会員さまの寄稿 独身(60代 男性 離婚)⑥

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入会にあたって

「入会にあたって」

五木寛之氏の著書「林住期」に、「林住期とは、社会人としての務めを終えた後、すべての人が迎えるもっとも輝かしい第三の人生である」と。そしてそれは人生の真の黄金期・クライマックスであると。

私は今、迎えようとしている。
東日本大震災は人々の意識を大きく変えた。夫婦・家族・地域・仲間等の人と人のつながり、一人より二人、二人より三人、出逢いの中に小さな幸せを見つけ一度しかない自分の人生と向き合い、充実した毎日を送りたい。
今年は辰年、勇ましく天に昇る姿に、良い年になってもらいたいと、近くの神社に行き「去年と違う笑顔が見られますように!」とお願いしてきた。

私は、出かけるのが好きで毎年のように、中国の雲南省へ、また沖縄に。
雲南省には生まれ育った山形の田舎があり、沖縄には美しい海と温かく迎えてくれる島の人がいて心を癒してくれる。

こんなことを思って入会させていただきました。
よろしくお願いいたします。


流転の年月でありました

家族を引き連れての転勤生活、大きな転職、故郷へのUターン、失業保険生活、異業種への再就職、再度の転勤、またもUターン、単身赴任、これらの生活で何とかつないできましたが中年以後の将来に対し設計らしきものを意識できず浮草のような人生でした。
的確な人生設計に基づいて家族を支えていくのが賢い家族のリーダーなのであれば僕は失格だったのです。
しかし、一抹の思いとしては、しばしば妻からくる突き上げのような将来像への具現要求には違和感を覚えたものでした。

再就職での生活が続き、子供たちの教育が終わりに近づいたころから僕の中に自分なりの第 2 の人生に対する漠然とした希望が生まれてきました。
それは、山村あるいは田園地域で古い住宅があり愛犬がいて、来訪者を相手に少ない収入で自然に囲まれて暮らすという一般的な老後設計とはまるで相容れないもので、そこには妻と共生する図式はありませんでしたし、そんな心の一端を家族の中で話しても何を考えているのとの反応だったのは一般的には至極妥当でした。

そうしているうちに、単身赴任の中、定年受け入れ年齢(55 歳)に達し具体的設計のないまま、体調の不安、単身赴任の辛さの蓄積、愛犬の死去などの要因が後押しして退職願を提出、その後 1 年半かかりましたが受理されたのでした。
この時期に至っては、僕と家族間の関係は崩壊寸前でしたがつながる可能性も残してはいました。
しかし、老後将来への想いのギャップ確執は続き、僕もお酒を飲む機会を減らすことができずひとまず別居、結局離婚となりました。

定年退職後の最終局面で、人的つながりから札幌近郊の有機農家とのつながりを得てそこへの作業参加、付帯する里山への係わりという場面が発生、少しの収入にもなり続けていました。
その期間が 5 年を数えここを最後の人生を送る場所として移住を考え手探りしていたところ、願ってもない中古住宅が見つかり昨年 6 月にあの愛犬と重複してはいましたがもう一人の小型犬と移住しました。

流転の年月でありました。
現役のころには夢ではありましたが一つの形として実現するとは半信半疑でした。
ただし今の生活は快適?な老後の都会生活を追い求める方向ではありません。


居酒屋での例会

12月に始めた新企画~事前申し込みなしの居酒屋での例会~の報告です。

12/7は女性2名の来店があり、じっくり三人で意見交換が出来ました。
12/21 は5時半ころからボツリボツリと来店され、結局、あわせて四人(女性三人、男性一人)のお独り様と食事やカラオケを楽しんだ次第・・・話しに夢中になって 11 時近くなったので解散!
1/4 は女性ひとりと結構たのしく語り合い・・・ススキノの夜は冷え込みが厳しかったけど、心はほんわかとなって家路についた。

参加して下さったかたには心から感謝いたします。有り難うございました。


60 歳になったのを機に

60 歳になったのを機に、昨年(2010 年)4月に離婚しました。
「計画的離婚」とでも言いましょうか…(笑)

今では独身生活を満喫しています。
もっと楽しみたいと思い参加しました。


32年余りの夫婦生活にピリオドを打ち

私は、昨年11月に(前)妻との32年余りの夫婦生活にピリオドを打ち、静岡県から北海道へ単身転居して来てこの 10月で64歳になった団塊の世代の一人です。
60歳定年退職後、オーダーがあって少し前の仕事を就業した後、こちらにやって来ました。

今は、年金生活に入ったところです。
前妻との間には、2人の子供(男女)がいてそれぞれ大学を出て社会で働いています。

離婚に至ったのは、妻との間でお互いの考え方の違いや思いと行動で誤解を生んで、生活の中でのコミュニケーションが疎遠になり、結果、円満協議熟年離婚という形になりました。
大人になった子供達も私達の関係に理解し、結果に賛成してくれ、現在に至っています。

離婚後は、子供達とは親子ですからメールやり取りで連絡を取り合っています。
前妻とは、友人という関係を維持しつつ子供のこともあるので、時たま近況等を連絡しあってはいます。

こちらに来てからですが、寒い北海道へ来てとまどいながらも、最初は住宅(中古住宅)のインフラ環境整備や生活の基盤整備でバタバタしながら時を過ごしました。
その間、従来からの趣味の山登りを続けるべくシニアの山登り同好会に入って活動を始めたりしています。
しかしながら、単身生活が若い独身時代の一部を除き経験少なく仕事もリタイアした現在、北海道は寒いし、一抹の寂しさは禁じ得ません。

北海道は出身地でなく(出身地→徳島県)身近に、話し相手や旅行・食事等を共にできる人ができれば良いなあ!と思い始めていました。
そんな時ボラナビ情報誌で”おひとり様会”の存在を知り入会して友人ができれば良いなあ!と考え入会応募したのが参加動機です。
宜しくお願い致します。

”今までは何をやっていたの?”ということですが、主に、電子機器メーカ(Y社-約 34 年、H社-4年余り)のエンジニアとしてAV機器、通信機器、音楽録音機器、CDR等々電子機器の設計・開発・立ち上げ業務に携わってきました。
業務の中で、多くの国内・海外出張経験や貴重な体験をさせてもらい、充実感のある年月を送らせてもらいました。
どちらかというとこの時は、仕事人間だったかなと、これがゆくゆくの離婚原因の一因とは考え反省はしています。

これからの生活ですが、
◇まだ結婚していない子供達の見守りとサポート、そして今のここでの生活に、より身近な関係の話し合える友人をつくりたい。
◇肉体的、精神的健康維持の為にも、山登り・ハイキング等今後も続けたい
◇過去の蓄積した設計技術経験を生かして、損得を度外視した世の中に役に立つものを工夫して考え、個人的に設計をやってみたい

又、ボランティア活動も参加できれば良いなー!等々を考え、実践しつつ、残りの人生を全うしたいと考えています。


今年で還暦になりました

私、今年で還暦になりました。
いろんな趣味をやっていますが、たとえば空手等、またアウトドアが好きで、テントは8はりほど持っています。登山も大好きです。
仕事は自営で 35 年ほど会社を経営しています。これからも、どんどん仕事をしてゆきます。
それで、現在は一人で過ごしています。家は戸建てで、一人には広すぎ、寂しいです。
離婚してから 20 年たちます。これからは、誰か相性のいい方がいればと思って入会を決意しました。
子供はひとり、娘がいますが、別居で医者をしています。
私は、体は丈夫だったのですが、還暦になってからは、多少は馬力がなくなりました。
私の好きな言葉は、「わが敵はわれにあり」です。
800 字って結構つらいですね 仕事の内容は設備系の省エネ器具の製造、販売施工です。
いろいろ特許も取得しており、一応メーカーです。私一人でやっています。
それから、性格は、多分頑固で優しいけど、怖いかもしれません。
あまり細かいことはいいませんが、相性が大事だと思います。
こんな感じでよろしくお願いいたします。


結婚や家庭生活を望んでいなかったのだと思います

私は東区に住む 62 歳の男性です。20代後半に結婚歴がありますが、数年で離婚致しました。
また、40 代の頃にも、さような縁がありましたが、成就しませんでした。
今思えば真から、結婚や家庭生活を望んでいなかったのだと思います。
子供はおりません。
この歳ですので、結婚うんぬんよりも何か新しい人付き合いを望んでおります。
趣味は、最近始めた中国語の会話(未ださっぱりですが)、あと弱いですがお酒を少し飲むくらいでしょうか。
中国語同様、還暦過ぎにギターにも挑戦しましたが、我流でなかなか上達致しません。
もう一つ音楽は嫌いではありません。
もしお仲間に入れましたら宜しくお願い致します。


孤独死を迎えるかも知れない予備軍の一人

昨年夏に神奈川県K市から離婚を契機に長年住み慣れた札幌の地に戻るに当り、民間賃貸住居をインターネットで検索し現在のA区に落着きました。

しかし冬季間における結露が予想以上に酷く、現状の住居からの撤退を考え、安くて環境の良い市営住宅への入居を思いたち、ある時期の入居申込み(事故物件)で入居募集24件中18件もが孤独死物件であること知り、電撃的ショックを受けました。

このことは私も孤独死を迎えるかも知れない予備軍の一人であることを思い知らされましたが、ボラナビ倶楽部の「お独り様会」を知り、会員お独り様それぞれが、この様な現実問題に関しどの様な考え方を持っておられるのか興味を抱きました。

私は結婚して三十余年、仕事柄単身赴任で別居生活はその約1/2を占めておりました。
そんなことから妻そして私も結婚生活の頃からそれぞれ、お独り様であったのかも知れません。
二人で居ることに「わずらわしさ」を感じると妻は申しておりました。
離婚原因は世間でよく言われる性格の不一致でありました。

ただ一つの共通項は国内外を旅行することでありました。
夫婦二人であった一人から、今まさに完全なるお一人様。

現在の生活は地域のシルバーの方々とボランテイアやパークゴルフをして楽しんでいます。
人間一人では生きられない(人間とは人と人との間柄なのですから)。
互いに助け合い、励まし合って前向きに、楽しく愉快に何より健康第一で生活していきたいものです。
文書力の貧困さと口下手を併せ持った私ですが、お独り様会に是非私もまぜて(!)下さい。


親バカ~それから~爺(ジジ)バカ

親バカ~それから~爺(ジジ)バカ
☆親バカ 『愛は勝つ』
娘の名前は愛(私が名付けた)。
今から 20 年前、娘が高校生のとき男性歌手 KAN(カン)が『愛は勝つ』で大ヒットしていて、札幌でライブがあるたびに娘は追っ掛けをしていた!
その夜もある放送局(STV?)で追っ掛けが終わって、私に迎えに来るよう、電話があった。
くるまに乗るなり、娘は「ごめんね。あす早いんでしょう?」と言った。
(当時わたしは 5 時起きの仕事をしていた。)
私は思わず、お前には負けるよ。
これがホントに、愛は勝つだ~と一人ごちた。
☆爺(ジジ)バカ 『二人称単数』
娘の子供(私の孫)は二人(男と女)いる。今回は下の女の子のエピソード。
今年の一月に、私がボランティアをしているリサイクルショップで、ハローキティのこどもの等身大くらいありそうな人形(プラスチック製)をゲットして、早速、孫のところへ持っていった。
一週間後に今度は上の男の子に、喜ばれそうなのが見つかったので、また届けに行った。
居間においてある、くだんのハローキティを見ながら、下の子にわざととぼけて「あっ、これいいなぁ。誰が持ってきたの?」と聞いたら、即、「自分でしょ!」との返答に驚いた。
ひと月前に四歳になったばかりの孫の、なんとも的確すぎる言いあらわしにビックリした。
私も負けずに言葉を駆使できるよう、近く実施される朝日新聞社とベネッセの『語彙・読解力検定試験』に挑戦することにした!


65 才になる誕生日に、この自己紹介を

私の 65 才になる誕生日に、この自己紹介を書いております。
私は東京、下町生まれの下町育ちでしたが仕事の都合にて、現在は埼玉県の三郷市と言う所でUR 団地に一人で住んでおります。
昭和43年23才の時に1ツ年下の女性と結婚致しましたが、1年で離婚をしました。
その後、埼玉県に移り住み現在にいたります。
当初は自炊等をしておりましたが、約40年以上一人で生活をしてますので最近 1~2 年はコンビニ専門です。一人で外食はきらいな人間です。
姉が千葉県におり、妹が東京江戸川区におります。
私の趣味 現在は一人で時々カラオケに行く程度です。生活は年金暮しです。
身長 160cm
体重 52k
血液型 O 型
お酒少々 週一~二度ビール


趣味;楽器演奏ギター&ベース

趣味;楽器演奏ギター&ベース

若い頃、フォ-クソングが大ブ-ムで御多分にもれず私もフォ-クギターを買って練習を始めた。
はやりのジョ-ンバエズやピータ-ポ-ル&マリ-やブラザーズフォ-や岡林信康の曲の弾き語りを、なんども繰り返し練習した。
当時の歌はほんとに詞もメロディーもわかりやすいものが多くて、素人にもとっつきやすかったように思う。

そんなとき、あるアマチュアバンドに誘われた。
こんどはウッドベース(コントラバス)を~と請われてあのフレット(音の区切り)のついてない 4 弦の大型楽器と取り組んだ!
数人でコンボバンドを組んでダンスパーティーの演奏をした。

その後、長じて(高齢になって?)五年ほど前に、参加していたサ-クルがシニアのバンドを立ち上げたのをきっかけに、今度のパートはエレキベース。
ウッドベースとは違い、ピック でも指でも弾けて、フレットのあるわかりやすさに大いに魅了された。

あらためて、しっかりマスターしようと思い、プロの先生について、個人レッスンをうけた。
コンボバンドの他のメンバーは、ドラムもサックスも玄人はだしの人ばかり。
それにつられて、私の下手なベースの音色も少しは聞きやすくなったのは、高性能なアンプ(増幅器)のためか?
アンサンブルという言葉はこの為にある~と感じるほど、演奏した曲がキマッタ時は、快感を覚えたものだ。

最近は時々、部屋で独りさみしく、カセットテープの曲にあわせてボンボコ弾いてる。
秋になり、ジャズ風にアレンジした「枯れ葉よ」をしっかりマスターしなくては~~


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