会員さまの寄稿 独身(50代 女性 死別)③

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気まぐれノート

気まぐれノート

2 年位前から、B6 サイズのノートに「気まぐれノート」と題名をつけて、書きたい時に自由に書きたいだけ書くノートを作りました。
このノートのルールは愚痴、不満、嫌なことは書かない。
最初は5 行くらいの文章を書くのが精一杯でした。
ノートのページはなかなか進まず、ノートのページを埋めたくなり、一日の生活を振り返ってみました。

朝、太陽が昇るのをみて前向きな気持ちになれたこと、ギョウザが美味しく焼けたこと、
珈琲の香りがよかったこと、赤ちゃんに声をかけると笑ってくれたことなどなど。
いっぱいあり、毎日 1 ページ、2 ページとどんどん書けました。

そうなると挿絵を入れたくなり、絵の下手な私はチラシから可愛らしいイラストをみつけて切り取り、ノートに貼る楽しみができました。
私は嫌なことや不快なことがあると、いつまでも忘れられず、一人で家にいる時は、そのことで頭いっぱいになります。

脳には記憶する容量があります。できるだけ楽しいことでいっぱいにする方が良い。
体調が悪く寝込んだ時はどうしても不安になり、ネガティブ思考になるので、このノートを読み返して元気を取り戻すのです。

今は、この「気まぐれノート」に自分で挿絵が書けるようになりたいと思っています。


日程に都合がつきましたらデビューしたい

私がここに入会して半年が経ちました。

3 月の説明会に参加して、帰る時前を歩いていた同じに参加していた方とお茶をご一緒して、その場で連絡先を交換しました。
翌日にお電話をいただき、入会前にすでにお友達を得ることが出来ました。

5 月、ドライブ仲間をよびかけ、独りでJR駅鐘の広場で参加者はあるか不安な気持ちで待っていたことも懐かしいです。
幸せなことに 5 名の方が来て下さいました。その後は少人数ですが月 1回のドライブを楽しく続けています。

そして、私は入会した時にしゃぼん玉ノートに投稿を続けようと思いました。
どこまで続けることができるか分かりませんが、しゃぼん玉ノートを待っている人がいるでしょうから、誌面を豊にする意味からも寄稿者が多い方が良いかと勝手に考え、下手な文章ですが続けています。

私自身、しゃぼん玉ノートが届くのを楽しみに待つようになり、届いたその日に一気に読んでしまいます。
会員の楽しみの一つの会員交流会やオフ会は、残念ながら参加の機会に恵まれていません。
日程に都合がつきましたらデビューしたいと思います。その時はよろしくお願いします。


いっぱい泣いた分、いっぱい笑うといいのです

私は北海盆踊りを普及させるためのボランティア団体に十数年前から所属しています。
毎年、お盆に大通り公園の会場で共に踊り、また普及のために福祉施設や外国の人たちと一緒に踊ったりなどのボランティア活動をしています。
顔を合わすのは年に数回くらいです。
個人的に親しくお付き合いをしている訳ではありませんが、みんな仲良しで笑い声が絶えることがありません。
夫が亡くなり踊る気力もなくなった時、「いつまでも待っているからね。」と言ってもらい、翌年は何とか踊れるようになりましたが、以前のような明るい笑顔にはなれないでいました。
そんな私を温かく受け入れてくれ、やっと、笑顔を取り戻した私のことを皆はとても喜んでくれました。
そんな時、会から私に一つののし袋がプレゼントされました。
「笑顔賞」と書いてあったのです。
夫が亡くなったことも、こんなに優しくしてもらったことも、私の人生に必要なことだったのかも知れません。
いっぱい泣いた分、いっぱい笑うといいのです。
今度は「お独り様会」のみんなといっぱい泣いて、いっぱい笑いたいなあ~


ある人に、何かあったの?と聞かれ

ある人に、何かあったの?と聞かれ、それが先月のノートの寄稿文のせいだとわかった。
私としては、心が弱っているときに、友人との会話に元気をもらえて、それが、長い付き合いで全てを語らなくとも心に寄り添ってもらえる関係になった事を書きたかったわけだが…。
まさか、自分の書いた文を解説するとは思わなかった。
これも、ひとえに私の文章力の無さだ。
ここ数年、判断ミスやら、迷って結論がなかなか出せない事が多い。
痛い目にあって、これは違ったと気づく。きっと前からこういう私だったのだろう。
運命共同体の夫がいた時は、背中を押されたりアドバイスに助けられていたから、迷路に入り込まずに済んでいたのだと思う。
失ってみて、存在の大きさを感じている。
Kさん、気にかけてくれて、ありがとう!
ヘマばかりの私に付き合ってくれる、友とはありがたいものです。


同じ悲しみを体験した人と話してみたい

去年の春、夫を亡くしました、その年の夏と秋は諸々の手続きや、家の中の事で悲しんでいる間も無く過ぎ、冬になり辺りがやっと静かになった頃。
あー、主人はもう居ないんだ、二度と会うことも出来ないんだーと、しみじみ思いました。
それ迄の張り詰めていた思いが、止めどない涙と共に溢れ出しました。
何日か泣き続けました。
今でも、何かに付けて、主人を思い出す度、泣き虫の私は、やっぱり泣いています。
なるべく思い出さないように、一週間のスケジュールを決め、忙しく日々を過ごしていますが、これからの事を思うと、同じ悲しみを体験した人と話してみたいと思うようになりました、
そういう方達だと元気なふりをせず、本当の心の内を話して分かってもらえる気がしたからです。
宜しくお願いします。


久々のドライブを楽しんで来ました

先日、久々のドライブを楽しんで来ました。

今回もメンバーの一人がCDを持参し耳に優しく当時を思い出す青春の曲。行先は積丹。
前半は私の下手な運転で、途中気分の悪くなった方もいて申し訳ないことですが、今後は教えていただきながら上手になりたいです。

黄金岬から見る海は積丹ブルーと言われるように本当に美しい。
高い所があれば少しでも上まで登りたいのも同年代からか、木造の少し揺れを感じる展望台もなんのその。

その後は、今が旬のウニ丼の昼食。食べ物屋さんに並んでまで食べた経験はないが、何組もの人が待っていて結局 1 時間待った、一人ではなくおしゃべりする仲間がいるのでのんびりした気分。

今回の目的の一つであるウニ丼は新鮮で美味しく、あっと言う間に完食。
島武意海岸、積丹岬と廻り強い陽射しの中、行ける所まで行きたい気持ちは一致して、足取りも軽く(?)しっかり楽しんだ。

後半は運転を交代していただき、性格も表れるのか滑らかな運転で、次回からはこの方に交代要員席をお願いしようと考えていた。
かなり内容の濃い盛りだくさんのドライブで、長時間になりましたが、大変楽しく同行のメンバーに感謝の気持ちで一杯の、充実の一日でした。

もし、「ドライブ仲間」に興味がありましたら、しゃぼん玉ノート 5 月号をご覧のうえ私にハガキをいただき、仲間が増えると嬉しいです。


ボランティア

ボランティア

昨年、私は月刊「ボラナビ」をみて、出張芸ボランティアに登録をしました。
そして、開設したばかりの高齢者アパート 2 棟で踊りを披露する依頼を受けました。

1 棟、20 名ほどで健常者、障害者は車イスの人と盲目の人、認知症の人が生活しています。
依頼者も引き受けた私もまたこのアパートの住人も初体験です。
責任の重さを感じながら必死で踊り、プログラムを進めていきました。

皆に簡単なリハビリ用の日本舞踊も体験してもらいました。
車イスで手が不自由な男性が懸命に踊っている姿に感動しました。
自分で食事をとることすらできないのに、その人からは動けるようになりたいというオーラで輝いていました。
どんな状況にあっても希望を持って生きることを教えられました。

帰る時に皆から「もう帰るの!」と言われ胸がちょっと痛く、そして、うれしかったです。
男性入居者はいつも無表情だけれど、今日は笑顔になっていて驚きましたと、依頼者は喜んでいました。
きっと、着物と編笠がよかったのでしょう。

現地は坂道ですから、旅行は容易ではありません。役に立てたことが本当にうれしかった。
夫が亡くなってから、笑顔になれない日が長く続きましたから、今の私をみて、あの人は喜んでいるでしょう。

あの世というところがあって、いつか、会うことができたら、夫に言ってもらいたい
「よくやった」と。。。


死別者限定オフ会に参加してまいりました

3 回目の投稿をします。

おハガキをいただいた方、又は交流をもち、お励ましをいただいた方々、お元気でいらっしゃいますか。
8 月 10 日に死別者限定オフ会に参加してまいりました。
女性のみの 9 人の参加で、同じ思いをわかち合いながら涙…(私だけかしら?)
私もやっと一周忌を迎える状況となり、人それぞれの乗り越え方を知り、やっと少し乗り越えていけるのかな?と、最近思える様になりました。
“お独り様会”にあらためて感謝申しあげます。

乗り越え方にも、男性・女性のちがい、おかれている環境、お子様の有無、仕事をしてきた人と専業主婦等々、様々な状況を知り、今までにない本音で話すことにより、気持ちがとても楽になりました。
女性のみの集りでしたので三次会まで進み“にぎやか、わいわい”で次回の集りを約束し、
解散しました。
あらためて今回の死別…オフ会に参加された“若い?仲間たち”ありがとうございました。
又お会いできるのを楽しみにしております。

今は円山登山?(運動オンチの私にとっては大変なこと)に向けて、必死で歩いております。
皆さんに迷惑のかからない様に頑張ります。

まだまだ挑戦してみたいことも多々あります。
皆様お体ご自愛下さいませ。


そんな時、声が聞きたくなる友がいる

人間関係につまずいて、それが心に棘のように刺さって抜けない時がある。
自分では、そんな事は、人生の重要な事ではないとわかっていても、なかなかすっきりしない。

そんな時、声が聞きたくなる友がいる。
先日も、ずいぶん歳の離れたその人と、つい一週間前に会ったかのように、電話で冗談を言い合って笑った。
何があったと言いはしないし、聞かれもしない。
しかし、彼女は私の心が読めているかのように、間もなく電話を切ろうかという時になって「友達は、二人か三人も居れば良いのよ」
「友達を大切になさい」と言った。

私は「あなたの声を聞くと、また頑張ろうという気持ちになれる」と話す。
「私は皆に、元気で百歳までも生きるといわれるの」「自分でもそんな気がする」と、彼女は笑う。
本当に、百歳までも生きて欲しい。彼女は病気を持っているが、話さない限り私からは聞かない。
彼女との付き合いは、もうすぐ38年になる。 大切な友だ。


いろんな情報にアンテナを張り

私の母は今年 83 歳になります。
昔から好奇心の強い人で、家族の誰かが目新しいことをしていると、必ず「どれどれ・・・・」と、興味津々で頭を入れて来たものです。
携帯電話を手にしたのも 76 歳位の時で、私より先でした。
当時、母の周囲に携帯を持つ人は少なく、ましてメールのやり取りをする相手はいませんでした。
誰からもメールがないのはかわいそうと思い、その後私も携帯を持つようになり、私が持ったのは周囲の友達に比べ割と遅い方でした。
それまで、必要性を全く感じていませんでしたから。
今ではメールと長話に、お互いの生活に手放せなくなっています。
元々私は好奇心が強かった訳ではありませんが、シングルになって生きていくには、自分自身に魔法をかけなければなりませんでした。
私はこれからもいろんな情報にアンテナを張り、母をお手本に活動的に好奇心一杯に生きて行きたいと思います。


おわら風の盆・その 1

「おわら風の盆・その 1」

富山県南部八尾町で 9 月 1~3 日まで開催される民謡行事。
胡弓の音色に合わせて踊る「越中おわら踊り」は幻想的で美しい。
高橋治さんの「風の盆恋歌」が出版されてからは有名になり、多くの観光客が訪れるようになった。

私も子供が自立して、心の中にぽっかり穴があいたような淋しさに襲われ、癒しを求めて八尾町へ出かけた。
八尾町の人たちは 25 歳までの独身の男女しか踊ることができない。
若さと短い期間しか踊られない儚さのようなものが更に踊りを美しくみせている。
中高年は深夜にそっと町流しをする。
これもまた美しい。

私はこのときから八尾町で踊りを習い覚えた。
毎日踊るのが楽しくてしかたがなかった。
夫が突然亡くなって踊ることができなくなった。
踊りを再開したのは、一年後 夫の遺影の前だった。ちょっぴり淋しく悲しかった。

「風の盆」という素敵な歌をみつけました。
<風の盆> 歌:菅原 洋一
歌詞:なかにし礼
*哀しい時は目を閉じて 八尾町を思い出す
日が暮れた坂道を踊るまぼろし影法師
おわら恋しい風の盆
*あんな哀しい夜祭りが世界のどこにあろう
足音を忍ばせて闇にしみ入る夜泣き歌
君に見せたい風の盆
*哀しい人はみんな来い
八尾の町に泣きに来い 夜流しを追いかけて
下駄の鼻緒も切れるだろう
夢かうつつか風の盆


お互い無理せず、ぼちぼちながく楽しんで行けたら

4 月号のしゃぼん玉ノートで、一緒にスケッチに行きませんか?と呼びかけたところ、5 月に 1 枚、6月に 2 枚のはがきを頂きました。
これからは、スケッチに行こうと思う時、あの方を誘おうかと顔が浮かぶのは嬉しい事です。
はがきを下さった皆さんは、いろんな事をされていて忙しく、一緒に数多く出かける事は難しいようです。
お互い無理せず、ぼちぼちながく楽しんで行けたらと思っています。


暗い洞穴に入り込んで身動きが取れなくなったり

はじめまして。
夫を亡くして今年の 12 月で 6 年になります。
今までたいした努力もせずに過ごしてきましたが、この 6 年が、一番頑張ったのでは、と思います。
幸い、良い友人達にも恵まれていたり、仕事も、好きでしているので、人から見ると恵まれているのかもしれません。
でも、やはり、夫の死は、とても悲しく耐え難いと、時々、暗い洞穴に入り込んで身動きが取れなくなったりします。
もし、そういうような境遇の方たちとそんな話をできたら、この先、傷が癒されるのかな?と思い
入会してみたいと、考えました。


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