60代の死別独身女性からいただいた本音です。
別の独身の方々の本音を読みたい方はコチラ
(「既に回答済みです」の場合は、「回答を編集」から)
60代独身女性の幸せへの心がけ
最近読んだ本にとても良い事が書いて有りましたので紹介します。
「人は誰でも一人では生きていくことが出来ない。
さまざまなタイプの人間が寄り集まり、助け合って、初めて生きる事が出来る。
もし、相手に対する思いやりや愛情がなければ、一人孤立して生きる道を失う。
相手を認め、相手を喜ばすことによって、相手もまた、自分を助けてくれる。
まず自分「我」を捨て、ゼロの状態で相手と付き合う。
そこから純粋で楽しい人間関係が生まれるのである。
小さな事を気にし、小さな我を主張すれば大きなものを失う」。
心が豊かに明るい生きがいのある生活。
同じ考えを思っている方がおりましたらお話がしたいと思っています。
私は田舎に誕生、女系家族のまん中に育ちました。家族、姉妹もこれといった大病、ケガもせず、すくすく育ったので、両親に感謝の一言です。
父は早く他界。夫も亡くなり、私が母の介護に通い出して9年になります。その時々で色んな事にぶつかる度、ああ、これも、あれも勉強、勉強といいきかせております。自分の老後の行く末と例えております。
おひとり様はむなしく、寂しい時間が過ぎ、生きてゆくのが辛いなーとくじけています。笑顔を出せるよう力を抜き、独りではない、と自分に言い聞かせたいです。夫が迎えに来てくれるまで前向きに生きてゆきたいです。
主人と死別して10年になります。現在は1人暮しですが、市内に親や弟夫婦が居ますので、いわゆる孤独感と言うのはなく、むしろ一人暮しを楽しんでいると言えますが、最近痛切に思うのです…。
<このまま、ゆるい、ゆるい日常をただ重ねて行くだけなのか?>
それが何かはわからないけれど、はっきり言えるのは“このまま老いて行く訳には行かない”ということです。
再婚は全く考えていません。自分を活気づけ、とりまく環境に新風を吹きこみたいです。
テレビをみていたら、五木寛之が「「生きる」とはどういうことか」と宗教がらみで質問されていました。答えは「生きていることだけで貴い」と言っていました。特に目的はありませんが、一日一日生きてゆくしかないんだなーと涙ながらに考えてしまいました。
「お独り様」はそれなりに、自分の道をいくことしかできないんですね。年齢的にも再生はききませんが、せめて気持ちにハリのあることを探したい昨今です。
最近は家で一人でいても気が滅いるだけだと思い、外に出よう、何かをしようと思う気持ちが少しずつ芽生えてきました。
一時でも何かに集中することで、悲しく辛い現実から“心”が開放されるような気がします。
同じ境遇の人達と話すことで、お互いが理解しあえ、悲しい気持ちが解き流され、すくなからず穏やかな心境になる様に思います。
人間、私も含め、いずれは死ぬのですから、命あるかぎり日常が楽しく過ごせるように心掛けながら生活しようと思っています。4月からパソコン教室に行き、頑張っています。
秋も深まって、葉を落として樹々も一段と寒そうです。一人で登っていると、その美しさと静けさが身に染みます。小鳥やリス達も心を和ませてはくれるのですが…。
水泳仲間や他の友達も声を掛けて下さいますが、それぞれにダンナ様や家族も有ると思うと、つい、一歩引いてしまいます。
夫が亡くなってから4年余り、私も大きな病気を克服したばかり…。この辺で元気にならないと応援して下さっている皆様に、申し訳ありませんよネ。
友人は離婚して20年。長年一人で「嫌いなダンナと別れて、せいせいしている。のんびりしているよ」と言って笑っています。
しかし、私のように子どものいない人と、一人でも実子のいる人は、同じ一人でも微妙に行き違った心があると見えて、心の底まではわかりません。
私は孤独感から脱しない限り、今後の人生も危い感じになっています。
元来、元気で行動的な婆さんでしたのに、主人が亡くなっただけでどうなるか不安。
私より年上で元気な人は沢山いると思います。そんな人達に逢って、自分なりの元気をとり戻したいです。そして、自分が力を取り戻したら、誰かのために力になりたいです。
虫のいい話ですが、人の輪に入ってこれからのエネルギーをもらいたいです。
痩せに痩せていた私が、少しづつ太りだして来ました。知らぬ間に元の体重を超えて、70kgの大台は目前。冬期肥え。これではいかんと、春三月末から桜旅をする事にしました。一人旅です。お友達をさそっても御主人がいる人だったり、お孫さんのお守だとか、皆さん御家族のある方々ばかり。結局一人旅になりました。
愛知の弟の所へ二泊して、信楽や有松しぼりの地に連れていってもらい、あとは一人で、高卒後、名古屋に勤めていた事もあり、古い友人を訪ねたり。焼き物が好きなので、瀬戸や常滑、美濃の焼物の里を訪ね、彦根に泊り、彦根や長浜のお城を見て、桜とお城の景色に感激しました。後は京都と奈良に二泊、吉野山やいにしえの都を満喫した旅でした。この時のひとり旅に魅せられて、お城と桜の旅と、関西の一週間の旅は毎年恒例になりました。
旅に出ると、しばらくは元気で居られるのですが、戻ると何もする事がないので、だんだん元気がなくなり、1週間も全然戸外に出ないでいる事も多いです。おひとり暮らしの皆様は、日頃どんな生活をしていますか?ひとりあそびの方法、楽しく暮らす方法などおしえて下さい。
何か楽しい事を見つけたいな。人と話をして自分を高めたい。
私が単身赴任までして20年働いて、夫が定年になり、楽しい第2の人生なんて思っていた矢先、夫がガンにとりつかれてあっけない別れとなり、本当に悲しい日々でありました。でも、止まぬ雨はないと言いまして、小降りになったようです。これからの人生、前向きにと考えるようになりました。
3年の月日が流れ、一人暮らしにも慣れてきました。65才になるのを機に新しいことを始めたいと思っています。
主人をガンで亡くし丸7年が過ぎました。私は60歳で、主人と2人、これから旅行したりして楽しもうと話していました。しかし、夫は8ヶ月の闘病で旅立ってしまいました。
悲しんでばかりいられません。気持ちを切り替え、現実を受けとめて、近頃はおひとり様生活も上手に出来る様になりました。望んだ自由ではないけれど、その自由を生かし、今は習字、卓球、水泳、菜園と、上手ではないけれど自分なりに楽しんでおります。
3年前に夫を、先月ペットのネコを亡くしました。本当の独りになってしまいました。仕事のことなどで、喜び寂しさを話すことがかなわなくなってしまいました。この頃「生きる」意味さえわからなくなることがあります。情けないですね(笑)。
一人は自由ではありますけど、その何倍も寂しさがあることを初めて知りました。まずは前に進まないことには結果が出ませんものね。
夫とは死別の60代の女性です。幸い健康には恵まれ、今は一人で頑張っています。
60代独身で同じ立場の友達と出会いたい
4年前までは働いていたので、それなりに忙しい日を過ごしてました。でも、だんだん何をするにも、“まっ、いいか”という感じで過ごしてまして、これでは老化が進んでボケてしまいそうです。少しでも人とのかかわりをもって、何か趣味でももって、仲間と共に過ごしてみたいです。
昨年引っ越してきました。夫と死別してから20年余りがすぎました。仕事、子育てを頑張ってきました。知り合いもいませんので、友達が出来たらよいなと思います。
主人が亡くなって3年がすぎ、人間関係が狭まり、少し淋しくなりました。
特に夕食は、テレビがおかずの一品では悲しいですね。
飲み会でも…そんな時間を過ごしたいです。
2年前までは、夫がいて子ども(息子2人)がいる普通の主婦でした。が、主人が病気で亡くなり、今年7月に三回忌を済ませました。
息子たちは結婚して独立しているので、とうとう「お独り様」になりました。今は、亡夫に感謝しながら、充実したシングルライフを楽しんでいます。
ただ、回りの友人たちは配偶者のいる人ばかりなので、だんだん話や日常生活に温度差を感じるようになってきました。シングルだからこそ、もっと自由に行動範囲を広げるチャンスがあると思っています。シングルライフを満喫している沢山の人とお友達になりたいです!!
主人を亡くして4年半経ちました。子供達も独立しているので、犬と一緒の一人暮らしです。
この間、色々な友達、近所の人達、皆さんに助けられ、支えられて来ました。少し落ち着いて自分をみつめ直し、新しい生き方を探すことに…。そのためには身近な友達とは違う新しい出会いを求めています。
残りの人生、長いのか短いのか解りませんが、一緒に笑ってくれる人がいたら、うれしいです。
今の私は、表面的なつき合いでいいからつきあいたい。人の声を聞いたり、笑ったりと人恋しい気持ちでいっぱいです。こんな意気地のないことでは、これからどうやって生きていけば良いのか、我ながら不安になります。
料理を作って、何気なく酒を呑んで、おしゃべりをしたいというのが一番の希望です。誰かの傍に一寸でもいられたらという情けない状況です。
早くに主人に先立たれ、家族もそれぞれ生活する様になりました。最近、仕事も定年で辞めて、ひとりでいる時間が多くなりました。本来の出不精で、約束事がないと外出が少なく自宅で過ごしてしまいます。ひとり行動が出来ないわけではありませんが、仲間達と共感出来る所があればと思います。
主人を亡くし、独り暮らしになって、3年半が経ちました。まわりには信頼できる友人、趣味の音楽を楽しむ友人たちもいて、それなりに日々を楽しんでおります。でも、ふと「独りの不安」が心をよぎることがあります。そんな時には、「同じ境遇の友達がほしいナ」と思います。
私は60代後半。これからの人生を、『バラ色』とまではいかなくても、少しでも明るい色にしていきたい。同じ思いを持つ友人と出会いたいです。
夫を亡くして5年。色々な事があった中で良く耐えて来た、良く頑張って来た。自分を誇らしく思うと同時に、増々強く成っていく自分に反省しなくてはいけないと思っています。また、同じ様な環境の方とお知り合いになれればと思っています。
主人を亡くし約7年が過ぎ、この後1人でたんたんと日々の繰り返しで生きて行く事は出来るでしょう…。でも、1人であるが故の同じ悩み、心配を持っている人達との交流で、1人で食べるより、1人で見るより、1人で喜ぶより、1人で悲しむより、同じ立場で共感し合える人達が出合う事で、今より充実した楽しい人生が有るとしたら。一歩前に進んで見ようと思いました。
独りになってから家に居るのが辛く、私なりに色々なことをしてみました。誰かの役に立ちたいと思い、ヘルパーの資格を取り、お年寄りの家、通院、お話相手…逆に自分が癒されてきました。
その後、自分なりに「精神の自立」を目指し、 独りで出来ることを試してみました。
近距離ドライブ・映画・カラオケボックス・喫茶・青春18切符の東北旅・小旅行…。たしかに世間で言う、一人の気楽さはあります。でも寂しさも背中合わせです。
私の場合は…立場の似た仲間、電話で話す友人がほしいです。
一人暮らしに慣れなければ、と自分に言い聞かせての生活ですが、心細く思います。同じ境遇の方々と交流を持ち、孤立しないようにつながり、支え合っていけたら心強いと思います。
死別13年目に成り、日々、毎日手さぐりで生きている状態です。目標を見つけ出す事も出来ず、挫折の毎日でした。
人間は1人では生きて行けない。必ずや誰かに支えられて生きている。であれば、キズのなめ合いじゃなく、前向きに生きていける仲間創りの輪が出来たら幸せなのにと思うようになりました。“皆んな幸せになあれ”が私の合言葉です!
私は夫と死別し、不安と寂しさで苦しい日々を過ごしていました。毎日泣いてばかりでしたので、自分が壊れてしまいそうでした。気持ちを外に向けてみようと思いきって人の中に飛び込んでみましたが、逆に夫の事を思い出す事のほうが多くなり、困り果てていました。でも、同じ立場同士ならば分かり合えるのではないかしら、と嬉しさが自然にこみあげて来ます。
42年間連れ添っていた愛しい夫に余命宣告が告げられ、思い出を沢山残して私をおいて天国へ旅立ちました。何処へ出掛けるのも一緒の日々…毎日通った公園の花々、今日も生き生きと咲きほこっています。胸が苦しいほど淋しいです。
スーパーへ出掛けても御夫婦連れが目に入り、お友達とおしゃべりしても日頃の自分に戻れません。なかなか人との巡り会いもなく、孫にも「じいちゃんのように死なないでね」と元気づけられています。
孤独な自分と同じ境遇の方にお会いして、おしゃべりをしてみたいです。元気な私に戻ったら、主人もきっと喜んでくれると思います。
3年3ヵ月前に夫を亡くしました。遠慮せずに「夫と死別した」ことを人と話したいと思いました。やっと自分の事を少し考えられるようになり、同じ思いを持っている人達と共有したいと思えるようになりました。
60代女性で男友達や彼氏が欲しい
主人が亡くなってから、この4月で10年になります。主人を亡くした当時の辛さ、悲しみは深く、同じ思いを経験した人とお友達になりたいと切望していました。
生きている以上、楽しい気持ちで日々を過ごしたいと思って、私なりに努力していろいろやってきました。しかし、朝、目覚めた時などに、時折、言いようのない深い寂しさを感じることがあります。伴侶のいた時のあの精神的な安心感がないからかも知れません。心の通い合うひとに出会えたらいいなと思います。
たとえ、パートナーと出会うことができなくても、新しい人との交流は刺激となり、私の世界を広げてくれるでしょう。私も心を開いて、いろいろな人に話しかけたいと思います。
夫が亡くなって22年が過ぎてしまいました。親、兄弟も子供もない私は、仕事にのみ張り合いを見つけて過ごして参りましたが、辞めた後は何をするでもなく、外へ出ることがオックウになり1人で引きこもってしまう様になりました。これではダメだと思っても、お友達やパートナーが欲しいと思っても、どうしたらいいか中々考えられません。このまま一人で淋しく暮らして行くしかないのかなぁ~、悲しくなってしまいました。
主人は八年前にガンで亡くなり、一人娘は最近結婚して淋しくなりました。
男性のお友達が出来て、お互いの家を行ったり来たり出来たらいいなと思っております。主人がいなくなって一番困っている事は、旅行や映画やコンサートなどに一緒に行く人がいなくなった事です。娘とも少し一緒に旅行しましたが、仕事があるため長く休めません。
主人は普段から病気知らずの元気な人でしたので、まさか人生こんな風になるとは夢にも思っておりませんでした。
主人を亡くし、しばらく悲しみの日々で生きがいをなくしている時、娘2人の内、長女に双子が生まれ、孫守りで忙しい毎日で、いつの間にか悲しみから遠ざかっていました。それから間もなく、次女が結婚、出産と続き、ますます忙しくなりました。気がついたら主人の七回忌となりました。
5人の孫も成長して手もかからなくなり、私も気持ちにゆとりが出来ました。ふと考えると、これから私はどんな人生を送っていくのかな、と。今やれる事は何か。カラオケで歌うのが好きなので、友人とたまーに行っているのですが、友人も家族があり、孫守りに追われているらしく、行く機会もだんだん少なくなってきました。寂しく、むなしくこのまま年をとって終わってしまうと思うと悲しくなります。もう一度、若きし頃の楽しき日々の夢を見られたらと思っています。
希望としては、独身男性の方で、いつでも逢える日に逢ってお茶を飲み、世間話をしたり、悩みの相談をしたりして充実した日々を送っていけたらいいなぁーと思います。男女問わず、皆で楽しくわいわいとお話しするのも好きです。
60代女性の死別経験
その日も、いつもの休日と何ら変わることなく、「行ってくるぞォ~」の言葉だけを残して早朝サイクリングに出かけて行きました。しかし、夫は「ただいま」と家に帰ることは出来ませんでした。
今から6年前のことです。自転車横断帯を青信号で渡っていた夫に、何も非はありませんでした。運転手の不注意で、一瞬のうちに命を奪われてしまったのです。60才でした。
あまりにも突然の出来事で、夫の死を受け入れることは出来ませんでした。平凡こそが幸福なのだと信じて暮してきた私は、ショックが強く、茫然自失、混乱する日が続きました。不幸のドン底にたたき込まれた気持ちが、いつまでも私に覆いかぶさって来るのです。日常全てが、グレーかブルーのフィルターをかけた様に暗い景色を見ている数年間でした。
しかし、周囲の人達のいろいろな支えや、多くの優しさに助けられた数年間でもありました。そんな人達のお蔭で、少しづつ立ち直ることが出来たのです。亡くなった人がいつも一緒にいてくれる、見守ってくれていると、実感出来るから生きて行けるのです。
喪失感は、失なった人じゃなければ分からない寂しさです。その寂しさの中で、残された人は生きて行かなければなりません。
同じ辛さ、苦しさ、寂しさを味わった人達なら、解り合えることがある様な気が致します。話すことで救われることがあるのです。聞いてあげることで力をもらうことだってあるはずです。7回忌を終えた今、新たな決意で前向きに生きようと思っています。
病気が解ってから亡くなるまでがたったの2ヶ月でした。風邪を引く事さえ珍しく、元気だった主人が集団検診で“肺癌“が見つかり、手術し…そろそろ退院と言う頃に熱が出て…診断は”術後肺炎“。それからは、どんな治療をしても効き目が無く…アッと言う間に旅立ってしまいました。
あれからもう3年が経ちました。同じ敷地内に別棟で息子夫婦が住んでいて、毎日、孫達にも会えるのですが、この喪失感と、何とも言えない虚しさは消えそうにありません。
主人を亡くしてから四ヶ月が過ぎました。結婚記念日、誕生日、お祭り、各イベントは必ず二人で出かけていました。昨年のクリスマス、今年のお正月はとても辛く、夜は毎日が淋しく、もとの生活リズムがなかなか戻ってきません。
主人の告知は二人で受け、半年から十ヶ月。しかし子供達には「一年半」とメール。私にも「つらい思いをさせてゴメン」のメール。三回の入退院を繰り返し、四ヶ月半でした。
最近思う事があります。まだ桜の季節ではありませんが、私達には大勢の焼肉仲間がいます。桜の頃にはわが家で大宴会です。昼頃から始め、昨年から用意してあるとうもろこし、焼きとり、肉、魚等々。アルコールはもちろんです。笑う人、泣く人、おこる人、たまには談合もあるかもしれませんが…。二次会は家に入り、ゲームに入る人、まだまだ話したりない人、人。夜食は麺が美味しく、赤飯、五目めし、いくらと鮭ごはんのお土産付です。全員が帰った後、二人で後片づけしながら、「今回も無事終わり、疲れたけど楽しかった」の反省会。
今年も桜は咲きます。二人の共同作業がなければ仲間を迎える事が出来ません。今、冷凍庫にとうもろこしが入っています。
私は3年前に主人を亡くし、今は少しずつ元気を取り戻しつつあるところです。
元気だった頃は主人と一緒に野球観戦、パークゴルフと卓球、カラオケ等、町内会の同好会に入り楽しんでいました。
私は30年位前から、同じ先生の元で女声合唱団に入り、充実した人生を送っておりました。しかし、主人の闘病生活から、すべての趣味を止め、付き添いの毎日でした。1年余り、共に戦ってきましたが叶いませんでした。
あれから16年の歳月が経過したのに、未だに医師のあの時の言葉が耳に残っている。「えっまだこんなに手の温もりが伝わってきているのに。ウソでしょ!!」と思った。最愛の夫に悪性腫瘍が見つかり、医師より半年の命と言われた。闘病の時、夫の両親は義父が96才、義母が92才であったから、何としてもこの両親より先に夫に逝かれることは避けたいと思い、「病院食は不味くて食べられない」と言えば自宅で作り、日に3度温かいうちに病室に届けたり、保険適用外の漢方薬が病に効果があると聞けば服用してもらったりと、自分では精一杯の努力をしたつもりでいた。夫の死をすぐに受け入れられなかった。
頼りにしていた長男に先立たれた夫の両親も、心は悲しみの極みで、その捌け口は当然嫁に向けられる。特に母は口八丁、手八丁であったから、常に自分の存在が中心でなければ気が済まない。私の言葉尻をとらえた言葉の攻撃が容赦なく降りかかった。私は自分の自宅でありながら居たたまれず家を出た事もあったが、いつも周りの友人や娘達が励まし支えてくれた。今にして思えば、それほど苦しく辛い日々は、未熟な私の人間形成に大きな役割を果たしてくれた、と深く感謝している。
今はその両親も夫の許へ旅立ち、それぞれの年忌法要も済ませているので、至らぬ嫁のことは大目に見てくれていると思っている。
生まれた時は父母、祖父母が居て、弟妹が出来て成長し、結婚。結婚した時も義父母が居て義弟妹が居て、子供が出来て離婚。その時は子供と二人でしたが、子供を養う事で頭がいっぱいで、二人でも少しも淋しくありませんでした。
10年後、縁あって子連れ再婚で三人になりました。三人の幸せな生活が6年続き、子供が就職で家を出ていって、二人きりになりました。二人きりの生活は10年に及び、幸せでした。
ある日突然、夫の入院。二ヶ月の入院で退院が目前の夜中、2度目の発作で病院から6~7分の我家から駆けつける間もありませんでした。この日から私は、ほんとうにひとりぼっちになってしまいました。気が動転している内に、各々の儀式は終わっていました。その間、自分が何をしていたのか、あまり記憶にありません。
5年程、車いすでしか戸外へ出られない夫に、私の出来うる限りの事を、と週五日のパート(7~13時)をしながら行動を共にしましたので、夫の亡くなった後、あれをしてあげたかった、これをしてあげたかった、という事が1つもありませんでした。自分自身でも、よく務まったと思っています。
そんな、べったりした二人の生活でしたので、自分の隣に誰も居ない事がすごく淋しく、虚しく、不安感が大きく、このやるせない気持ちの持って行き場がない。泣いても、わめいても、もう誰も私のそばに居てくれる人はいないのが受け入れがたいです。頭でわかっていても心や躰が思うようにならない日が三年程続き、家にとじこもりの毎日でした。
十数年前、夫が急逝した。働きづくめの過労死だった。知り合って11か月目で結婚式を挙げた職場結婚であった。3人の子供に恵まれ、出張が多い職種で離ればなれではあったが、私を大切に想ってくれる優しさ、心の広い、温かい人であったので幸せだと思っていた。
でも、あの日から生活が一変した。心も乱れた。いつもいつもあの世に行きたいと思っていた。会いに行きたいと思っていた。泣き続けた。一年も泣き続けた。
一周忌、目が覚めた。娘の姿を見て目が覚めた。“不良少女”になっていた。気がつかなかった。側にいたのに…。いつも一緒にいたのに…。
生き抜かなくては!! 明るく、前を向いて、子供達が一人前になるまで、結婚するまでは、元気に生き抜かなくては!!「笑顔の明るい君が好きだ」と言ってくれた夫。夫の分まで生きなくては!いろいろ模索し、考えた末、大好きな子供相手の仕事を選んだ。私の原点「子供達に笑顔を!」。45才の再出発であった。
愛犬も家族の一員となり、我が家に笑いが戻ってきた。子供たちは皆、社会人となり、悩み、苦しみ、仕事が忙しくても無理をせず、割り切りが上手になり生き抜いてくれた。父親の教えだろう。自分を大切にし、周りも大切にする優しさも身についていた。笑いと、強さと、人としての優しさを持ち合わせて、それぞれ家族を持ち、三人は成長した。
まだまだ、いろいろな事がある。親としての助けも必要だろう。でも、いつでも前を向き、逃げずに立ち向かっていく強さで生き抜いていける。笑顔でいると…。皆でつながっていると…。そうだよね!
60代死別後、寂しい
1人になってからは家の中で閉じこもりになり、性格も暗くなった気がします。このまま一生を終わってしまうのかな。友達ともあまり会うことはありません。
昨年、主人を亡くして色々と大変な思いをしました。友達と話したり、近所の方と話したり、人恋しくなっています。孫が2人市内に住んでいて、時々遊びに来てくれます。
主人に2年半ほど前に先だたれ、寂しい思いをしております。男性、女性問わず、友人をつくりたいと思っております。
夫を亡くし15年を経過しましたが、やはり寂しさは否めません。自然の美しさや芸術鑑賞など、共に側で味わう事の出来る人が居たら、どんなに幸せだろうと思います。40代の娘が二人おりますが、娘には娘の人生がありますので、親として負担はかけたくありません。
夫が逝って一人になり、八か月過ぎました。子どもはいないし、姉、妹は疎遠ですので、本当に誰もいないと同じ。覚悟はしていましたが、元来、淋しがり屋なので、淋しくてつらいです。
一人暮らしになって1年8か月たちました。少しずつ生活にも慣れ、一人暮らしの気楽さを実感したり、寂しさにいたたまれなくなったり…。こうやって慣れていくのかなぁと思っています。
主人が他界してから3ヶ月以上たちましたが、一人身の寂しさをひしひしと感じています。主人の存在が、私にとっていかに掛け替えのない存在だったかを改めて感じ、身につまされる思いを味わっています。日常の平凡な生活ができない辛さ…、一緒に食事ができない…、会話ができない…、寂しいですね。泣きたい時はがまんせず泣くようにしています。涙を流すことで少しは気持ちが安らぐように思います。
最近、66歳の最愛の夫を突然亡くしました。医療事故の可能性もあり、ただいま調査中です。失ってみて、これほどつらいとは。なるべく一日一度は外に出るようにしていますが、なにを見ても夫との思い出がわいてきて、つらくなります。今頃は、庭の畑を耕していたねとか。苗をたくさん作って、そろそろビニールハウスに移していたねとか。なにを見ても思い出があふれてきます。
家では、ぼーとして、かろうじて本ばかり読んでいます。息子が同居しているので、まだ何とかがんばっていますが。
独り生活が長くなり、ここ1、2年、秋の夕方になると異常に淋しさを感じる様になりました。軽いうつ病状態になり、このままではいけないと思っています。
主人が亡くなってから一周忌を迎えましたが、今だに前へ進めずに居ります。
八年前、夫が亡くなりました。五年前に、子ども達は私の元からそれぞれ巣立ち、私一人になりました。現在、職場と家との往復で何の変化もなく、友人もいなく、一人の寂しさを常に思い、日を暮していました。「生きるのってつらいなー」と。このままでは自分がくじけてしまう。
60代死別女性の退職後
私は定年退職して3年目です。このまま他人と関わったりせず、一人で静かに暮らす事に不満がある訳ではありません。が、反面、もう少し生活に張りがあっても良いのでは?と思う気持ちもどこかにあります。
ずっと旅行が大好きでした。「旅行がしたくて働いてるのよ!」などと、堂々と公言してた位です(笑)。
今は、年金生活に合わせて(数年あるけど)…大分制限しています。その分、お家の中で出来る事(本を読んだり、毛糸を原毛から紡いでみたり、小物を作る手芸、編み物など)をして、毎日の~んびりと暮らしています。
最近考えている事も含めて記してみます。子供達も成長しまして(長女は45才・長男42才)それぞれ家庭を持ち健康に過ごしております。1人暮らしも23年位になります。
主人とは33才の時に死別しまして、それ以来仕事をして参り、忙しさもありましたが、充実して過ごしておりました。
退職後、自由な時間を来る日も来る日も楽しんできましたが、最近、何とも言えない寂しさを感じる事が多くなってきました。健康で暮らして、友人にも恵まれ、趣味も持ち、楽しく暮らしているはずなのに…。「小欲知足(しょうよくちそく)」と耳にした事があります。まだまだ ~修行が足りません⁉
一人になってからの時間はかなり長いです(5~6年)。まだ仕事もしています。これまでは、友人・知人とランチをしたりドライブに行ったりと、それなりに楽しんでいたのですが、この冬、寒さのせいかあまり出かける事もなく、休みの日、一日中、誰とも話をしない日が続いていました。
このままだと、仕事を辞めた後にこんな日が毎日続くのかと思うと、急に心細く、さみしさがつのってきました。
友人も子供や孫との付き合いが多くなり、話の内容も孫自慢ばかりで、孫のいない私としてはつまらなくて、あまり会わなくなっていきます。ますます一人が多くなってきました。仕事以外で楽しみを今から見つけないと、退職してからでは遅いのではないかな(あと2~3年で退職)。
39歳で夫が膵臓癌で亡くなり、その後父母を看取り、気がつけばもう60代。退職を機会に転居してきて、長女家族と同居しました。知人が少ないです。
退職してひまになりましたが、友達は皆、働いているか、家族がいて、つくづくこの元気さが困りものです。
夫が亡くなって20年以上経ちます。子育て、仕事と懸命に暮らして来ました。
10年前に地方から、子供達がいるこちらに転居してきました。子供は皆、結婚して、孫もいます。
この3月で私は仕事を退職しました。働いていた時は職場の友達がいたのですが、退職してからは、特にここには友達がいません。毎日、犬しか話し相手がいません。これじゃあいけないなー、これからの人生を楽しく過ごす友達ができたらいいなと思っています。
去年退職してからは、人と話す機会も減り、寂しく思っていました。夫は八年前、初孫が生まれて二十五日後に亡くなりました。折しもその日は夫の誕生日でもありました。
60代女性の死別後
私は七年前に主人を亡くし、四人の子供達もそれぞれの道に進み、四人の孫に恵まれ、今、倖せなのだと思っています。そう思えるまで、いろんな事がありました。人とのかかわりの中で学ぶ事がたくさんあります。
八年前、夫に先立たれ、独りになってしまいました。今のところ、会社勤めの末の息子と暮らしており、食事の用意だけはして上げています。毎日帰っては来ますが、母親と息子の会話は忙しさもあって殆んどないです。話すのは、パソコンで困ったときぐらいです。
夫を亡くしてから、ずっと悩みがありました。自分なりの判断ですが、人と話すことが少なくなり、声帯が弱くなってきているのを感じております。友人と電話で話したくても、定年のご主人が居らしたりで気をつかってしまいます。私には友人も、いるようで、立場が違うといないものです。
死別後4年目の春、一人住いの母が施設入所となり、田舎の実家の処分が私に託されました。4~9月までかかって、一軒の家の整理が出来ました(地元の友人、知人、親戚の方々のお力を借りて)。この5ヶ月間が私の自立と自覚を促してくれた様でした。
一人の生活も七年目になり、友人(ご主人のいる方)に誘われて出掛けても、いつも居心地が悪く、なんだか本当に楽しめなく、寂しい思いをしています。
夫を亡くし、五年が過ぎ、なぜか10kgも体重が増え、涙でむくんだなんて事無いし、言い訳としてはストレス太りかな。笑い合う相手が欲しいです。私ってチクッと笑わせるのが得意なのです。
私は主人と33年、結婚生活を致して居り、男の子二人に恵まれ、それはそれは幸福な生活でした。でも、主人が退職後1年で脳梗塞で他界。私は病気持ちになり、暗い生活が続きました。寝ても覚めても生きる張り合いをなくしてしまい、死ぬことばかり考えていた日々でしたが…。
こんな生活をして子どもの重荷になってはいけない、と気を取り直しました。外に出て、人と接する事をしなければ、と必死の日々。私に気を向け、親切にして頂ける人達にも出会いました。また、母の介護が私のやる気を起こしてくれたのでしょう。やっとやっと一人歩きが何とか出来る様になり、これからの人生(余生)を母の事を一番にと思う日々です。
今は何とか充実した日々を送って居ります。今年で満100才に成った母を、またもう一年、絶対ケガや病気をさせず守って行きたいと願っております。私の体力の続く限り、母と一緒にいたいと思います。
これからの季節、秋から初冬にかけて怖いほど孤独感に押し潰されそうになり、頑張れって自分に言い聞かせています。皆さんはどうしているのかしら。
窓から見える陽が山に落ちる風景が、また今年もこの季節が来たって怖くなります。何で私だけ、こんなに寂しいの。私が何か悪い事をしたと言うのって自問自答し、誰にも会いたく無く、外に出られない状態に落ち込みます。
二人の子供の独立、夫との死別、色々な事がありました。
特に、夫との別れがなかなか受け入れられず、立ち直るのに、とても時間が掛かりました。寂しさを紛らわせるために、カルチャースクール、資格取得、派遣社員等々、色々試してみました。
なかでも、老化防止の為に始めた『麻雀』にはまってしまいました。いわゆる『健康麻雀』と巷(ちまた)では呼ばれているものです。昔の悪いイメージとは違って、純粋にゲームを楽しむのです。同じようにマージャン大好きの方達と、週に1~2回集まって楽しい時間を過ごしています。
私は死別です。夫なき後、いわゆる‘女手で‘二人の子供を育て上げ、あっという間に、気づくと還暦を迎えて越しました。
子供たちは独立。常々気にかけてくれて、幸せだと思います。
私は趣味も持ち、楽しみもあり、贅沢はできずとも、健康で平穏な生活は得られています。
夫に突然先立たれてから2年半経ちました。兄妹も子供も無い私は、荒野に一人置き去りにされたようで、ただただ半年間泣き暮らしておりました。夫の姉妹夫婦と私の昔からの友人に助けられて、なんとか自分をとりもどしつつあります。
都会の友人に、そんな淋しい田舎に住んでいないで出ておいでと言われ、すぐアパートを借り、いつでも出かけてこられるようにしてから気持ちが明るくなりました。いずれ自宅を売却して転居するつもりです。
60代死別独身女性の思うこと
コタツに入ってボーっとする毎日。体重もふえるばかり。
この先どうしようかしら、春のきざしも近づいて来たのに何か考えなくては…と思っています。
人の一生を四季にすると、今の自分は玄冬です。
青春~緑多いキャンパスで出逢い、恋を知った日
朱夏~就職し、結婚し、生活を営むのに必死だった頃
白秋(錦秋)~長い間積み重ねてきた人生の終盤に、沢山の実りを手にする(はずだった)日
玄冬~雪に閉ざされ、家の中で1人とじ込もる日々
(白秋を私はあえて稲穂の実る収穫の秋、山々が紅葉する彩りの秋として錦秋としました)
長い長いトンネルの様な閉ざされた冬…
いつ春が来るかもわからず、身を小さく丸めて穴の中に冬眠する熊のように…
今はじっと春を待ちます。きっといつか、雪が融けて暖かい日差しが私にも差し込んでくることを信じて…。
夫が亡くなり2年経過しました。
家で話し相手がいなくなり、休日も仕事にでてしまいます。
近くに友人、知人もいないので、生活のきりかえが必要と感じます。
昔、読んだ本の中に、評論家の亀井勝一郎氏の言葉の一節があり、「人生邂逅(かいこう)し、開眼し、瞑目(めいもく)す」とあった。言葉が難しいので辞書で調べたら邂逅とは、めぐり合い、瞑目とは、安らかに死ぬこと、とあった。すなわち人生とは、さまざまな人に出合い、それによって目を開き、知恵や悟りを得、死んでいくという意味らしい。
24年前に交通事故で主人を亡くし、3人子供達を社会に送り出し、そろそろ終活を、と思いつつ…。
夫と死別してから10年が過ぎ、当初は自分の人生も終わったものと思い生活していました。70才目前の今、当時の苦しい、悲しい気持ちから解放され、果たしてこれで人生終わるのかな、終わっていいのかなと考えます。
スポーツクラブに通い、少しの読書をし、家族とも普通に暮らしていますが、何か満たされない日々を送っている様な気がします。
亡き夫の存在を改めて感じる今日この頃です。
田舎で3~4人で共同生活をしたいと思っています。おいしい空気を吸い、庭の隅に花を植え、朝起きたら、 花を見、そこから一日が始まる。色々な事が有るけれど、そこは大人。小さな事でも話し合いながら助け合い、 笑って楽しい生活を送れたらと考えています。
主人は息子と娘と私を残し、病気で天国へ逝ってしまいました。それから息子と娘の卒業・就職・結婚・出産・孫の世話と忙しい日々が続いて14年が過ぎました。
やっと少し落ち着いたこのごろ、これからは自分のことにいそしんでいきたいと思っています。
山の頂に立った時、海外の旅先で感動を味わった際、いつも、心の底に「こうして第二の人生になった、この時にこそ、楽しさをしみじみと共有できる伴侶の存在って大切だったのだな」と思います。訳あって、人生の途上でシングル生活になった人、共通の思いではないでしょうか。
お独り様会入会理由
昨年の7月に、夫が病死しました。
子供は3人いますが、みんな独立し、現在は、一人で暮らしています。
一人で家にいると、話し相手がいなく、とても、せつない日々を送っています。
初めてお独り様会に参加して会員の方々が色々と話しかけてくれて、この場所に来れば、さみしさが少しの間でも解消されるんだと実感しました。
仲間の存在が心強く、そして、気持ちを楽にしてくれました。
これからの人生、うじうじしてばかりいないで、皆さんに会って元気に過ごしていきたいと思っています。
再入会です。
同世代の方とお友達になりたいです。
主人が亡くなり2年弱、最近「前を向いて進もう」と思うようになりました。
いくつになっても、新たな友人との出会いは楽しいと思っています。
突然の夫との別れから2年が経とうとしています。
子供や友人、職場の方々に支えられながらなんとか日常生活は過ごしていますが、やはり寂しいのです。
心に穴が空いたままなのです。
これではいけないと思いますが、コロナ禍で外出もままなず、我慢の毎日です。
旅行やイベントなども中止、毎日もがいています。
夫が亡くなり13年になります。
長いような短いような年月でしたが、以前の知り合いとの交友関係にお互い気をつかうようになり、難しく感じることがあります。
自分らしく、楽しく過ごせるよう、多くの友人を作りたいと思っています。
主人を亡くしてから子育てに専念してきましたが、子供達が成人したため、これからの人生は同じような境遇の方々とお話しをしたり、第二の人生を楽しみたいと思い、入会させていただきました。
人生をまだまだ楽しみたいと思っております。
趣味は俳句、ダンス、グルメ散策など、カラオケ、お酒も好きです。
お独り様会会員様の寄稿から抜粋しています。
コメント