離婚の原因は人それぞれです。
ここでは、離婚された独身の方の離婚原因や経験談をご紹介します。コミュニケーション不足、浮気・不貞行為、モラルハラスメント、親せきづきあい、金銭問題・ギャンブル、性格の不一致、病気、DV(ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力)といった様々なエピソードが綴られています。
離婚はコミュニケーション不足から
20代女性
7月に離婚しました。現在、2歳の娘と二人で生活しています。
主人とは価値観の違いやコミュニケーション不足、そして私の努力不足もあって、別々の道を歩むことになりました。
ずっと続くと信じていた結婚生活がわずか3年5ヶ月で終わってしまい、後悔や悲しみなどの色々な思いが複雑に混じりあっていて、日々心境が変動している現状です。まだまだ心の整理がついたとは言えませんが、この辛い経験を無駄にしないよう、自分のためにも娘のためにも前を向いて生きていきたいです。
もう一度結婚したいというのが最終的な希望ですが、まずは1日1日を明るい心で過ごし、そしてたくさんの人と関わりを持って人間関係を広げていきたいと思っています。
40代女性
とても好きになって結婚しましたが、言いたいことを言えずに上手くいかなくなって離婚しました。
生活を一緒にするのですから、結婚前にいろいろ話し合うべきでした。
もともと自分に自信がなく、自分のことをあまり話せない性格でした。
現在は両親と暮らしていますが、仕事が休みの日などはとてもさみしいです。
お花見のニュースなど家族づれを見ると楽しそうで、うらやましいです。
孤独な胸のうちをわかってくれる人達とお友達になりたいと思います。
40代女性
結婚のため他県で生活していました。
新しい環境で新たな人間関係を作る事が大変で…。頼りにしていた夫も仕事が忙しくなり、孤独を感じるようになりました。
子供が生まれて仕事を辞めてからは、ますます孤独感が募り、精神的に落ち込む日々でした。
故郷で生活できたら、以前のような楽しい日々が戻ってくる、と移住を希望しましたが夫からは良い返事がなく、それから関係に溝が深まり、最終的に離婚という結果となりました。
しかし、故郷に戻ってきても、昔と同じ楽しい日々ではありませんでした。
一人で子どもを育てていくのは大変ですし、子どもとしか会話がないというのも空しいので、同じ境遇で分かりあえる方たちの仲間になりたいと思っています。
40代男性
長女が進学して、次女が進学する年に私も転勤が決定した。一家4人別々に生活するのは厳しいと思い、住み慣れた所を離れたくない妻を説得して引っ越してきました。
しかし、慣れない環境、友達もいない、学費のために仕事をしなければならない…と精神的にかなり追いつめてしまったようです。半年で離れ、元気になったら戻って来てもらおうと考えていたのですが、離婚となりました。
40代男性
仕事を優先して家庭内を任せっきりだった事、一家の中に子供二人ともう一人の子供(私)がいた生活で、気づかってやれなかったのが積り積もっての離婚です。
私は、妻の手の平の中で泳がされていたと思っていましたが、妻の思うところを何ひとつ分かっていなかったと気付きました。≪時すでに遅し≫で今は一人で住んでいます。
50代男性
別居してから12年がたち、彼女は数年前から別の男性と同棲状態となりました。
子供たちも成人と相成り、お互いこの辺でという事で除籍しました。
50代男性
単身赴任を長くやって妻とだんだん疎遠になって来て、お互い必要を感じなくなっていました。
末の娘が大学に入学し子育てもめどがつき、お互いもう良いねと離婚を決意しました。
50代男性
12年前に独立して、会社が軌道に乗るまで、がむしゃらに前だけを見て走りました。
生活の安定と家族の為に、後ろを振り返る余裕なんて有りませんでした!
仕事も軌道に乗り、少しだけ余裕が出来たときに、後ろを振り返ったら誰も居なかった!
家族との距離が、余りに離れて、修復なんて出来ないくらい!
これからは、ゆっくりと前に歩いて行きます(^-^)
50代男性
私が相手を思いやる事が出来なかった。「ありがとう」や「すまない」と思った事があっても、口に出さない、表現をしなかった結果のすれ違いです。阿吽(あうん)の呼吸はそれを超えるものと錯覚していました。
たった一言が人を傷つける。たった一言が人を癒(いや)す。言葉の大事さを今さらながら思います。
50代男性
お互いに協力して家庭を築く過程において、小さなことから徐々に溝が出来ました。
やがて修復する労力より、失われるものが大きくなり…。
60代男性
昨年11月に妻と32年余りの夫婦生活にピリオドを打ち、60歳定年退職後、オーダーがあって前の仕事に少し就業した後、こちらにやって来ました。
今は年金生活に入ったところです。前妻との間には、2人の子供(男女)がいて、それぞれ大学を出て社会で働いています。
離婚に至ったのは、妻との間でお互いの考え方の違いや、思いと行動で誤解を生んで、生活の中でコミュニケーションが疎遠になり、結果、円満協議熟年離婚という形になりました。大人になった子供達も私達の関係を理解し、結果に賛成してくれ、現在に至っています。
離婚後は、子供達とは親子ですからメールのやり取りで連絡を取り合っています。前妻とは、友人という関係を維持しつつ、子供のこともあるので、時たま近況等を連絡しあっています。
最初は住宅(中古住宅)のインフラ環境整備や生活の基盤整備でバタバタしながら時を過ごしました。その間、従来からの趣味の山登りを続けるべくシニアの山登り同好会に入って活動を始めています。
離婚は浮気・不貞行為から
40代女性
まさか突然の離婚が起きるとは考えてもいませんでした。
私は彼と農業を営んでおりました。彼はサラリーマンを辞めて新規就農2年目に私と結婚。私のひと目惚れでした。お互いを深く知らないまま、「一緒にいて楽しい」。電撃結婚です。
結婚生活10年目を迎える年で、子供はおりません。年齢差は16才。私42才、彼58才でした。
離婚原因は不貞行為(風俗店通い)が発覚したのです。
結婚5年目以降、秋から春先の忙しくなる前、映画、コンサートへ独りで遊びに行くと言い、ついでに風俗へ。結婚してから始まった話ではなく、サラリーマン時代から行っていたと本人から告げられました。もう風俗依存、常習者だったのです。
ですから、バレてしまったら謝るどころか逆に開き直り、反省の言葉などありませんでした。
10年間、慣れない仕事を始めて、二人で切磋琢磨ひとつの目標に向かって、彼を信頼し続けてがんばってきたのに。
ショックで夜も途中で目が覚めたり、物事に集中出来なかったり、魂が抜けましたね。
無気力というのか。何から考えを整理して、これからの人生をスタートさせたら良いのか。今は仕事探しよりも、心の傷がまだ癒えませんので、自分が楽しめる事や心地良い場所へ出掛けたり、気持ちを楽(らく)にして一日一日を大事に送っています。
40代女性
離婚して早13年が経ちました。
浮気して家に帰らず、お金も入れない夫との生活でボロボロになっていた時、親友の「自分が幸せでなかったら、周りも幸せにできないでしょ」の言葉に離婚を決意しました。
裕福ではありませんが、母子2人で支えあって幸せな日々を送っています。
50代女性
同じ道を誰かと一緒にのんびり歩きたくて、遅ればせながら結婚。
彼も初めはそのつもりだったようですが、気がつけば、他の女性と歩いていました(笑)。
結局一人が一番!と思い至り「おひとり様歴」はや6年目。
一人で判断し、一人で決着をつけることは、しがらみもなく気楽なようですが、その反面、指摘されないことで、自分勝手な判断が正しかったのか、或いは他者の意見を知る機会をなくしているのではないかと、不安を感じることもしばしば。
また、職場と塒(ねぐら)を往復するだけのメリハリのない毎日に、年齢的な疲労感だけではない疲れを感じる今日この頃です。
人生はもうとっくに後半戦に突入していますが、まだまだ知らないことがたくさんあります。新しい仲間作りをして、忘れることの方が多い脳みそへの刺激にしたいです。
60代男性
69歳の男子です。30数年間の独身生活を今日まで送ってまいりました。
いつの日か良い女性とめぐり逢いたく、今日まで1人淋しく過ごして来ました。残り少ない人生にもう一度、幸福な生活を心から望んで居ます。
私の過去の妻は、私が冬期間仕事に行って留守をした時にヤクザと肉体関係を致し、それが原因で離婚しました。私は大型トラックの運転手や土木作業員をして来ましたが、今は腰を悪くして失業の身です。どうか結婚を前提として、心の優しい女性を求めて居ります。
私は短気ですが、竹を割った様な男です。そして面倒見が良く、子供が大好きな男です。
モラルハラスメントで離婚
30代女性
20代の頃に離婚経験があります。離婚の原因は主人のモラルハラスメントでした。まだモラルハラスメントを知らない方も多く、「我慢が足りない」と思われる事もありました。自分が被害者になり、結婚する前に気付けなかったことなどを後悔しています。子供はおらず、人生をやり直したいと思っています。
今は交際して3年になる恋人がいます。相手の方も離婚経験があります。私は、いつかはもう一度結婚したいと思っていましたが、相手の方は二度と結婚はしないと言う意思は変わらないとの事でした。自分の人生を真剣に考える今、結婚は諦めて好きな人と生きて行くのか、別れを選んで結婚を目指すべきか悩んでいます。
親の気持ち、子供を産める年齢なども考えると、のんびりもしていられません。一生独身で生きるとは、どのような事なのか? 結婚の意味とはなんなのか?いろいろな方の考え方や経験を教えて頂きながら、自分と向き合いたいと思っています。
親せきづきあいで離婚
40代女性
20代前半で恋人の死。30代前半で離婚。当時は「絶望」という暗闇をさまよっていました。
しかし、人生どん底まで落ちると、光の見える所まではい上がっていくしかありません。
人生とは学びの場。私は体験を通して自分自身を客観的に分析できるようになったと思います。
結婚生活は、親との同居はありませんでしたが、相手の一族にうざい「おひとり様」(独身皆様がうざいという意味ではない)というおまけが付いておりまして…。その「おひとり様」をめぐる夫婦喧嘩がありました。
「病気になったら看病をしない訳ではない。死後供養をしない訳ではない。今は私達夫婦の生活をそっと見守っていて欲しい。干渉させないで欲しい。」
私は夫にそう訴えましたが、理解されませんでした。
50代男性
妻とは、互いの実家に行ったとき、帰りの車の中でいつも言い争いが絶えなかった。
結婚は家と家との付き合いなので、どうしても習慣・考えなどが違うが、どちらかが妥協するしかないと思う。
お盆のある暑い日、わたしは結婚してから今までの不満を妻に何時間も話した。お互いに泣いていた。そして、どうしても埋めることができない溝ができてしまう。
私は後悔したが、どうしようもなかった。
金銭問題・ギャンブルで離婚
40代女性
4年前に離婚し、子供はいません。離婚の理由は、元夫の事業が失敗し、当時、私も自分で仕事をしていた事もあり、私に迷惑がかかるからという理由で離婚に至りました。
50代女性
離婚して8年になります。
前夫はパチンコがやめられず、私が考えられないような金額を使っておりました。
そのため、反抗期の息子二人にどのように接していいのか分からなくなった私がいくら相談しても、一緒に考えてくれる事はなく、自分だけ出かけてしまうような人でした。
仕事もリストラになり無職となっても、一生懸命、仕事を探す事もなく、私をあてにして、変わらずパチンコ通いでした。息子達も父とは話す事もなく、離婚はあっけなく決まりました。
しかし、そこに至るまでの私の葛藤は何年も続きました。
50代女性
生まれも育ちも東京。人生順調にいくはずだった。ところが、転職を繰り返す夫が事業に手を出し、挙句事業失敗の末、自己破産という、全く想像しなかった結末に。当時高校生だった長男に背中を押され、離婚。以後二人の子供の親権を取り、一家の大黒柱となる。この春長男が就職し、大学生の二男が社会に出る(と祈る)。
趣味は旅行。一人でツアーに参加したり、車(マーチ)を走らせて、おいしい物を食べに出かけたりもする。
「一人で行って楽しいの?」と聞かれることもあるが、「大勢じゃなきゃ楽しくないの?」と逆に聞きたい。のんびり温泉に入って、全てのストレスから解放され、何にも考えないでぼーっとしている時、各地でおいしい物やお店を発見した時、本当に至福を感じる。
人生は限られているから、これからの残りの人生は、楽しく穏やかに過ごしたい。両親を見送って、しみじみ感じている。
50代女性
5年前、私の人生設計において まったくの想定外であった離婚を経験しました。夫のリストラという現実。私には絶対に受け入れられるものではありませんでした。
これからの生活をどうしよう…世間体…いろいろなことが頭の中をかけめぐり、とにかく私ががんばらなければ…とパート、新聞配達と仕事をいくつかかけもちで働くも、当の夫は職探しもままならず、お酒を飲んで何もせずに私の帰りを待っているというあり様。
家事のひとつも手伝ってくれたら…「新聞配達、おれも手伝うぞ」と一言でも言ってくれたら…こうしてくれたら…ああしてくれたら…という思いでいっぱいになり、ついに私もがまんの限界がきてしまいました。「言わなくてもわかってくれる。思ってくれる」と待ち続けた日々でした。
今、5年が経って冷静に考えてみると、やはり思いは言葉にしなければ伝わらないというあたりまえのことに気づきはじめています。
言わなくてもわかってもらえる事が美徳と思って、いい子ぶっている自分が常にいたのでしょう。25 年間の結婚生活の中で、本気でぶつかりあった事が一度もありませんでした。ぶつかりあわなかったから、彼の本当の姿を知ることもできなかったのでしょう。
50代男性
難病に罹患し、5~10年の余命と言われましたが、奇跡的に治癒しています。その間、サラリーマンを辞めて、インターネット関係の自営をしていました。
病気ではありましたが、金銭的な問題で徐々に夫婦間の関係も冷めてきて、最終的には妻方の両親の強いすすめで昨年離婚しました。
60代女性
アウトドアスポーツに入れ込んで給料をもってこなかった夫と別れ15年。子どもの教育ローンをようやく全部返しました。いきなり話がなまですねぇ。
趣味の時間はなかなかとれませんが、住み心地よくなった部屋にお気に入りの家具が増えるたびに「あぁ良かった、今が楽しい」と思います。
3人に2人の離婚率がイギリス。でも日本では、周囲を見ても離婚したお友達がいないのは寂しかった~。年ばかりいってますが、人生これからです。
60代男性
協議離婚をした。当時の私は多重債務で苦慮していた。そんな様子にあきれて妻は別居し、数ヵ月後に離婚届にサインをした。責任は百パーセント私にあるので、持っていた唯一の不動産(宅地)の権利証・実印などを妻に渡した。
私はゼロからの再出発をと考えて、翌年、裁判所に自己破産の手続きを自分一人で行なった。5ヵ月後にそれが認定され、肩の荷がおりた気分。ともかく金銭のことでは今後、絶対にひとに迷惑をかけないことを心に決めた。
70代女性
文書は苦手ですので簡単に書かせて頂きます。晩婚で四年間の結婚生活で離婚しました。原因は夫のギャンブル狂です。子供はいません。
わたくしは営業車に乗車して生計を立てました。ハイヤー会社に入社して、運転職員として働きました。その間、仕事のやりすぎでたびたび身体を壊しました。運転は十六年間位しか出来ませんでした。
そのかわり、念願の家を建てることが出来ました。ハイヤー会社の月給は低額で、家のローンを支払うのは大変なことです。今現在、年金暮らしですが、又これも低年金で大変な生活ぶりです。あまりの苦しさに人生につかれる時もあります。
趣味の家庭菜園は今年で十四年目です。百三十坪を借りていろいろな野菜を作って楽しんでいます。身体が健康な限り、続けて行きたいと思っています。
性格の不一致で離婚
40代男性
独り暮らしの48才です。一度結婚をしましたが、性格が不一致でダメでした。
仕事は楽しいですが、やはり仕事が終わって帰宅したら独りを感じます。
50代女性
53才女性です。3年前に離婚しました。原因は俗に言う性格の不一致です。
結婚当初からけんかが絶えず、これまでに何度も離婚しようと思いましたが、子供の事や経済的な面を考えると決断できなくて、ずるずると25年の歳月がたってしまいました。
今はストレスもなく、20 才になる娘と2人で穏かに暮らしています。
50代男性
別居14年の後、子供たちも成人した事で、2年前に離縁しました。
性格の不一致ということで、相手は出ていきました。
子供はそれぞれ別れ別れで育てました。かわいそうに思います。
60代女性
15歳で社会人になり、62歳まで無我夢中で働いて来ました。
子供達三人(男二人、女一人)を社会に送り出し、これからは少しゆっくり、のんびり、残りの人生を歩もうとしていましたが、夫と考え方があまりにも違い、別々の人生を生きて行く事にしました。
23年前に胃を全摘手術、卵巣摘出手術、盲腸と病にかかり、とても辛い日々でした。母、妹、子供達、友人に支えられ、今は幸せな日々を送っています。人間は一人では生きて行けないものですね。特に妹(看護師)には、術後のアドバイスを受け、心強い限りでした。
その妹も、同じ病で余命3ヶ月と伝えられ旅立ちました。現実を受け止め、前向きに生きて行こうと思った矢先の5年前、長男(35歳)が突然遺書を残し、自ら命を絶ち旅立ちました。
何も考えられず、毎日涙が止まりませんでした。親として、どうして気付けなかったのか、自分を責める毎日でした。
不幸は続き、今度は次男が不祥事を起こし、警察のお世話になり、3年半の実刑になり、何で、何でと言う事しか考えられず、精神的ショックでうつ状態になりました。何度、長男の所に逝こうと思ったことか。ただ、娘には私と同じ悲しい思いをさせたくなく、これ以上の悲しみ、悪い事は続かないよねと娘と二人で話をして、「これからはいい事ある。いっぱい」と言い合って過ごしています。
娘の元気、勇気、笑顔に助けられ、今は幸せに日々を送っています。平凡な毎日がありがたい事と日々感じています。これからは微力ながら社会に恩返ししていこうと思っています。
60代男性
単身赴任の中、定年受け入れ年齢(55歳)に達し、具体的設計のないまま、体調の不安、単身赴任の辛さの蓄積、愛犬の死去などの要因が後押しして退職願を提出、その後1年半かかりましたが受理されたのでした。この時期に至っては、僕と家族間の関係は崩壊寸前でしたが、つながる可能性も残してはいました。しかし、老後将来への想いのギャップと確執は続き、僕もお酒を飲む機会を減らすことができず、ひとまず別居、結局離婚となりました。
60代男性
現在は、両親から引き継いだアパートの管理をしており、毎日料理に手こずりながらも何とか自炊しています。旅行と露天風呂が好きなので、各地を回りました。
クラスメートなどから押しつけられ、中学・高校・大学のクラス会の幹事をしており、結構忙しくしています。スポーツはあまり得意ではありませんが、時々ウォーキングやパークゴルフをする程度です。
私は、病院の事務職をしていました。結婚は職場の政略結婚のようなものだったため、57歳で退職してから離婚しました。現在、2人の娘と3人の孫がいます。
60代男性
家族を引き連れての転勤生活、大きな転職、故郷へのUターン、失業保険生活、異業種への再就職、再度の転勤、またもUターン、単身赴任、これらの生活で何とかつないできましたが、中年以後の将来に対し設計らしきものを意識できず、浮草のような人生でした。的確な人生設計に基づいて家族を支えていくのが賢い家族のリーダーなのであれば、僕は失格だったのです。しかし、一抹の思いとしては、しばしば妻からくる突き上げのような将来像への具現要求には違和感を覚えたものでした。
再就職での生活が続き、子供たちの教育が終わりに近づいたころから、僕の中に自分なりの第2の人生に対する漠然とした希望が生まれてきました。それは、山村あるいは田園地域で、古い住宅があり愛犬がいて、来訪者を相手に少ない収入で自然に囲まれて暮らすという一般的な老後設計とはまるで相容れないものです。そこには妻と共生する図式はありませんでしたし、そんな心の一端を家族の中で話しても「何を考えているの」との反応だったのは一般的には至極妥当でした。
そうしているうちに、定年退職後の最終局面で、人的つながりから有機農家との縁を得てそこの作業に参加、付帯する里山の係わりという場面が発生、少しの収入にもなり、続けていました。その期間が5年を数え、ここを最後の人生を送る場所として移住を考え手探りしていたところ、願ってもない中古住宅が見つかり、昨年6月に小型犬と移住しました。
流転の年月でありました。現役のころから夢ではありましたが、一つの形として実現するとは半信半疑でした。
60代男性
私は結婚して三十余年、仕事柄単身赴任で、別居生活はその約1/2を占めておりました。そのため、妻そして私も結婚生活の頃からそれぞれ、お独り様であったのかも知れません。二人で居ることに「わずらわしさ」を感じると妻は申しておりました。離婚原因は世間でよく言われる性格の不一致でありました。ただ、一つの共通項は国内外を旅行することでありました。
夫婦二人であった一人から、今まさに完全なるお一人様。現在の生活は地域のシルバーの方々とボランテイアやパークゴルフをして楽しんでいます。人間一人では生きられない(人間とは人と人との間柄なのですから)。互いに助け合い、励まし合って前向きに、楽しく愉快に何より健康第一で生活していきたいものです。
病気で離婚
50代男性
離婚前、心に大きな傷を負い精神科にかかることになる。
私は休みの日は朝から酒に溺れた。心が壊れていたのでどうしようもなかった。
この状態での仕事は正直きつかったがなんとかこなしていた。
だが、精神科で告げられた病名は「アルコール依存症」、いわゆる「アル中」。かなりショックだった。
70代男性
31歳の時に結婚しましたが、9年半で離婚。理由は相手のうつ。精神面で極端に一日一日ちがう毎日でした。
DV(ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力)で離婚
40代女性
41歳になる女性です。32歳で一度結婚しましたが、DVを受け半年で離婚、現在は実家で両親、姉と暮らしています。
事務系の仕事から一念発起し、介護に転職して2年。至らない事が多いながらも、やりがいを感じ、何とか続けております。
しかし、心身に痛みを抱える事も多く、人間関係の悩み等もあり、休日でもゆったり過ごす事が少なくなって参りました。外で人と会う機会が持てず、趣味の交流が次第に減っていきました。仕事を長く続けるには、心に憩いや張りが持てないと、本当に辛いと痛感しております。
仕事や生活上の悩みは、心配をかけるため家族にはあまり話せません。
60代女性
(事務局注・離婚成立前にいただいたもの)
離婚調停に再度入り、子供達の連絡もなく、ただ仕事とアパートの往復で、心の中にポッカリと穴があいています。今は理解ある弁護士の元で、もう少しの離婚の時まで頑張っています。
長い間、経済的な暴力があったり、若い頃にDVがあったり、嫁、姑、小姑の争いがあり、合わない家庭にいて、大変子供達(長男、長女、二男)に迷惑をかけました。37年目にして、けじめをつける為に調停にまた立つ身です。
仕事をしながら暗いアパートに帰宅するのは、とても抵抗のある毎日です。まだ完全に1人身になっていない訳ですが、子供達が来るのを待ちながら1人で歩き出しています。
来るべき、お盆、お正月に1人で過ごす事は嫌です。似たような境遇の方と語らい、お茶を飲み、食事が出来、歩き、温泉に泊まれる。少し、あたたかなお酒を飲んでみたり、心から、あたたまりたいです。
お独り様会会員様の寄稿から抜粋しています。
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