会員さまの寄稿 独身(60代 男性 離婚)③

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検査入院した

10 月中旬に 5 日間だったが検査入院した。
血液検査で数値が良くなかった為だ。
結果は、退院後に病院に出向いて聞き問題はなかった。

誰しも、「自分が、まさか…」と思うものらしく自分も例外ではなかった。
「お独り様」のメル友の方には話しをしたが、友人、知人には話しはしなかったので、当たり前だが、誰も病院には来ない。

4 人部屋で、他の患者さんは奥さん、子供さんなど見舞いに訪れていた。
入院生活は初めてではないが、やはりお独り様を多少感じたものだった。

だんだん歳をとるにつれ、こういう気持ちは強くなってゆくのだろうか。
が、これは人間の避けられない問題。勉強になった。


「収穫の秋!農道を歩き農に感謝」オフ会

10 月 13 日(土)「収穫の秋!農道を歩き農に感謝」オフ会開催しました。
参加者 男性 191 255 426 298(幹事)女性 181 294 306 550。

数日前には少雨覚悟でしたが前日あたりから晴れるのではとの見方も出ていて、当日未明の降雨にもかかわらず朝から白い雲を程よく抱いた晴天、男女 4 名ずつ 8名での出発となりました。
収穫の済んだ田んぼや玉ねぎ畑を見ながらほとんど車の往来のない農道を歩き北長沼水郷公園、夕張川の堤防を経て、予定通り 12 時過ぎに栗山町「小林酒造]到着。

予約してあった工場見学。
新米の時期、新米(新前ともいう)の案内醸(嬢とも書く)の先導で歴史を感じさせる工場見学。
僕としては、一時代前の建築なのでしょう、柱の全然ない広い工場の構造に圧倒されました。

これも予約してあったレストラン「蔵」で昼食。
屋外テラスで鋳物テーブルと椅子でおいしいハンバーグランチや栗山コロッケで楽しい時間を過ごせました。
夕張川の流れの至近に位置するテラスで、なぜかそちらの方向に心惹かれていると栗拾いに皆はまってしまい「?」十年前の子供に還り大収穫でした。
レストランからのお咎めはありませんでした。

帰路はやや古風な風情の農道ルート、後になり先になり、山ブドウにありついたり、農道の急な法面(のりめん)を飛び降りたり奮闘 1 時間半、午後 4 時に出発点えんたく自宅、私設居酒屋「庵森の守」(いおりもりのもり と読んでください)到着。
庭で人参収獲、長薯のむかご取りを体験、居酒屋で参加者から差し入れの焼き菓子、クッキー、せんべい、薪ストーブで沸かした鉄瓶のお湯で淹れたコーヒーとハーブティーで歓談。
先程の栗も薪ストーブの上で焼くことになりました。

庭のナナカマドの古木に出たヒラタケもこの日に合わせたように小ざるいっぱいに採れまして人参、むかごとともにお土産ができました。
秋の一日、通り抜ける風に寒さを感じもしましたが楽しい一日でした。

10 キロ余り歩けたことになりました。
幹事からお礼を申し上げます。


俺、カラスのカー吉です

俺、カラスのカー吉です。
今年 4 月に入会したのですが、その後について少しだけ報告してみます。

ホンの少しだけとはいえ折角勇気を出して入会したのですから何もしないでは意味がないと思い、又また少ししか持っていない勇気をふりしぼって 5 月からあるオフ会に参加したのでした。
そのオフ会は、ウォーキングなどアウトドア中心に活動しているグループです。

ここの連中の殆んどは、昔の武士みたいに本名のほかにハンドルネームとかいう通り名をもっていて、通常それで呼び交わしています。
こんなことに慣れていない自分としては、なんとなくバーチャル世界っぽい感覚でもあります。
自分のような鳥類もいるし、猫族や犬族もいるようです。
花とかギリシャ神話系、その他アナログ仕様のオイラの頭では解明不能、意味不明のややこしい名前とかいろいろ様々です。

そして、ここではウォーキングや登山などといったアウトドアばかりでなく、野球観戦など、ほかにもいろいろ面白い集いもあるのでした。
例えばその一つに、私と同じ鳥類仲間の「あかげら」さんが毎月一回、得意のドラミングよろしく高らかに集合を呼びかける「ナイトウォーク」なる懇親の場があります。
なにやら妙なネーミングのこの集いは、ウォークとはいっても野山や公園などを歩くことはありません。けれど盛り場周辺での、微酔及び酩酊状態の徘徊ウォークは含みます。
要するに飲んだり語り合うのが好きならば参加は誰でも酔い・・あ、イヤ・・誰でもよいそうです。

それやこれやで、それ程熱心にいろいろな集いに参加する方ではないオイラですが、それでもこれまで名前と顔がほぼ(!) 一致する知人が約 30 人位になりました。
女性のほうが若干多いけれど、男女だいたい半々ぐらいです。

つい先日、試しに他のエリアも探訪してみようと、「60 才以上の・・」というちょっぴり癪なタイトルのオフ会に初めて行ってみたのです。
同じ年頃、熟年どうしということもあり、初対面でもすぐ打解け、割と本音に近い実のある語らいができました。
オイラの場合、同じ年頃ばかりだと、どこかお気楽で多少の安心感みたいなようなものがあるようです。このあたり、半熟(!) の方々が相手の場合とは若干、微妙に違うみたいです。(?)

そこでも話題に出たのですが、入会はしたものの、まだどこにも全く顔を出していない方々が大勢いるってことだけどホントですか?
それならいろいろな意味で勿体ないと思いますよ。

昔、チャップリンが言っています。
「オフ会は素晴らしい。恐れの気持ちさえ持たなければ・・。大切なのは勇気だ。創造力だ・・」
( ※ 注 .当 PC は時々、「人生」を「オフ会」と誤変換することがあります )

オイラもオフ会に初参加した時は、やっぱりそれなりに緊張しました。
けれど、やってみたら先輩の皆さん方は意外と気安く、大手を広げて歓迎してくれているような雰囲気でしたよ。
まだどこにも参加されていない皆様方、気楽にご一緒してみませんか?


男性 5 名女性7名で予定通り登山開始

当日、何の疑いもない晴天、集合に迷ったメンバーも出ず(実は通り過ぎてしまった方もいたとか)

男性 5 名女性7名で予定通り登山開始、所要時間の読みはバッチリ。
標高差は 170 メートル余りでしたが意外に登り甲斐のあるコースでした。

見晴らしのポイントは 2 か所あり皆さん楽しんでくださったと思います。
想定外は二つ目のポイント:辻村もと子文学碑を囲む形で自衛隊が災害対策の通信訓練をやっていてものものしい装備の通信用車両が 6 台ほど陣取っていたことです。
ロープでバリケードしていて眺望のできるポイントを通せんぼしていたのですが厚かましく潜り抜け昼食の見張り役の隊員 1 名に敬礼をしてしばしの眺めを楽しみました。

下りは登りと別コースでこれが単調な急斜面(擬木:ぎぼくの踏み段が続く)が山頂直下からしばらく続いていてここを登りにしなくてよかったとの参加者の声がありました。

昼食はメノビレッジ長沼に移動して置戸町の学校給食で知られている佐々木十美さんのレシピのカレー、メノビレッジの全粒粉パン、おまけはパン生地を棒に絡めて焚火で焼く“棒パン:ぼっこパン”で楽しみました。
午後 4 時近くなり解散、皆さん有難うございました。
帰りに温泉に入って行かれた方もおられました。


求めていたものと近いと思い

お独り様になって 3 年が経ちました。
知人から、この会を紹介してもらい、求めていたものと近いと思い早速入会手続きをしました。

現在は、両親から引き継いだアパートの管理をしており、毎日料理にてこずりながらも何とか自炊しています。
旅行と露天風呂が好きなので、道内・国内各地を回りましたが、昨年、私の還暦の誕生日に出航するピースボートという船で 80 日間世界一周をしてきました。

また、ボケ防止を口実にクラスメートや恩師や友人と自宅で麻雀を楽しんでいます。
あとは、読書(退職後 290 冊読破)と美術や世界史などの市民講座にも通っています。
クラスメートなどから押しつけられ、中学・高校・大学・ピースボートのクラス会の幹事をしており、結構忙しくしています。
スポーツはあまり得意ではありませんが、時々ウォーキングやパークゴルフをする程度です。

私は、病院の事務職をしていました。
結婚は職場の政略結婚のようなものだったため、57 歳で退職してから離婚しました。
現在、2 人の娘と 3 人の孫がいます。

今は、元気で旅行などをしていますが、一人での食事が時々寂しくなり、良い人と巡り会えたら一緒に暮らしたいと思っています。
今後の希望は、桜前線とともに北上し、紅葉前線とともに南下する旅行と、大学生の時にオートバイで行った 1 ケ月の日本一周を車での 2 回目、それに南回りの世界一周をしたいと考えています。
また、若いときに行ったグアムでの熱帯魚の美しさを忘れられず、携帯メルアドにも入れているスキューバーダイビングに挑戦したいです。


単調な日常生活に若干の変化を求めて

離婚をして十数年、今年 6 月頃に月刊ボラナビを見て「お独り様会」を知りました。
現在の単調な日常生活に若干の変化を求めて、この度お独り様会に参加させていただくことにしましたので宜しくお願いいたします。


私はただの飲んべいです

一昨年の夏に比べると凌ぎ易い夏ですね、まして北海道はベストサマーの只中、昨年暮れの入会から 4 回目の寄稿となりました。

私にとって月一の楽しみは居酒屋 OF 会、鉄砲数撃ちゃ何とかで、これまでの皆勤賞的 OF 会参加でようやく参加会員諸氏のお顔とお名前が一致するようになって参りました。
とはいえ当初の OF 会参加時は結構緊張していたと記憶しております。

さて話しは 180 度反転しますが・・私はただの飲んべいです。
一昨年離婚するまでは「男子厨房に入らず」の昔ながらの言い伝えを頑なに守り続け、炊飯器のスイッチひとつ押した試しもなく、また卵焼きすら作ったこともありません(ゆで卵は馬鹿な私でも一度だけ経験あり、でも殻をむくと白身も剥けた)、そんな私がこの夏挑戦したこととは・・・。

その前に、私と同じ元会社で昨年退職した A 氏について紹介させていただきます。
彼は退職と同時に奥様を説得し農業を志ました、取敢えず農業のための 2 年間の勉強・実習からのスタートです、土地・農機具借用のため取敢えず 1 千万円は必要経費として資本投入すると申しておりました。
この年にしてこの勇断には関心しました。

それ故彼が研究栽培している野菜栽培には興味がありました。
我々、元会社の東京応援組みのグループで月 1 度の飲み候の折、野菜についての話が弾みひょんなことから試験栽培した野菜を私に試食してほしいとの彼からの話しになり、“OK”したことからこの夏の私の挑戦となった料理研究の始まりです。
それまでの私のレパトリーは冷凍食品オンリー、たとえばピーマンがあればすぐできる 4 分炒めるだけの「チン ジャオ ロウ ス」とか、豆腐があればすぐできる!約3分炒めるだけの「麻婆豆腐」とか、タマネギがあれば○○、ナスがあれば○○etc 兎に角、野菜で料理が決まる ずぼら料理人 でありました。
この夏最初にA氏から立派なキュウリを数本いただき、如何調理していただこうか(レシビを)PC での検索から取り掛かりました・・・実のところレシビを見るのも初めて、食材を始め調味料すら、わからぬ物、多々・・。

そんな時 友軍を思いついたのです、お独り様会での X さんが閃いたので早速質問、丁寧な返答のもと無難に調理し、いただくことができました(お独り様会 有能やでエ)。
それを A 氏に E メールで報告しましたところ、我が妻より研究熱心な食し方、大いに気にいったと数日後再び試験栽培しているゴーヤとズッキーニそしてピーマンを持参して下さいました。
ピーマンは別物としてゴーヤは東京神田で沖縄出身のオーナーの店で度々食していたものの、口にしたことのないズッキーニは如何したものか・・・料理研究は尽きない・・・しゃぼん玉ノートの紙面の関係もあり忘れなければ次回ノートに報告しよう。

ところで「豆腐」は納豆で、「納豆」は豆腐であると云うことはご存知かな?
会員番号 222 が参加する居酒屋、若しくは 40 歳以上の居酒屋での返答を期待しています。


私の家は、三つありました

私の家は、三つありました。
アルコール中毒の父 1 人の家と、母と兄姉妹の生活している家。
私は、祖父母の家で炊事、家事と動物の食事(ニワトリ、ウサギ、ネコ、イヌ)を小学 2 年の夏から、こういう生活が始まりました。
勉強する時間は、2 時間位しか有りませんでした。
中学 1 年の時、祖母が無くなり祖父と 2 人の生活が中学卒業するまで続き、何とかしなくてはと思い、NEC に入社し夜学の工業高校で学ぶことに成りました。
これには親戚の紆余曲折がありました。
工業高校も卒業し、ストレートで工学院大学第二部も合格しました。
そのおかげで 30 年電子、電気の仕事に携ることができました。

夢にまで見た中国

先月、「お独り様会」の掲示板に 6/29~7/2 迄、中国の北京へ行って来たと書き込みをしました。
その折り、「夢にまで見た中国」と形容し、そのオーバー振りにレスを下さった方も多少驚き?の様子でした。
実は、ワタシは 95 年から 03 年まで、前の職場が閉鎖になったのを契機に自分で仕事をやり続けたことがありました。
従業員は雇わず外注に出し、経営者兼小使いの個人会社でしたが。
その時、真っ先に行ったことが5年モノでしたが、パスポートを取得したことでした。
以前、会社では何度か海外旅行を楽しませて貰いましたが、今度は自分で行ってみようと思ったのでした。
5 年のうち、一度や二度くらい旅行は出来るだろうと思ったからです。
が、現実は甘くはなく、仕事を諦めるまでには一度も行くことは叶いませんでした。
そんな経緯があったものですから、「夢にまで…」という表現にもなった次第です。
これからは、年齢的なこともありますし、可能なうちに二度、三度と重ねてゆければいいなと考えております。
前回は「お独り様」でしたが、次回は相方と一緒にとなればこの上ないのでしょうが。


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