2020年4月版 独身(60代 女性 死別)

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あっという間の時間でしたが

2月に体験に参加させていただきました。あっという間の時間でしたが、楽しく過ごすことができ、また是非参加したいと思い、入会いたしました。どうぞよろしくお願いします。

友だちに恵まれるあつまりに期待

楽しい話題、次に繋がるもの、会やサークルに参加したいと思っています。友だちに恵まれるあつまりに期待しています。

感性のひらめき、言葉のきらめき

黒髪の 乱れも知らず打ちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき
(黒髪の乱れは私の思い乱れ……それもかまわず床に打ち伏すとき、まず恋しく思うのは、乱れた私の髪をかきやってくれたあの人のことです)

私の好きな和泉式部の、官能的な歌です。物狂おしさに打ち伏した姿の和泉式部、その長い黒髪が幾すじにも乱れて、肩や袖に降りかかっている濃艶な様子が目に浮かぶような、描写的な歌だと思います。
私はまた、自然の景色に彼女の心象風景を重ねて詠んだ歌も好きです。
はれずのみ 物ぞかなしき秋霧は 心のうちに 立つにやあるらん(心が晴れることなく、もの悲しい思いをしています。秋の霧は、心の中に立つものなのでしょうか)

彼女の胸の中には、白い霧のようなため息がいっぱい詰っているような、そんなせつなさを感じさせます。
もの思へば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る
(あまりにもの思いに沈んでいると、沢に飛ぶ蛍さえも、私の身からふわふわと離れ出る魂ではないかと思って見てしまいます)

源氏物語の六条御息所のもつ「情念」を連想させる歌ですが、おどろおどろしさを感じさせない描写のうつくしさがとても印象的です。
これらの歌にあるものは、深いため息に満ちた「嘆き」であり「哀しみ」であって、いわば究極の「愚痴」ではないかと私は思うのですが、そこには彼女ならではの知的な感性のひらめきと、上品な言葉のきらめきがあって、それゆえに歌全体がスリムに引き締まり、優美でセンスのいい、そして忘れがたいものとなっているように思います

大事なペットに先立たれて

大事なペットに先立たれて落ちこんでいますので、会に入って少しでも楽しい時間が出来たら、うれしいので入会申し込みます。

これからの人生を楽しく過ごす友達ができたらいいな

現在 61 歳。
夫が亡くなって 20 年以上経ちます。子育て、仕事と懸命に暮らして来ました。
10年前に道東から、子供達がいる札幌に、転居してきました。子供は皆、結婚して、孫もいます。
この 3 月で、私は仕事を退職しました。働いていた時は職場の友達がいたのですが、退職してからは、札幌には特に友達がいません。毎日、犬しか話し相手がいません。これじゃあいけないなーと思って、、。
これからの人生を楽しく過ごす友達ができたらいいなと申し込みしました。

源氏物語のお話

光源氏は 51 歳の時に最愛の妻・紫の上を失った。「幻」は、その喪失感に満ちた巻である。

紫の上が『つひに いかにおぼし騒がん(私が実際死んだなら、どんなに嘆き悲しむことか)』と危惧した通り、悲嘆のあまりすっかり涙もろくなり、何を見ても、何をしても心が満たされず、呆けたような日常を送る可哀そうな光源氏が描かれる。
瀬戸内寂聴氏は「ぐずぐずして出家しない源氏はだらしない」とおっしゃるが、私は共感と同情をこめて『可哀そうだな』と思った。また、出家すると男女のことができなくなるからとも書いていられるが、それがほのめかされているのは中将の君だけで、とくに執着しているようには読めなかった。

たまに女三宮を訪れると、読経していた彼女に冷たくあしらわれてしまう。この時源氏は、「かくあまへ給へる女の御心ざしにだにをくれぬること、とくちをしうおぼさる」。
こんな甘ったれた女の薄っぺらい信仰心にさえ遅れてしまったか、と悔しく思うわけである。この「かくあまへ給へる女(人に依存して生きているくせに)」という表現はちょっと癪に触るけれども、「好いご身分」と思えなくもない。

女三宮に袖にされて、今度は長らく無沙汰していた明石の上のお部屋にやってくる。
明石の上は出家を願う源氏に、「出家などなさらず、一門の繁栄と安泰を見届けてくださいまし」と、実利的で現実的なことを言い、源氏に「大人びてきこえたる気色、いとめやすし(実に頼もしい)」と思わせる。二人は夜が更けるまで語り合うのだが、源氏はリアリストの明石の所に泊まることをしない。

誰に会ってもどこへ行っても『私がこんな気持ちの時、上はこうは言わなかった』と紫の上と比べてしまうので、喪失感を埋めることができないのだ。

母・桐壺の更衣に似ている藤壺の宮、宮の姪でこれまたよく似ている紫の上、と形代ばかりを求めてきた源氏だったが、紫の上というかけがえのない存在を失って、初めて人を愛することの本質を(読者もともに)実感することになる。

霜月には夕霧が、童殿上する子息たちを連れて挨拶にやってくる。源氏にとっては孫たちなのだが、哀しいことに紫の上の血を引く者は一人もいない。

宮人は 豊の明といそぐけふ 日影もしらで 暮しつるかな物思ふと 過ぐる月日も知らぬまに 年も我が世も けふや尽きぬる
これらのお歌にも、日常からの疎外感と虚無感が感じられて、哀しい巻だと思った。

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