会員さまの寄稿 独身(70代以上 女性 死別)③

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しゃぼん玉ノートを欠番して

しゃぼん玉ノートを欠番して
残念! しゃぼん玉ノートへの寄稿が八回で止まってしまった。
二○十一年六月分 vol.3 から、二〇十二年 vol.10 迄連続投稿していたのに本当に残念!

私と、しゃぼん玉ノートとの出逢いは二〇十一年春のある日。
とある銀行の待ち時間にボラナビを手にした時からです。
その中に、お独り様会なるものがあって、会員の方々がそれぞれの想いをノートに託して交流している様子が書かれてありました。
私も、夫を亡くした後、 さまざまな思いを心の中にしまい込んで生きて参りました。
この想いの一端を誰かに聞いていただけたら、と早速申し込みました。

二〇十一年六月分vol.3 でしゃぼん玉ノートデビュー。今日迄お世話になっております。

今年は、新年早々から忙しかった。と言っても遊び(趣味)のことですが…。
二月に、日本舞踊のおさらい会がありその舞台に向けて昨秋よりお稽古をしてまいりました。
若い頃は、新しい曲をいただいても十回くらい教えてもらえばマスターできましたが、一年一年覚えが悪くなり苦しみます。
脳の活性化と、健康の為に始めた趣味に時には振り廻される状態。
プロでもないのに私は、生意気にも先生の振り付け通りに只、手足を動かすのではなく、この曲の中の女性はどんな女(ひと)、この女(ひと)の気持ちはどう、切ないのか狂をしい恋をしているのか
その気持ちをどうやって表現して踊ってあげられるのか、と下手は下手なりに自分のレベルで納得できるまで躍り込みます。
そんな苦しいことばかりではなく、当日の着物と帯はどんな組み合わせ? かんざしはどれ、と先生と相談しているとワクワクしてきます。
○月○日は、毛染、○日は理容室でお顔の大掃除、本番前日には美容院で髪の結い上げ、とカレンダーにびっしり予定を書き込み段取りする。
一つでも取りこぼしのないように緊張して当日を迎える、このプロセスが案外頭の体操になっているかもしれません。
年と共に不器用になって、動のことに夢中になっていると、心を覗く静の部分がおろそかになってしゃぼん玉ノートをお休みしてしまいました。

自分の文章の載っていない二〇十二年二月分 vol.十一は、ドキドキ感がなくちょっと淋しく思いましたが、その分皆様方の投稿文を熟読させていただきました。
又、頑張って胸の想いをぽろりとこぼしたいと思いますのでよろしくお願いします。


後期高齢者になったどォー!

後期高齢者になったどォー!
と、叫ぶほどおめでたいことではありませんが、とうとう後期高齢者のお仲間入りをしました。
テレビのサバイバル番組で海に潜ったタレントが、取った獲物を高々とかかげて、「取ったどォー」と叫ぶこのフレーズを聞くと嬉しくなってくるので使わせてもらいました。
とは言え、私の身辺にはあまり変化はありません。
物忘れ、勘違いはいつものこと。

ショックなのは、ロングブーツを履く時、玄関の上り框(かまち)に腰を下ろさないとファスナーを引っぱれなくなったこと。
片足立ちでブーツを履き颯爽と雪道を闊歩した 2・3 年前はやっぱり若かったのでしょう。
保険証の色が、青から黄色になって後期高齢者医療保険者証と大きく書かれた文字を見ると、七十五才の今日迄大きな病気もせず生きてこられたことは感謝です。

それにしても、このネーミングは味気なくあたたかみがありません。嫌いです。
この制度の名付け親の一人とも言える、東京大学老年病科の大内尉義教授も、かなり評判が悪いので長寿医療制度とかもうちょっと考えればよかった、と雑誌でおっしゃっていました。
ぜひ、何とかしていただきたいと思います。

お若い会員の皆様には、退屈なことを書き並べて申し訳けありません。
よく、死んだ子の年を数えると言いますが私は、夫が生きていれば今年で何歳、とよく数えます。
夫が亡くなった七十五才まで生きられたので、あとは母が逝った八十九才を目標に、よく動き、よく食べ、よく眠って生きて行きたいと思います。


ひとりクリスマス

ひとりクリスマス

十二月の声を聞くと、私はクリスマスツリーを飾りつける。
お星さんは一番てっぺんでしょ、次は十字架だったよネ、とぶつぶつ呟き(つぶやき)ながら飾る。

ある時、押し入れの上の天袋を整理していたらクリスマス用品とメモの張り付けてあるダンボール箱を見つけた。
ひらいてみると、小さなサンタの人形や小人などさまざまなクリスマスグッズがひっそりと眠っていた。これは出して飾ってあげねば、とさっそくその年のクリスマスから飾り始めました。

80センチくらいのビニール製のツリーに銀色の鐘や鈴、たくさんの小人さん達やサンタの靴などいろいろぶら下げていると子どもの頃に還ったようでワクワクしてくる。
お姉ちゃんズルイ!ボクがサンタサン飾りたかったのに…と涙目の長男。
あんたはお星さまでいいでしょ。一番でかいもの。お母さんは小人さんネ。

こうしてひとりで飾り付けていても、お姉ちゃんぶって仕切る娘の声や半べそでサンタさんを取り合う子供達の声が聞こえて来そうで何とも言えず幸せな気持ちに満たされる。
二時間近くかかって飾り終えると銀色のシートをかぶせたダンボールの上に雪に見立てた棉花を散らして風除室に据えつける。
LEDの電球は寒そうなので、昔通りの暖色系の豆電球のコードをツリーに巻きつける。

コードを郵便受けに通してスイッチ・オン、灯いた!! 赤、青、ピンク、クリーム色などの電飾がパッパッと点滅する豆電球の灯(あかり)がガラス戸越しに外の雪景色に写ってこの世のものとも思えない夢のような幻想的な世界になる。
きっと、こんな夜にキリストさまはお生まれになったのネ、とクリスチャンではないけど自然と手を合わせてしまう。

と、まあこんな風にひとりクリスマスを楽しんでいます。


死別して一人で色々と心配なことなどありますが

死別して一人で色々と心配なことなどありますが、私は姉妹がいなくて一人で、同性の友達がたくさんほしいと思っています。

温泉が大好きで友達もいますのでよく湯治に行きますが、色々な方と一緒に行ければうれしいです。
又色々な方と交際してぼけない様に予防して元気でいたいと思ってます。

持病もありますが一病息災で、体は大変ですが気持ちだけは元気で若く人生をすごせればと思います。
年代も色々な方がいてうれしいです。


私は夫と死別、娘の近くに引越しをしてきました。

なれない札幌のマンション生活しばらくおちこんで居ましたが、これではいけないと思い卓球などに行き初め、でも家に帰ってくると1人で、早く夫の所へ行きたいと何んども思いました。

けれど楽しいことも多くさんあり、今回新聞を見て自分の心情もわかってくれる人たちもいるはずだと思い入会を致します。


私と同じく一人は淋しいのだと思った

九月十日、朝刊を見てすぐ連絡を入れ毎月第二土曜日とのことでさっそく説明会に出席しました。
二十名ぐらいおりましたが、その内二、三人は入会者の様で会のお話やら自分の入会の話など話されました。
初参加者の紹介が有り一人ずつ話し始めました。

皆さんの話をきいていて私なりに思うことは、私と同じく一人は淋しいのだと思った。
私も町内会、協会、シルバー福祉などの役員などをしており忙しく楽しく動き廻っていますが、とても人の楽しく元気になることがうれしくて、自分がガンバれるのです。
でも何もない日、長い夜など時々とても淋しくなるのです。
こんな時は自分の話を聞いて話し合える人が側にいてくれたらうれしいなぁーと思います。

若い頃から仕事一筋にガンバリ二人の子供達もりっぱに独立し自宅を持ち幸せな結婚をしてとてもうれしく思います。
私はいつも人のためばかり忙しくしているので息子の嫁さんは、「お母さんもう自分のために少し時間をつくってもっともっと楽しんで下さいね」と良くいわれます。
とても良い息子夫婦の仲も良く、本当に私も安心で幸せです。

私も少しずつ役員もおりて、又自分の楽しみを見つけようとしております。
元若いころ楽しんだ、ダンスやカラオケなど少しずつ始めましたが、なかなか今の踊りについて行くのは大変です。
やはり毎日体は動かしていないとリズムに付いて行くのはつらいです。
でも楽しいので週二回ガンバッております。

どうか私と楽しく歌って踊って会話して前向きに明るく生きて行ける人がいたら宜しくお願いいたします。どうぞ楽しい集会をお待ちしております。

日増しに寒く成ります風邪をひかぬ様お元気で。

追伸

私の誕生日が十月六日ですので、息子夫婦が十月八日土曜日にお寿しにつれて入ってくれると電話が有りましたが、その日は私の友人が小樽と仁木の寿しとフルーツ狩りに招待してくれましたので、息子達には十月十日祭日にステキな大きな花カゴと私の大好きなお寿しに連れて行ってもらいました。
いつもやさしい息子夫婦には感謝しています。

でも一人に成ると淋しいのはなぜでしょうか。


一人暮らし丸9年が過ぎました

一人暮らし丸9年が過ぎました。
今頃特に呑み友達、おしゃべり友達が欲しくなりました。

また、ドライブや温泉なども気軽に御一緒出来たらと思います。が、どんな会で何人位おいでかとか分かりませんので、まずは入会致します。
よろしくお願い致します。

仕事を持っていますが、時間の自由はあります。


お独り様会に参加した動機など

「お独り様会に参加した動機など」

もしかして場違いな所に迷い込んだかも…
しゃぼん玉ノートで会員の皆様の真剣にパートナーを求めておいでの文章に接して今、私は少し考え込んでいます。

夫と死別してから十年になりました。
貞女二夫にはまみえず(古くてゴメンナサイ)なんて恐い諺みたいに思い詰めて生きてきた訳ではありません。

四年近いうつ状態を脱してからは、趣味も楽しみ、ダイエットは明日からと食べ歩きであちこちのランチバイキングを制覇してはヘルスメーターの数字にハラハラしたり、バス旅行でリフレッシュしたり普通に暮らしています。

いくら、亡き夫の写真に語りかけても、仏様になった夫は何も返事をしてはくれません。
だからといって、すぐに異性の茶のみ友達を、との流れにはなれません。
亡くなった人は、さまざまな想いをこの世に残して逝ったのでしょうから…

私は文章を書くのが好きです。
話すことも嫌いではありませんが、文字で自分の思っている事を表現する方がより深く相手に伝えられそうに思います。
出来ればそれを同じ想いの人に読んでいただけたら、とそんな軽い気持ちでお独り様会に参加させていただきました。

こんな私は、ちょっと異質かも知れませんが「枯木も山の賑わい」(又又古くてゴメンナサイ)とか申します。
ソッと置いておいて下さいませ。
追々に、同じところで笑い合える波長の合う人に巡り合えるラッキーもあるかも知れません。

ちなみにしゃぼん玉ノートVOL5の私の文章の中で二か所ミスプリントがありました。
一か所は中盤に入ったあたりに尖った顔の暗い顔で…とありますが拙稿では尖った顎と書きました。

あと一か所は、やはり中盤あたりに「おりおり膳」となっていますが「おりく膳」の間違いです。
ご存知の方も多いと思いますが、おりく膳とは、亡き人に食べていただく供養のお食事のことだそうです。
亡くなった人の魂は、この世に四十九日の間留まっているとのこと、その間、朱塗りの高足膳に奇数の精進料理を持ってお供えします。
仏様の世界は宇宙のように割り切れない世界なので何事も奇数だそうです。
おりく膳は、法事、祥月命日、お彼岸、お盆にもお供えします。
長々と偉そうにすみません。


伴侶と死別して

伴侶と死別して

元気印の夫が亡くなって、今年の秋で十年になる。

あれから、もう十年とも、まだ十年とも思う。連れ添って四十五年、一度も床に伏したことがなかった。

平凡なサラリーマンの人生を誠実に歩み通した人だった。
仕事が大好きで、定年後第二、第三の仕事先を見つけて来て亡くなる三ヶ月前まで仕事をしていた。

小柄な身体で働いて働いて家族を守ってくれた。
仕事の虫ではあったが家族想いの人で出張先からよく電話をくれた。
子供達は元気か。お前飯喰ってるか。忙しいからってちゃんと喰わなきゃ、などなど。

夜泣きぐせのついた長男が赤ちゃんの頃、泣き止まない長男をおんぶして亡夫は外へ連れ出してくれた。
「お前、今のうちに寝とけ」と言って長男を揺すりながら家のまわりを歩いていた姿を想い出すと、ありがたくて今でも胸の中があたたかくなる。

亡夫は、一家の大黒柱であり、私の心の支えでもあり恋人のような存在だった。

その夫が病気になった。胃がん。気がついたときは手遅れだった。長くて一年の命とか。

私の心の中で何かが壊れてくずれた。
頭の中がモヤモヤして集中できない。考えると、やらなきゃならないことが押し寄せてくるのに身体
が宙に浮いていて動けなかった。

2 ヶ月入院。七ヶ月自宅で私が看取った。自宅療養中のことは、言葉では言い表わせない。
一日一日と痩せ細って行き今真に死に逝かんとするいとしいこの人に何をしてあげることも出来ない人間の無力さを痛感した。

紅葉があたりの山々を美しく彩る晩秋の朝、夫は旅立って逝った。享年七十五才。

泣かないで生きてゆけ、子供達を頼んだぞ、じゃあな、じゃあな。
落ち葉の降りしきる秋になるとひらひら舞い散る落ち葉の向こうから亡き夫の声がきこえてくるような気がする。


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