は6人部屋で薄いカーテン一枚隔て隣に患者が寝ている。
夜になると眠れないのかカーテン越しにじっと息を潜めているのがヒシヒシと感じる。

これがかなりのストレスとなった。毎晩3錠の眠剤を飲んでやっと眠りに就くという生活が長く続く。
看護師・患者・親類との人間関係、不眠、子供、仕事、、、
病気以外に闘うものが大き過ぎた。


人間関係の中で家族が一番難しいのかもしれません

今月は例年に比べ気温が低く、外で遊ぶには儘(まま)ならない日々が続いていましたが、ここにきて漸く暖かくなってきました。
先日は久方振りに藻岩山を登ってきました。
登っている間はとてもきついですが、頂上から札幌市内を一望するとそのきつさも吹っ飛びます。
辛いけど最高です。
私は母親と同居しています。
すでに耳も遠く軽度の認知症ですが、家族の世話をしようと無理に頑張ってくれています。
しかし、料理はほぼ毎日同じ食材を焼くか煮るだけです。さすがに辟易している状態です。
次第に母の料理は食べなくなります。
料理はしなくていいと言っているのですが、中々聞き入れてくれません。
今、姉妹がデイケアに誘ってくれています。
でも、中々一筋縄ではいきません。
もしかして、人間関係の中で家族が一番難しいのかもしれませんね。


息子との再会

息子との再会

妻が離婚を急ぐ理由はある程度察しはついた。
しかし、その事とは関係なしに病院の準備他一切を自分でやらなければいけない。
まあ、もともと期待はしていなかったが。

10 月上旬に手術後、入院は長期に及んだ。
もしかしたら、このまま病院から元気な身体で退院できないのではという厭な思いが駆け巡る。
入院した時は病院の周りの木も青々としていたが、初雪が降りクリスマスも過ぎお正月を迎えようとしていた時に思いがけず一時退院を許される。

この時主治医に言われたのは、「二人の子供に会ってきなさい」と。
娘とは会うことは叶わなかったが、息子は大学卒業後、仙台勤務となっている。

帰札の折、正月の 2 日に会うことが決まった。
待ち合わせ場所に少し遅れてきた息子。
4 年前に会って以来だったが当時とちっとも変わっていなかった。

しかし、わたしの姿を見て漸く事態を悟ったようだ。
二人とも暫く無言でただ涙を流していた。
その後息子は仕事の話を一所懸命わたしに話してきた。
やはり仕事の話は親父に聞いてもらいたいのであろう。
わたしは、とにかく真面目に仕事を頑張れとだけ伝えた。
最後は地下鉄の駅で握手して別れたが何も話せなかった。
息子は最後までわたしの健康を案じてくれた。
そして次また絶対に会いに来るからと。

おそらく、つづく


一方的に提出された離婚届

一方的に提出された離婚届

札幌への転勤が決まった 3 月、あの大震災が起きてしまう。
オフィスの窓が地面に迫り来るような恐怖を感じる。
その後テレビに映し出された映画のような惨(むご) い映像。
仕事も生活も何もかもが非現実的で精神的にも負担が掛かる。

4 月、震災のどさくさに紛れ逃げるように札幌に戻る。
もちろん札幌に戻ってもこなさなければ問題が山積み。
漸く仕事も心も安定してきた 7 月下旬に協議離婚の内容がほぼ合意に至る。
わたしなりに「子を生んでもらった恩」「子を育ててもらった恩」に対し妻に精一杯の誠意を示したつもり。
その後わたしは積極的に動く。

趣味である文化サークルへの入会、フットサルチームへの参加、駅伝大会への参加とできるだけ孤独から避けようと努力した。
そんな 8 月の出勤前の朝、時計代わりに点けていた NHK ニュースでしゃぼん玉ノートを偶然見た。
というより途中から食い入るように見入ってしまう。
すぐにでも入会したかったが妻との離婚はまだ成立していない。
後でネットで検索すればいいと思い「しゃぼん玉ノート」というキーワードだけを頭に入れておいた。

9 月に入り身体に変調をきたす。
下旬には手足が痺れ朝ベッドから起き上がれない状態になる。
止むを得ず妻に離婚届けの提出を先延ばしにしてもらうことに。院はいろいろなと
ころに通ったが状態は変わらず、誤診誤診の連続で最後に辿り着いたのが S 医大。
10 月上旬に入院後すぐに緊急手術。
しかし、その前日、 離婚届は強引に提出されていた。

つづく


喜びや、悲しみを共感できる方とめぐり合えれば

4 月の非会員説明会に参加して人数の多さにビックリ!
その雰囲気は自分にはチョット違うな、なんか馴染めないかなぁと感じましたが、代表の話を聞いているうちに、無理して合わせなくてもいいんだ、自分のペースで参加すればいいんだと言うことを聞かされ、自分も参加できるかなぁと思うようになり決めました。
私は今、仕事も休みもそれなりに充実しています。
特に私は、身体を動かすことが好きなので休日はゴルフやウォーキング、スキーなどで遊んでいます。
しかし、子供も成人しており、いつ私の元を巣立っていってもおかしくないので、巣立っていってしまうと私はどうしようもなく寂しくなるのは明らかです。
娘には早く良い人を見つけなさいと後押しされる始末なので、「お独り様会」に入会しようと思っていると伝えると喜んでいました。
色々な方と出会い、お話することは自分にとってプラスになると考えています。
そこで喜びや、悲しみを共感できる方とめぐり合えればこの上ないと思います。
このように元気で過ごしている私ですが、当座困っていることがあります。
それは、「ライオンキング」を見に行きたいと思っているのですが、一緒に行ってくれる人がいません。ただ今、娘を説得している最中です。
こんな私ですが、皆さまこれから宜しくお願いいたします。


お互いに理解しあえる伴侶が、残りの人生必要と思い

別居してから 12 年がたち、彼女は数年前から別の男性と同棲状態となり、4 人の子供たちも成人と相成り、お互いこの辺でという事で除籍しました。
しかしながら離婚から 3 ヵ月がたち急に寂しさがこみ上げて・・・
やはりお互いに理解しあえる伴侶が、残りの人生必要と思い入会しました。
~先妻の悩みに今頃気がついても~
もう同じ過ちはしたくない。
私も深い傷を負ったから・・・


妻との確執

妻との確執

わたしが首都圏に単身赴任中に決定的なことが起きてしまう。
札幌に帰郷する度に妻の愛情は薄れていった。
なぜだかわからないが妻がわたしを避けるような雰囲気を感じた。

だが男の影は見えない。以前にも小さな喧嘩はあった。
互いの実家に行ったとき、帰りの車の中ではいつも言い争いが絶えなかった。
結婚は家と家との付き合いなのでどうしても習慣・考えなどが違うが、どちらかが妥協するしかないと思う。

お盆のある暑い日、わたしは結婚してから今までの不満を妻に何時間も話した。
お互いに泣いていた。そして、どうしても埋めることができない溝ができてしまう。
首都圏に戻りわたしは後悔したが、どうしようもない。

結果、妻もわたしも心に大きな傷を負い精神科にかかることになる。
わたしは休みの日は朝から酒に溺れる。心が壊れていたのでどうしようもなかった。
この状態での仕事は正直きつかったがなんとかこなしていた。
だが精神科で告げられた病名は「アルコール依存症」。
いわゆる「アル中」。かなりショックだった。

その病院で紹介されたのがAA(アルコホーリクス・アノニマス)というサークルで、日本で言う断酒会といったところだろうか。
とにかく集会に参加しいろんな方の話を黙って聞いていたが知らず知らずのうちに涙がこぼれた。
そしてこの会である人と出会いわたしは救われる。
結局2年間この会に出席し、その間断酒に成功した。

その他にもジムに通ったりと、とにかく自分から動き、たくさんの人に助けてもらいながらわたしはなんとか立ち直ることができた。
だが妻との離婚調停は着実に進んでいた。


わいわいするのは大好きです

離婚してから 20 年、彼氏らしい彼氏も出来ず、もう 50 代となりました。
30代の頃、父に聞いた事があります。
「ねぇ 60 代になるのにどうだった?遅かった?早かった?」。
返ってきた言葉が「あっという間だ」でした。
自分がその年齢に近づいてきて、やはり思います。あっという間だと・・・年々早くなる一方です。
私はある会社の事務員としてパートですが働いています。
会社と自宅の毎日で、なにかしようと思いながらここまできてしまいました。
旅行が好きなので、たまにはでかけます。
後は親の老後の面倒を見るだけかな?なんて思えてきて、人生なんだったのだろうと思っています。
皆さんと会ってワイワイすれば、気持ちはポジティブになれるかなと思い応募しました。
わいわいするのは大好きです。ただ周りにそういう人がいないだけ・・・
宜しくお願いします。


スティーブ・ジョブスが昨年亡くなりました

初めまして。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブスが昨年亡くなりました。
56 歳です。彼は、私と同じ年です。(正確に言うと私の方が1か月ちょっと早いですが)
Mac と出会ったのは今から 20 年ほど前です。
そのデザイン性、使いやすさに驚いた事を今でも思い出します。
後年、彼の設計思想を知り、彼が何を目指していたのか少し分かりました。
ちなみに、今使っている MacAir で 9 台目になります。
さて、昨年 3 月、世界の人々に大きなショックを与えた東日本大震災が起こりました。
実は、私は 18 歳までその「気仙沼」に住んでおり、この震災で多くの友人、知人、親戚の人を亡くしました。
豊かな恵みを与えてくれる三陸の海は、過酷な自然の現実をこんな形で示した訳です。
それ以来、皆さんもそうでしょうけど、人とのつながりの大切さを考える毎日です。
今回この「お独り様会」に入ろうと思ったのは、このまま一人でいるのは「自然」じゃないよなー、と思い始めたからです。
機会があれば、 OFF 会にも参加しますので、これをご縁に、これからもよろしくお願いいたします。


熟年離婚をまさか自分が経験するとは

妻との離婚が成立したのは入院する一日前。(H23年10月)
わたしが単身赴任中に夫婦関係がこじれ、昨年4札幌に戻ってきてすぐ別居、離婚の話し合いが進められました。
別れた理由は性格の不一致。小さな諍(いさか) いが積み重なり、 最後は互いに妥協せず破局に至りました。
熟年離婚をまさか自分が経験するとは夢にも思っていませんでした。
根本の考えの相違なのでしょう。
「子は鎹(かすが) い」と言いますが、覆水盆に返らず。
現在も独り淋しい生活を送っています。
休日など終日誰とも話さなかったという生活がザラで、鬱になってしまいそう。笑
趣味は、バレーボール・サッカー・漢字でしょうか。
それら自分の想いをブログに綴っています。
今は本を読むことに没頭しており、日々の時間が足りないとつくづく感じる毎日です。
離婚直後ということもあり、残された人生を考えるとやはり不安で、 寂しく過ごしたくありません。
茶飲み友達になっていただける方がおりましたら、どうぞよろしくお願いいたします。


初対面同志とは思えないなごやかな雰囲気の旅になりました

2回目の投稿です、*と申します。
昨年3月に会社を退職し、求職活動を続けてきました。

50代の再就職はことのほか厳しく、学校卒業時の就職やその後の転職に比べてると道内の景気状況と相まって厳しさをひしひしと感じたこの1年でした。
ハローワークで求人情報検索をするのも初めは興味本位で楽しい面もありましたが、何度履歴書を送っても書類選考で落ちてばかりで面接にも進めず、ハローワークに行く度テンションが段々下がっていくのが自分でも判りました。

幸い昨年12月に、民間の就職支援会社の紹介で今までとは別の業界ですが再就職(2 月~)が決まりました。「仕事人間」の悲しい性(さが)なのか、仕事ができることに今はほっとしています。
またこの期間、語学教室(中国語)に通ったり、ボランティアの真似事をしたりしていました。

11 月にはお独り様会に入会し、12月には*さん幹事のオフ会「小樽散策&日帰り温泉ツアー」に少し緊張し札幌駅に集合しましたが、現地ではいっしょに海鮮丼食べたり・ルタオでお茶しながらお話ししたり温泉に入ったり(混浴ではありませんでした!)ととても初対面同志とは思えないなごやかな雰囲気の旅になりました。

又1月21 日には「ボーリングオフ会」に参加、約 10 年ぶりのボーリングを楽しみ、その後の交流会で女性陣のパワーに圧倒されながらも楽しいひと時を過ごしました。

新しい仕事では残念ながら土・日原則出勤なので、これまでの様に行きたいオフ会に好きな時に参加出来なくなるかと思いますが、月1回か夜の会には顔を出させていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします


いろいろ思い出します・・

今年のクリスマスは、本会のパーティーと忘年会で楽しく過ごすことができました。
演奏もさせていただいて過分の経験でした♪
2 年前に京都から来た当時の話をして、いろいろ思い出します・・
☆冬でもマイナスを経験したことがなかったので、まるで高山病にかかったようによく熱を出しました;
☆セイコーマートを怪しいコンビ二だと思って、数ヶ月入りませんでした。(お店の方ごめんなさいг0)
☆住んでいる後志を、今だに“ゴシ”としか読めません:;(国後・択捉は社会科で習ったので読める)
☆交通体系に戸惑いました。
①一般道が高速道路のようで怖かった。
②黄・赤で確実に止まるので怖かった。
(関西は、『青は進め黄色は進め赤は注意して進め』が横行している)。
初めて実物をみた小麦・ライ麦を育ててパンを焼いていけたら幸いです。^^


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