朝日新聞出版AERA(2024年12月16日発売)で紹介されました。

夫と死別した70代以上女性の本音~死別経験、寂しさ、友達、一人暮らしなど

70代以上の死別独身女性からいただいた本音です。
別の独身の方々の本音を読みたい方はコチラ

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目次

死別の経験~70代以上死別独身女性

元気印の夫が亡くなって、今年の秋で十年になる。あれから、もう十年とも、まだ十年とも思う。連れ添って四十五年、夫は一度も床に伏したことがなかった。
平凡なサラリーマン人生を誠実に歩み通した人だった。仕事が大好きで、定年後第二、第三の仕事先を見つけて来て、亡くなる三ヶ月前まで仕事をしていた。
小柄な身体で働いて働いて家族を守ってくれた。仕事の虫ではあったが家族想いの人で、出張先からよく電話をくれた。子供達は元気か。お前飯喰ってるか。忙しいからってちゃんと喰わなきゃ、などなど。
長男が赤ちゃんで泣きぐせのついた頃、夜、泣き止まない長男をおんぶして、夫は外へ連れ出してくれた。「お前、今のうちに寝とけ」と言って、長男を揺すりながら家のまわりを歩いていた姿を想い出すと、ありがたくて今でも胸の中があたたかくなる。夫は、一家の大黒柱であり、私の心の支えでもあり、恋人のような存在だった。
その夫が病気になった。胃がん。気がついたときは手遅れだった。長くて一年の命とか。
私の心の中で何かが壊れてくずれた。頭の中がモヤモヤして集中できない。考えると、やらなきゃならないことが押し寄せてくるのに、身体が宙に浮いていて動けなかった。
2ヶ月入院、7ヶ月自宅で私が看取った。自宅療養中のことは、言葉では言い表せない。一日一日と痩せ細って行き、今、まさに死に逝かんとする愛しいこの人に、何をしてあげることも出来ない人間の無力さを痛感した。
紅葉があたりの山々を美しく彩る晩秋の朝、夫は旅立って逝った。享年七十五才。
泣かないで生きてゆけ、子供達を頼んだぞ、じゃあな、じゃあな。落ち葉の降りしきる秋になると、ひらひら舞い散る落ち葉の向こうから、亡き夫のがきこえてくるような気がする。

6年前に夫に先立たれ、一時は谷底に転がり落ちたようで、なんとも言葉では言い尽くせない日々でした。支え合っている「人」文字の支えを失うとはこのようなことだと痛切に痛みを知りました。肉親等にも到底理解してはもらえず、孤独感の中で時間が過ぎていくのをじっと待っているだけでした。
幸い、これまで続けていたボランティアと娘家族に支えられながら、何とかここまで来ました。でも、やはり心の穴は容易に埋められるものではないのですね。

死別後~70代以上死別独身女性

今の私は、わが家の窓辺に寒さにも負けず毎日誇らしげに咲いてくれる花々に囲まれながら、花に向かって「おはよー、今日も綺麗ね、明日も元気に咲いてね」から始まります。
長年連れ添った夫でした。夫の二〇年に渡る闘病生活は一生懸命尽くしました。あんなに大変だった看病も、居なくなりますと淋しいものです。あれもしてあげれば良かった、これもしてあげれば良かった。あんなに尽くしたのに悔いはあるものです。
幸い、今の私は素晴らしい友人に励まされ、助けられ、生きて行く力を頂き、サークルにボランティアに生き甲斐を見つけ、なるべく友人にも迷惑をかけない様、前を見て、友人に感謝しながら、誰かの為に私の出来る事をしなければとの思いです。

独身満喫中の私。先日、ある本に目を通していたら、ニヤッとする様な笑える作品をみつけました。今の私の気持ちかなと…。そして先立った主人の思いかな…と。
他人の川柳拝借
・子は育ち 夫は先立ち いま青春 
・先に行き 待てど暮らせど 来ぬ女房

夫に置いて逝かれた当初五年間は、いつも胸に涙がいっぱい溜まっていて、丁度、水のたっぷり入った風船が何かの拍子にパッと割れるように、心が少し揺れると涙々でした。明日の予定など何もなく、太陽の光や車の音が恐くて引きこもっておりました。
13回忌も間近の今は趣味三昧おひとり様も良きかなの毎日です。しかし、限られた年金暮らし、いつ病気になってもおかしくない年令ですから、趣味などへの出費は極力控え目にしています。

年金生活で家は持ち家で、二階に次男夫婦と犬、隣に棟続きで長女夫婦と犬。私は一人で暮らしています。長女の子供(私には孫)はもう大きくて独立し、さらに子供(私には曾孫)が2人です。
私は健康な体で、一度69歳の時に風邪かと思って汗をかいたので「汗も」 と思った位で、病院に行った時には帯状疱疹がひどくなり神経痛に成り入院しました。病に疎いのが私の悪い所。今は血圧とコレステロールの薬を服用しています。
私は友達作りがあまり上手ではありません。主人は病歴「50年」で、享年77才でした。泣く事も、笑う事も、遊ぶ事も、楽しみも、私から取り上げ先立ちました。
その間、私の母親も9年間不自由な体に成り、世話をしました。私は働いている時もよく仲間から付き合いが悪いと思われて、いつしか一匹狼でいるのが気楽になっていたと思います。
今は自分の事のみ考えていれば良く、時間も有ります。振り返ると愛された記憶も薄く、人並みの生活もしておらず、今は転がり落ちる速さで年だけが流れ、あまりにも自分が可哀想と感じてしまいます。どこかで私に手をさしのべて下さる人に巡り合えるのではと期待しています。

死んだ子の年を数えると言いますが、私は夫が生きていれば今年で何歳、とよく数えます。夫が亡くなった七十五才まで生きられたので、あとは母が逝った八十九才を目標に、よく動き、よく食べ、よく眠って生きて行きたいと思います。

夫と死別してから十年になりました。
「貞女は二夫に見えず」
(ていじょはじふにまみえず)(古くてゴメンナサイ)なんて恐い諺(ことわざ)みたいに思い詰めて生きてきた訳ではありません。
四年近いうつ状態を脱してからは、趣味も楽しみ、ダイエットは明日からと食べ歩きで、あちこちのランチバイキングを制覇してはヘルスメーターの数字にハラハラしたり、バス旅行でリフレッシュしたり普通に暮らしています。
いくら、亡き夫の写真に語りかけても、仏様になった夫は何も返事をしてはくれません。だからといって、すぐに異性の茶のみ友達を、との流れにはなれません。亡くなった人は、さまざまな想いをこの世に残して逝ったのでしょうから…。

夫に死別した直後、急につかまる所がなくなり、悲しみと言うより不安と恐怖で混乱していました。当時私は今より体重が13kgも少なくて(今の体重はヒ・ミ・ツ)、顔色も悪く、大好きな化粧をするところまで気持ちが廻らなく、尖った顔の怖い顔で亡夫のことばかり考えていました。時折、友人がお茶に誘い出して下さっても、場所柄もわきまえず、いま自分がどれだけ辛くて悲しいか、夫がどれだけ優しかったかなどを繰り返し話していました。
ある時、そんな私の顔をジッと見つめて、友人が「また、その話?」と一言いいました。私はハッとしました。周囲の人達の優しさに甘え、会えば暗い顔で愚痴ばかり並べ立てる私に、友人達はうんざりしていたのでしょう。それでも私を勇気づけようと、言葉を選びながら気長に付き合って来てくれたのでしょう。何て恥ずかしい哀れな姿をさらし、友人達に迷惑をかけているのも気付かずにいたのか、何て馬鹿なんだろうと思いました。
手負いの動物達は、山の奥深くに分け入ってひそかに傷を治すという。私も自分の心は自分の手で癒やそう、と決めました。以来、四年近く友人達とも会わず、極力外出も控えて引きこもりました。こんな立派な理由ばかりではなく、世間を歩いている人達がみんな幸せそうに見え、自分だけが惨めで不幸に思えて、誰にも逢いたくありませんでした。
その間、気の済むまで供養三昧でした。朝・夕、お経を二種類唱え、炊き立ての白いごはんを丸めて供え、精進料理やおりく膳、亡夫が好きだった甘いお菓子、生花は絶やさず、大小さまざまな仏具で飾り立てた賑やかな仏壇の前で、心ゆくまで亡夫と語り合いました。
そして、ゆっくりゆっくり、もう夫はこの世には居ないんだと自分に言い聞かせながら、夫の死を受け入れて参りました。
元気を取り戻し、笑顔で人さまの前に出られるようになった今、あの四年間は私にとって必要な年月だったと思います。

暮らし~70代以上死別独身女性

東京と札幌を行き来しています。冬季間だけ東京に行っていて、春に札幌に戻ってくるので渡り鳥と申しております。東京では乗馬を習いに行ったり、ボウリング教室に参加したり、ツアーに出かけたりして過ごしています。

十二月の声を聞くと、私はクリスマスツリーを飾りつける。お星さんは一番てっぺんでしょ、次は十字架だったよネ、とぶつぶつ呟き(つぶやき)ながら飾る。
これはある日、押し入れの上の天袋を整理していたら、「クリスマス用品」とメモの張り付けてあるダンボール箱を見つけたのが発端だ。ひらいてみると、小さなサンタの人形や小人などさまざまなクリスマスグッズがひっそりと眠っていた。これは出して飾ってあげねば、とさっそくその年のクリスマスから飾り始めた。
80センチくらいのビニール製のツリーに、銀色の鐘や鈴、たくさんの小人さん達やサンタの靴などいろいろぶら下げていると、子どもが小さかった頃に戻ったようでワクワクしてくる。「お姉ちゃんズルイ!ボクがサンタさん飾りたかったのに…」と涙目の長男。「あんたはお星さまでいいでしょ。一番でかいもの。お母さんは小人さんネ」。こうしてひとりで飾り付けていても、お姉ちゃんぶって仕切る娘の声や、半べそでサンタさんを取り合う子供達の声が聞こえて来そうで、何とも言えず幸せな気持ちに満たされる。
二時間近くかかって飾り終えると、銀色のシートをかぶせたダンボールの上に雪に見立てた棉花を散らして風除室に据えつける。
LEDの電球は寒そうなので、昔通りの暖色系の豆電球のコードをツリーに巻きつける。コードを郵便受けに通してスイッチ・オン、灯いた!! 赤、青、ピンク、クリーム色などの電飾がパッパッと点滅する豆電球の灯(あかり)がガラス戸越しに外の雪景色に写って、この世のものとも思えない夢のような幻想的な世界になる。きっと、こんな夜にキリストさまはお生まれになったのネ、とクリスチャンではないけど自然と手を合わせてしまう。
と、まあこんな風にひとりクリスマスを楽しんでいます。

老人福祉センターで、お月謝を支払って週一回ずつ二つの習い事に通っています。その発表会が酷暑の中、五回あり、暑さにもめげず出歩いていました。
こうして外様を楽しんでいられるのも、夫が亡くなって奥様を廃業、おひとり様になってしまったおまけです。
着物を着る時、やれ腰ひもが足りない、この帯は合わないとブラジャー一枚、裾除け(すそよけ)ひとつで、タンスの置いてある和室と姿見のある洋間を走り廻る。もしそこに夫が居て、テレビでも見ていたら、こんなあられもない姿は見せられない。こんなお気楽ができるのもおひとり様なればこそ。涙を封印して、只今、後家街道まっしぐらです。

自分のために~70代以上死別独身女性

カラオケ教室の発表会が終わりました。馬子にも衣装とか申しますから、当日は着物を着て出ました。こういう日にこそ着たいと用意していたマリンブルーに薄い紫の混じった地に、胸と前袖、前身頃と前後の裾に白いぼかしの色に包まれた赤いシャクヤクの花模様が斜めに入った訪問着。帯は黒地に金の蝶が飛び、重ね衿はシルバーのスパンコールにしました。髪は、前髪を高く結い上げ、えり足スレスレにありんこのお尻のような大きなマゲを付け、極道の妻(ちょっと古いですが)も引きそうなこれまた大きなかんざしを差して、格好だけは売れない演歌歌手が出来上がりました。先生から発表会に出るようお誘いがあった時、「嫌だ、イヤだ」と逃げていたのにこれは何?
私は、肝心の歌が今ひとつもふたつもですから、 観に来て下さるお客さんに、せめて目で楽しんでいただこうかとこのような超ド派手な着物姿になりました。趣味の世界は、限りなく自己満足の世界とか言われています。カラオケの世界も例外ではないでしょう。90名近い出演者の皆さんも、タキシード姿あり、振り袖姿あり、シンデレラ風ロングドレス姿ありと、この日ばかりは年齢を忘れてどっぷりと自己満足の世界に浸ります。平凡な毎日の積み重ねの中でこの一瞬の変身ぶりは、びっくり水のように波立った心を落ち着かせ、明日への活力ともなり、病みつきにもなります。
歌の出来、不出来は置いといて、唄い終えた後の何とも言えない達成感は、歌詞を暗記できなくて苦しんだこと、腹筋力の衰えで声が伸びず先生の厳しいダメ出しが辛かったことなどすべて忘れさせてくれます。この充実感があるからこそ「また来年も発表会に出てみようか」と懲りずに思うのでしょう。

主人と母の看護で長年過ごしました。旅行に行った事がありません。これからは楽しみたいです。

前向きに生きる~70代以上死別独身女性

町内会、協会、シルバー福祉などの役員をしており、忙しく楽しく動き廻っています。人が楽しく元気になることが嬉しくて、自分はガンバれるのです。でも、何もない日、長い夜など、時々とても淋しくなるのです。こんな時は、自分の話を聞いて話し合える人が側にいてくれたら嬉しいなぁーと思います。
若い頃から仕事一筋にガンバリ、二人の子供達は立派に独立し自宅を持ち、幸せな結婚をして、とてもうれしく思います。私はいつも人のためばかり忙しくしているので、息子の嫁さんに「お母さん、もう自分のために時間をつくって、もっともっと楽しんで下さいね」と良くいわれます。息子夫婦の仲は良く、本当に私は安心で幸せです。
私は少しずつ役員もおりて、自分の楽しみを見つけようとしております。

ほめほめノート
○月○日 朝五時起きで庭の雑草取り。一大決心だ。芝桜の中にツンツンと立ち上がってはびこるスギナ。地面を這って広がるハコベなどと格闘。増えすぎた芝桜を家の裏に移植。ダンゴ状態に増えた都忘れの株分け。伸びすぎたモミジなどの枝切り。腰が痛いと思ったら三時間も庭を這い廻っていた。あんたは、エライ!これぞ後家のガンバリ
○月○日 スーパーで冷凍イカが安い。大・小取り混ぜて並べてある。ダマされないわよ。目で見、手で重さを確かめて買った。解凍してみたらバッチリ。肉厚の良い品だった。主婦歴50年、伊達に主婦やってない。あんたは、エライ!
○月○日 これまた一大決心をしてガラス拭きをする。ベランダの大きなガラスが難物だ。今年は脚立に上った足がふるえる。ファイト!2時間でピカピカ。あんたはガンバルマン。
○月○日 リュックを背負ってスーパーへお米を買いに。今日はポイント10倍日、おまけに大バーゲン。主婦の血が騒いで大根、キャベツ、めんつゆなど詰め込む。結果、両手にも荷物。腕が抜けそう。やっと我が家にたどり着く。行き倒れなくてよかった。配達料ケチるのもユルクない。あんたは主婦の星
○月○日 朝、寝床の上で恒例のストレッチをする。左右に腰ひねり、片足交互に屈伸。それぞれ200回。首の運動。両手で頬のこすり上げ。アゴの筋肉こすり。鎖骨の窪みマッサージ200回。自称フルコースストレッチと称して自己流でやる。疲れていてやりたくない時、「死ぬまで若く美しく、ピンピンコロリでしょ」と呪文を唱えてムックリ起きる。

ある雑誌に、医者がこのようなことを書いておられた。子供の頃、どんな人でも誰かに褒められた記憶があるはず。年と共に誰にも褒められなくなると自分で自分をほめてあげる。それもオーバーなくらいほめちぎる。そうすると、気持ちも明るくなり、脳も喜んで、快楽物質のドーパミンを出す。これが長寿につながる。それぞれがほめほめノートを作って、自分をほめたい時にノートにメモすると良いとのことでした。私も早速ノートを作って書いてみたことをここに書きました。が、意外と自分をほめることって少なくて難しいと思いました。これからは、一つでも自分を褒めてあげられるような毎日を過ごして、ほめほめノートをいっぱいにして脳を楽しませ、健康寿命を伸ばしたいものだと思います。

廻って来た回覧板に老人クラブ入会のおすすめが載っていて、カラオケ部が出来たとありました。カラオケが歌えるなら、と心が動いて早速入会しました。
月に二回、例会とお楽しみ会があり、会の始まる前には血圧測定もあり、その後軽い体操をします。時には、交通安全のお話しを区の係の方が話されることもあり、いろいろ勉強になります。
お菓子やお弁当を前にしばし閑談。後は待望のカラオケタイム。皆さんいろんな歌を知っていて大きな声で歌われます。八〇代の方も多数いらして、ハツラツとして実に楽しそうで若々しいです。
忘年会では、私、踊らせていただいて、そんなに上手じゃない踊りにも皆さん大拍手でした。老人クラブって、ちょっと暗くて閉鎖的なイメージを持っていましたが、喰わず嫌いは人生の損と思いました。
ちょっと気にしていることは、皆さんのファッションがとてもシック(地味)なのです。黒、茶色、グレー、明るい色でもベージュ。間違っても赤などは着ません。明るい色の服が好きな私は、年齢に関係なく、レインボーカラー、中でも好きな色はサーモンピンク、オレンジ、赤など。はっきり言って私は浮いています。にもめげずこれからも老人クラブライフを楽しんで行きたいと思っています。

50年前の私。アルバムにいろんな思い出が一杯詰まっている。幼少から現在まで、さまざまな出来ごとが… こんなにも大切にしまい込んでいたのかと…。
自然の流れで楽しかったOL時代、そして結婚、子育てに専念、その後自分の時間にゆとりが出来、カルチャーに趣味に没頭できた。
あの頃に戻りたい、戻れない。この空しさ「わかって下さい」。今は、ただCDを静かに聴いている。時折の子供らの声かけは有りがたい。でも、やはり落ちつきはありません。「夫を残して先に逝けない」を口ぐせに言っていたのに、自分は、ホロ、ホロと涙で熱くなるのです。
さあ…!こんなことはしてられない。

新年早々から忙しかった。と言っても遊び(趣味)ですが…。
二月に日本舞踊のおさらい会があり、その舞台に向けて昨秋よりお稽古をしてまいりました。若い頃は、新しい曲をいただいても十回くらい教えてもらえればマスターできましたが、一年一年覚えが悪くなり苦しみます。脳の活性化と、健康の為に始めた趣味に、時には振り廻される状態。プロでもないのに私は、生意気にも先生の振り付け通りに只、手足を動かすのではなく、この曲の中の女性はどんな女(ひと)、この女(ひと)の気持ちはどう、切ないのか狂おしい恋をしているのか。その気持ちをどうやって表現して踊ってあげられるのか、と下手は下手なりに自分のレベルで納得できるまで躍り込みます。
そんな苦しいことばかりではなく、当日の着物と帯はどんな組み合わせ?かんざしはどれ、と先生と相談しているとワクワクしてきます。
○日は毛染、○日は理容室でお顔の大掃除、本番前日には美容院で髪の結い上げ、とカレンダーにびっしり予定を書き込み段取りする。一つでも取りこぼしのないように緊張して、当日を迎える、このプロセスが、案外頭の体操になっているかもしれません。

おひとり様になって、まだ日も浅いですが、明るく、元気に前向きに生きて行けたらいいなと思います。

主人と死別して10年目。いろいろな事がありました。ある言葉で、前向きに生きようと思いました。
“人に求めず自分を変えよう。すべてわが身の一歩から“。
チャレンジ精神で生活するように心がけています。

寂しい~70代以上死別独身女性

一人になって今年で23年になります。仕事一筋につっぱしって来ましたが、体を悪くして10年前に辞めました。健康になってボランティアのお手伝いをしております。楽しい事もなくて、このまま私の人生は終わりかと淋しく思っておりました。

私の人生、全て終りと思っていました。

独り暮しになり、気が付けばほとんど“会話”をしなくなっております。

今までは主人と行動を共にすることが多かったので、一人では何かと億劫で家にこもりがちです。

夫と死別、娘の近くに引越しをしてきました。慣れない都会のマンション生活にしばらく落ちこんで居ましたが、これではいけないと思い、卓球などに行き始めました。でも、家に帰ってくると一人で、早く夫の所へ行きたいと何度も思います。

一人になると淋しいのはなぜでしょうか。

昨年主人を亡くしまして、一人淋しい想いでおります。

同じ立場の人と~70代以上死別独身女性

2年半前に夫と死別し、子供はなく、86才の実姉と同居しています。やはり何か寂しさがあります。もっと友達がいたらと…。いろいろな趣味はしておりますが、サークルの人達とはお話はゆっくりしません。

よき主人に旅立たれ7年にもなります。一人で暮らすことはさみしく、とても不安です。子供には子供の生活があり、私には私の生活があります。健康でいる為にも、やはり精神的にも、同じ境遇の方々と交流を持ち、本当に私の人生は最後まで良かったと思いたいです。

共感し合える方達と食事をし、音楽・映画等を鑑賞し、語り合い、楽しい日々を送って行けたらと思います。

私の廻りには孫の話ばかりして自慢する人や、「子供がいたら孫は当然」と思う人が数多くいます。色々な集まりでも、すぐ孫の話が出ます。私には子供がいますが、孫がおりません。望んでみてもかなわない現実です。しかし、いなくても他に楽しい人生がありかと冒険したくなります。

町内会に老人クラブが発足したので入会しました。
町内会も老人クラブも夫婦参加者が大半です。良き事なのでしょうが、 私のような人間は仕事と病人の看病ばかりで周りの人達との生活ギャップが大きく、すぐに弾き出され、また自分でも孤立し辞めてしまいました。
今は、ボランティア活動にお呼びがかかればいつでも参加出来る様に、 体に気を付けて待機している所です。

思うこと~70代以上死別独身女性

後期高齢者になったどォー!と、叫ぶほどおめでたいことではありませんが、とうとう後期高齢者のお仲間入りをしました。テレビのサバイバル番組で海に潜ったタレントが、取った獲物を高々とかかげて、「取ったどォー」と叫ぶこのフレーズを聞くと嬉しくなってくるので使わせてもらいました。
とは言え、私の身辺にはあまり変化はありません。物忘れ、勘違いはいつものこと。ショックなのは、ロングブーツを履く時、玄関の上り框(かまち)に腰を下ろさないとファスナーを引っぱれなくなったこと。片足立ちでブーツを履き、颯爽と闊歩した2・3年前は、やっぱり若かったのでしょう。保険証の色が変わって後期高齢者医療保険者証と大きく書かれた文字を見ると、七十五才の今日まで、大きな病気もせず生きてこられたことは感謝です。
それにしても、このネーミングは味気なくあたたかみがありません。嫌いです。この制度の名付け親の一人とも言える教授も、かなり評判が悪いので長寿医療制度とかもうちょっと考えればよかった、と雑誌でおっしゃっていました。ぜひ、何とかしていただきたいと思います。

こんなことを書くと世の嫌煙家の皆様は呆れて、くちポカンかも知れませんが、私は亡夫の煙草を喫っている姿が好きでした。朝起きて一服、会社から帰ってソファーに落ち着いて一服、食後テレビを見ながらの一服と、それはそれは美味しそうに喫っていました。特に夏、家の周囲や庭の草むしりの後、冬は除雪の終わった後などに、ベランダの窓からきれいになった庭を眺めながら満足そうにプカプカやっていました。
そんな時、私も何やら嬉しくなって、熱いお茶に夫の好物の羊かんやどら焼きなどを添えてお相伴したものです。
もう、ずい分前に見たテレビドラマにこんなのがありました。その国では、法律で禁煙が定められており、もしそれに違反した者は罰金か刑務所入り、それを密告したものには褒賞金が与えられる、とあって人々はこぞって愛煙家狩りに熱中します。結果、その国では愛煙家は根絶されたかに見えたが、中にたった一人、どうしてもタバコを止められない主人公(確か津川雅彦)がいて逃げ回っていました。ヘリコプターの大がかりな追跡劇の末ついに捕獲され、檻に入れられ珍獣として見世物にされて終わりです。この時は、あり得ない絵空事として観ていました。
でも、今や一億総嫌煙の時代。すべての公共施設全面禁煙が法律化されたとかで、俄然このドラマが現実味を帯びて来たように思いました。私は煙草は喫いませんが、世の愛煙家の方々には切ない時代になりました。副流煙の害で責められたら弁解の余地はありません。
タバコ好きの夫は、早く死んでよかったのかも知れません。亡夫が好んで喫っていた銘柄はショートピース。両切りでニコチンも多く、強い味が美味しいと言っていました。箱は濃紫紺色で、金色の鳩がオリーブの枝か麦の穂をくわえている図柄が皮肉です。知らぬが何とかで、ヘビースモーカーの夫のそばで四十五年間ニコチン漬け。パート先の女子休憩室も煙モンモン。当時は、副流煙の害など喧伝されていませんでしたから、平気でお弁当をひろげ、煙の輪を吹きかける同僚を面白がって笑い転げていました。このダブルパンチにもめげず、今のところ私の肺は健康です。先のことは判りませんが。
人の世は、混沌に満ちています。嗜好もストレス解消法も人それぞれ。願わくは、時代よ、今少し愛煙家に優しさを!

60才に私は10年間里親を体験しました。そのきっかけは新聞に児童相談所の『里親が不足している』というニュースでした。孫がいないのと、小さい子供が好きという事で、応募しました。
面接し、登録し(当時亭主も賛成)、すぐに生後10ヶ月の男の子が我家に、その後、半年ごとに6ヶ月~3歳半の子供(男の子2人、女の子2人)を預かりました。寝食を共にし、夜に熱を出し病院に走り、クタクタになりました。
全部、訳ありの子達です。いま子供が不足しているにもかかわらず、親から虐待の子、戸籍のない子、スーパーから万引きして生活している子と、行き場のない子供が数多くいる事を知りました。
裕福が当たり前の世の中~子供を育てるには大変ですが、親の考え方一つで子供の生き方も変わるといっても云いすぎではないです。私も欠点だらけの親だからこそ云えるのです。後悔先に立たず…とね…。

友達が欲しい~70代以上死別独身女性

一人暮らし丸9年が過ぎました。
今頃、特に呑み友達、おしゃべり友達が欲しくなりました。

死別して一人で色々と心配なことなどあります。私は姉妹がいなくて一人で、同性の友達がたくさんほしいと思っています。
温泉が大好きで友達もいますのでよく湯治に行きますが、色々な方と一緒に行ければうれしいです。また、色々な方と交際してぼけないように予防して元気でいたいと思っています。
持病もありますが一病息災で、体は大変ですが、気持ちだけは元気で若く人生を過ごせればと思います。

私の周りには孫の年齢位の若い人達ばかりで、顔を合わせる同年代はあまりなく、寂しい毎日です。
今までのお友達は、それぞれ体調を悪くしたり、自分も体に自信が無くなったりで、このまま過ぎていくのは、やはりイヤです。気の合うお友達が出来たら幸いです。

夫の病気で引っ越してきて3年になります。昨年、看病のかいもなく他界し、1周忌も終わりました。
コーラス(地域)に入会しておりますが、心ない言葉に深く傷つき、終わった後の食事会にも参加できなくなりました。人を疑うことも出来ない、依存心ばかりの自分に落胆しておりました。個性集団は恐ろしく、そして、よそ者という感じで閉じこもってしまいました。

夫が亡くなって2年、家に閉じこもりがちでした。
食事に行ったり、おしゃべりをしたり出来るお友達がほしいと思っています。

主人が他界して15年になります。その間2人の子供の大学、就職、長男の結婚とめまぐるしい時代が過ぎ、ふと余生を考えた時、とまだ何かの関係を持ちたいナーと思いました。
パークゴルフ、旅行、音楽が好きで、同じ趣味の方々とお友達になれたらいいナーと思っています。

今一人になって、自分の想いを共有出来る人と、趣味や旅行、おしゃべり等々、一緒に楽しめたら、また、良い出会いが出来たらと思っています。男性でも、女性でも同じ年代の人達と友達になりたいと思います。

死別して今年で20年です。年月がたっている事もあり、寂しいとか退屈とかはありません。
今までは、習い事を通したお友達との交流がほとんどでした。別の角度から他人とのかかわりを求めてみるのも良いかもと考えています。好奇心一杯の私ですが、足腰の弱体もあり、参加出来る行事は限られます。でも、余暇をより充実させたいと考えています。

いつもテレビばかり見ています。お友達が出来て、お話ししたりして楽しく過したいと思います。

夫を亡くした後、 さまざまな思いを心の中にしまい込んで生きて参りました。
この想いの一端を誰かに聞いていただけたら、と思っています。

主人が他界。今まで仕事していましたので別に淋しさを感じませんでしたが、これからは話し相手ができれば、また違う人生があるのかなと思う様になりました。
友達で良いので、旅行に行ったり食事したり、多数の人達と話し合えるのも楽しいかなと思います。

お独り様会入会理由

昨年の年末に主人を亡くしました。
誰かと話したくて入会を決めました。

3年前に主⼈が亡くなりました。
3回忌も終わり娘2⼈も嫁ぎ、独りになり、⾃分の⼈⽣を有意義に楽しく過ごしたいと思い⼊会しました。

職場のスタッフは皆若い人達ばかりで、同世代の方となかなかコミュニケーションを取る機会が無い為、勇気を持って参加させて頂きました。
この会に入会し、今後の人生が少しでも潤う事を期待しています。

主人は病気で亡くなりました。
独り暮しは会話もなく、旅行に行くのも一人なので、気の合う仲間がいたらコミュニケーションをしたいと思い、入会致しました。

お独り様会会員様の寄稿から抜粋しています。

お独り様会

独身の「友達」を作ることから始めませんか

独身者限定で、同性・異性の友人作りを目的とした会です。

未婚・離婚・死別の方々が「友達をつくりたい」「結婚相手を見つけたい」「同じ独身の方と気持ちを共有したい」などの目的で入会し、会報、LINE、オフ会、オンラインコミュニティサロンなどを通して日々交流しています。

会費:月額1,980円
20~34歳の女性は無料

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 「ニフニマミエズ」
    これは貞淑な女性であれという義務、命令、しばりから生まれたのか、或いは男性の独占欲の表れなのでしょうか。
     私はただ、亡くなった夫以外の男性に私たちの関係や思い出を邪魔されたくないのです。夫以外の男性に割り込んで欲しくないだけです。
    これも独占欲というのかもしれません。

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