会員さまの寄稿 独身(70代以上 男性 死別)③

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ブドウ狩りと住居訪問

ブドウ狩りと住居訪問

秋晴の素晴らしい晴天でした。真駒内駅は「札幌マラソン」の参加者であふれていました。
お独り様会の「ブドウ狩り」参加者はバスに乗り浮き浮きした気持ちでブドウ園に向かいました。

ブドウ園では、赤、黒、緑、茶のブドウが葉の影にあるのを見つけては口に入れました。
口の中が酸味で痛くなりました。
本当は、私たちのために囲って残しておいたブドウがあったのですが園長さんとの手違いで案内されず、取り残してしまいました。「ごめんなさい」です。

食事は果樹園の近くにある私の家で会食しました。
「お寿司とお蕎麦のセット」に茶わん蒸しもついて豪華でした。
家庭菜園で摂れたミニトマトや、じゃがいもの塩ゆで、キュウリの辛子漬けもついて賑やかな食卓でした。
「お寿司はまだ温かいね」「みんなで同じものを食べるのは楽しいね」「キュウリの辛子漬けは簡単にできるの?」。
初参加の人もいましたが楽しい笑い声が部屋に響き賑やかな食事会でした。
食後はみんなで手分けをして、きれいに後片付けをしました。

室内ゲームは、百人一首をしました。
木の札を初めてみる人。子供のころによくやった人。カルタ取りなら負けないよ!と自信のある人。さまざまでした。
仮名の崩した文字の読み方を聞きながら、それでも多くの札を取った人は、カルタ取りの楽しさにはまり込んでしまったようです。
「お正月までにまたやりたいね」。
ブドウ狩りの初めての出会いで楽しい仲間作りが出来たようです。


7 年前にクモ膜下出血で

7 年前にクモ膜下出血で、世話になった挨拶を交わす間もなく突然最愛の妻を亡くしました。
3年程落ち込み、その後、徐々に立ち直り、侘しさ解消に努めましたが、時、既に遅しの感で諦めておりました。
それが、昨日のテレビ報道で貴会を知り、何か光明を得たようで、再度、一念発起のため入会させていただきたく思い立ったところでございます。
宜しくお願いいたします。


父の教訓(教え)

父の教訓(教え)

私の父は、幼少のころに父母と死別し、5 人の子供たちは、伯父の家で、伯父の家の 5 人の子供たちと一緒になって育てられたそうです。
年長であった父は、みんなの面倒を見ながら、用事を足したり、お手伝いをしたりで、自分のことは、いつも最後になって苦労が多かったようです。

父は他人には大変優しく親切で面倒見の良い人で、人の世話をして人々から感謝されていました。
この父は、私が大学 4 年の時に 53 才でこの世を去りました。
病弱な母と、在学中の 4 人の子供を残しての旅立ちはさぞ無念の思いだったことと思います。

父の私達子供に対する口癖は、「損して得取れ」「他人のために労を惜しむな」ということでした。
用事を言いつけられて兄弟で押し付け合うと必ずのように「損して得取れの気持ちを持たなければだめだ。他人のために進んで用事を果たすことは、後で必ず良いことがある。仕事をして損をすることはないのだ。」ということを言われました。

今になって振り返ってみると、他人のために仕事をした時に「損なことだ。」と思ってしていたことが後になって多くの人々から感謝されたり、望んでいた難しいことが叶えられたり、得をしたことが多いことに気づかされます。


妹の死

妹の死

朝の連続テレビ「花子とアン」を見ています。
花子の大事な息子「あゆむ」が亡くなった場面を見て、私の妹の死と重なることがたくさんあって、遠い日の哀しみを今のことのように思い出しました。

昭和 16 年 2 月 25 日は、母の誕生日でした。
当時は何もない時代でしたので、誰かの誕生日が、ご馳走がたくさんついて待ち遠しい楽しみな日でした。
みんなの楽しみにしていた母の誕生日に、3歳になった妹は、具合が悪くて、朝から寝たまま休んでおりました。
早く良くなればいいなと、心の中で祈っておりました。

しかし、お昼になっても、夕方になっても、とうとう夜になっても、少しも良くなりませんでした。
お母さんの誕生日は、妹が治ってからするからね、という母の言葉で男兄弟3人は気にしながら、寝床につきました。

次の日の朝、目が覚めた時、母がきて、「妹が死んだのよ。服を着ておいで」と言われて行きました。
妹はきれいな着物を着て帯を締めて、お腹の上に手を組んで静かに目を閉じておりました。
髪は整えられて、顔は、おしろいと口紅で本当にきれいにお化粧されておりました。
きれいなお人形さんのようでした。

「お兄ちゃんたちだよ。わかるの!」 母が声をかけても黙っているだけでした。
医者もいない。薬もない。1 日での死でした。病名は「エキリ」でした。
満州のお寺に預けられた遺骨は、引き揚げの時に持ち帰れませんでした。


日本一周一人旅

今回は私の長年の夢であった「日本一周一人旅」を振り返って書いてみたいと思います。

ただ 4年も前のことで、しかもほとんどメモを取っていなかったため、記憶を頼りに書くこととなりますので実際とは少々違いがあると思われますがお許し下さい。
また、興味のない方にはつまらない内容だとは思いますが我慢して下さい。

平成 22 年 1 月 11 日午後 8 時、私の愛車「日産グロリア」に乗り豊平の自宅を出発する。
この時メーターは 93,223kmを指していた。
天気は薄曇りながらまずまずの条件で北広島インターチェンジから高速に入り一路函館を目指す。
途中、虻田・洞爺を過ぎ豊浦インター辺りから吹雪模様に…、しかし当時の終点だった「落部(おとしべ)」インターを出る頃には陽も差してきた。
津軽海峡フェリーの青森行きは14時ちょうどだから函館市内でゆっくり昼食を摂り、これからの楽しい一人旅を想像しながらのんびりと過ごす。

フェリーは定刻通りに出港、津軽海峡は冬の海とは思えないほどの穏やかさで 16 時過ぎに無事青森港に到着。
下船すると北海道と何も変わらない一面雪景色。

今夜宿泊予定の大鰐(おおわに)温泉をめざし国道 7 号線を南下し、途中ガソリンを給油しながら走っている内にすっかり陽が暮れ、温泉街に到着した 18 時過ぎには駅前にもかかわらずタクシーが一台止まっているだけで殆ど人も車も見当たらない。
しかも一部の商店はもうシャッターを下ろしていて、今夜宿泊できるかどうかだんだん不安になってくる。
ようやく一軒の居酒屋を見つけ夕食を摂ながら宿泊出来そうな所を聞いてみると、親切にもすぐに電話を掛けてくれて近くのホテル「寿実麗(すみれ)」を紹介してくれた。

お礼を言いながら親切な居酒屋をおいとまして、ホテルにチェックインし、温泉に入ってビックリ…
なんと大量のリンゴが湯船に浮かんでいるではないか、さすがにリンゴの名産地津軽だと感心した。
ちなみに一泊朝食付きでの宿泊代は 8,025 円でした。

二日目、ホテルでの朝食後、桜はないが桜の名所「弘前城」を見学してから、「十和田湖」へ向かう。冬の十和田湖は観光客もいなくてひっそりとした、死んだような寂しいだけの湖だった。

国道 7 号から 454 号、そして 102 号の「西十和田いで湯ライン」を経て秋田県鹿角(かづの)市へ入り、さらに 103 号から東北自動車道へ、これを降りて田沢湖に寄り今日の宿泊予定地岩手県盛岡市を目指す。

盛岡は震災前でもありさすが岩手県最大の年で活気もあり、本場の盛岡冷麺を食べながら今夜の宿を探していたら、ビジネスホテル「スーパーホテル盛岡」を見つけ電話すると、当然のことながら問題なく予約が取れる。
宿泊料も一泊 4,980 円と格安であった。

※次号に続く


パイナップルが死んじゃった

パイナップルが死んじゃった

あんなに順調に育っていたのに、甘いパイナップルの香りが待ちどおしい期待のかかった苗でした。
私の一回の管理ミスで、取り返しのつかない結果になってしまいました。
勢いのよいしっかりした葉が二十枚ぐらい育っておりました。

1 階の暖房で温められた部屋の上に当たる二階の部屋が、冬期間の植物類の苗鉢置き場になっておりました。
昼間は南に面した大きな窓から暖かい陽光が照らして室温も上がり植物の待機温度には適温でした。
昼間はいっぱいの太陽の光を受け入れた窓も、夜は窓から冷えないようにと二重にカーテンをかけて、寒さを防ぎました。
朝と夕方の家の見回り、戸締まり、そして、植物の生育に関係のある窓のカーテンの開け閉めが私の仕事、責任でした。

1 月の末ころでした。朝の見回りに植物の部屋を開けた瞬間に、「ドキン!」と胸が高鳴りました。
「ヤッタ!」「寒い!」と思った時はもう手遅れでした。
周りの勢いのよい葉は、どれもびくともしていませんでしたが、中心にあるたった一本の、芯になる柔らかな黄色い芽の色が薄茶色に変わ
っておりました。

第一巻の終わりでした。もう取り返しのつかない失敗でした。
これまでに 3 回ほどパイナップルの結実に成功していたので、油断とおごりがあったのですね。


製本ボランテイア

19 日交流会後、023 番さんから声がかかり近くのビル地下(イタリア風居酒屋とか言っていた)で、なんとなくビールで乾杯。
引き時を考えなくちゃみたいな話、思いのたけを最後の投稿に託して 5 月で退会とのこと。
遡って 3 日の製本ボランテイア、三人揃ったのは 5 カ月ぶり。
やっぱり一人より二人、二人より三人、三人より~がいいですね。

製本作業は、30 分位で終わってしまって、男組三人で、しばし談話(村上さんからの差し入れつまみながら、いつもご馳走さま)すかさず玄米食の宣伝、ところが「玄米など家畜のエサ」という反論にあって一瞬私はたじたじ出鼻をくじかれてしまったが、「玄米食はイイ」と 023 番さんから、助け舟があり、やれやれ絶対 12 回やるぞと内心、また、闘志を湧かせたものです。
製本ボランテイアで玄米食の応援をしてくれた023番さん、「しゃぼんだま」がまた少しさびしくなります。

つい最近、小説「永遠のゼロ」読んだばかり。
二桁ナンバーの会員最後の一人になってしまった。
まあ、なにごとも時があるんでしょう。桜だって。

(良寛さんの句)
散る桜、残る桜も散る桜
会員の皆さん 5 月 10 日は、円山ひな野でお昼をしましょう。


昨年春、妻を癌で失い

昨年春、妻を癌で失い、残された義母(大正 10 年生まれ)と二人で毎日を過ごしています。

与えられた条件の中でも元気に生きなければ…、と思いますが追慕の念も激しく、気が付いてみるといつのまにか「独り身」の毎日です。
若い時の独身と違って、この年になって(私は昭和 16年生まれ)の一人暮らし(正確には義母と二人ですが、気分は一人)はこたえますし、気分も鬱々となります。

一人での食事も味気なく、世の動きや季節にも鈍感になり、このような無気力な自分に腹を立てています。
でも同時に、なんとかこれからの人生を、それなりに有意義に、楽しく、自分らしく、元気に生きていかなければ、とも思っています。

そんな時に道新の「お独り様」の記事を見つけました。
そして先日説明会に行きました。話を聞いて、入会しようと思いました。

どこまで活動できるかわかりませんが、「ゆるやかにつながる」というところが私にあいそうです。
できるかぎり会の活動には参加しようと思います。どうか皆様よろしくお願い致します。


会員交流会

2 月の会員交流会は、大勢の参加者があってとても良かったです。

交流会終了後の感想報告会にも、何人かの会員からその趣旨の発表がありました。
大勢の参加者があることで、最も喜ぶのは、代表や事務局の方で、きっとモチベーションが上がったことと思います。

私は、久し振りの参加で、感ずることもいろいろありました。
座席の円形と指定制は、やはり良かったと思いました。
私は会員番号 759 で、去年の 4 月入会です。
それで 4 月入会の方達は、みんなクラスメートのような親近感を覚えます。
新入会員は、やはりどことなく初々しく、謙虚な様子に見えるし、前年度からの継続会員の方達は、威厳があって頼り甲斐がありそうに見えました。

製本ボランティアについてですが、参加者が少ないです。
12 月 2 人、1 月 1 人、2 月 1 人、3 月2 人、最近数ヶ月の状況です。
12月は771番さんと2人。
作業しながらしゃべり続けて、時々製本組順を間違えては、組み直しをするようなこともあり、それはそれでまた、楽しくもあり良い時間を持たせていただいたことに感謝しています。
1・2月は、事務局村上さんと2人きりでしたから、いろんな話をしながら、それでも作業の手を休めず、予定時間内に終了することができました。
でも、以前は、いつも 4、5 人はボランティアの方が参加していて、今にして思えば「製本作業オフ会」だったんです。
また以前のように、作業が終わってから、お茶に流れたり、皆さんの参加ご協力を期待します。

また、私は、食べ歩き昼食オフ会を 4 月から企画しています。
毎月 1 回、店選びは、毎月の会員交流会のグループの話し合いで決めたいと思っています。
「玄米食・健康食・自然食・地産地消」を選定方針とします。
玄米食を食べてみたいという方、健康食に興味のある方、食べ歩きが好きな会員の皆さんと一緒に楽しみたいと思っています。
ぜひ、皆さん参加してください。


バリアフリーの家を新築したのですが

妻、平成 20 年 12 月 23 日病気のため死亡。
バリアフリーの家を新築したのですが、残念ながら亡くなり、現在は、一人で住んでいる。
入会して、会員交流会などで、皆さん方といろいろお話しして、元気になれればと思い、会に参加させてもらうことにしました。


私の趣味について少し書いてみようと思います

今回は私の趣味について少し書いてみようと思います。
子供のころは「巨人」「大鵬」「卵焼き」の時代ですから相撲と野球の他スキー、スケート等でした。
それから高校生の時にゴルフのキャディのアルバイトをしたことで、社会人になってしばらくしてから、当時はまだ贅沢と言われていたゴルフを始めました。
これがきっかけとなったかどうかわかりませんが、最後の職場はゴルフ場でした。
このゴルフ場に勤務しているときに、若気の至りで「ゴルフ用語小事典」なんていう本を出版しましたがほとんど売れませんでした。(笑い)
(もし希望される方がいらっしゃいましたら無料で差し上げますのでご連絡下さい。)

今は身体を壊してゴルフを卒業し、パークゴルフを楽しんでいます。
パークゴルフも奥が深く難しいスポーツです。
冬期間はパソコンの前での囲碁と、2 つの会での麻雀です。
できれば、これらの中から 1 つでもオフ会として仲間が集まればいいなと思ってます。
どなたか幹事される方がいらっしゃいませんか?


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