2021年7月26日~ 文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で会員様の人生を紹介

大竹まことゴールデンラジオ

文化放送(FM・AMラジオ)の「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で、会員様5人の人生が紹介されました。
テーマは「今、シングルの私」。大竹まことさんの朗読です。

7月26日(月)放送 未婚 女性 34歳 たなかあゆこさん(仮名)埼玉県

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たなかあゆこさん のストーリー(テキスト)※クリックで開きます。

たなかあゆこさん。34歳。埼玉県久喜市で生まれ育ちました。

27歳の時に始めた婚活で、自分に足りないものは何だろうと考えるようになりました。

あゆこさんは大学時代、国際問題に関心を持ち、様々なことを学びますが、将来の目標が持てず、就職活動はうまくいきませんでした。
大学卒業後は職業訓練所に通いながら介護福祉士の資格を取得、しかし、自分にはどんな仕事が向いているのか悩んでいました。

そんな時、母に誘われて占い師のもとをたずねます。看護師に向いていると言われたあゆこさんは25歳の時、思い切って看護学校を受験。結果は不合格でした。

あゆこさんはその後、中小企業のOLとして働くようになりました。
仕事は、申請書などを作ったりする簡単な事務です。
忙しくないし、最初は、楽だなって思ってたんですけど、新入社員が入って来てだんだん、このままでいいのか、迷うようになったんです。
20代も後半になると結婚や出産を迎える友人たちが増えました。
友人のFacebookを見ると夫や子供と一緒に写る、幸せな家族写真が目につきます。

あゆこさんの両親は昔から夫婦げんかが絶えず旅行に出かけても父親の姿はありませんでした。
家族との楽しい思い出が無いあゆこさんは、好きな人と結婚したいという気持ちになることはなかった、と言います。

しかし、友人の幸せそうな家族写真を見ているうちに、このまま一人でいたくない、と思うようになりました。
あゆこさんは積極的に婚活パーティーに参加しますが、パーティーでいざ男性と会話が始まっても話は盛り上がりません。
男性から、どんな仕事をしているんですかと聞かれても、自分はこんな仕事をしていると、自信を持って言えないんです。
おとなしそう、優しそうだけじゃなくて、しっかりした女性になりたいと思いました。

あゆこさんは昔、占い師に言われた言葉を思い出し、再び看護学校を受験します。
あゆこさんは何かに挑戦することで自分を変えたいと思っていました。
しかし、2度目の受験も不合格。

あゆこさんは勤めていた会社を退職し、受験勉強に取り組みます。
大学受験を経験していたため、勉強することに大きな不安はありませんでしたが、中学生のテキストからじっくりと復習しました。
苦手だった面談は、塾に通って指導を受け、合格を目指します。

翌年31歳で看護学校に合格したあゆこさんは、看護に必要な知識を身につけるために講義を受ける日々を送っていました。
周りを見ると10代の学生が多く、自分は周囲になじめていないんじゃないかと、入学当初は人間関係に悩むこともありました。

そんな時は、わたしは看護師の卵なんだ、気持ちを切り替えて学校に通いました。
でも友人に子供が生まれたって聞くと、婚活もしなきゃと焦ってしまうんです。
病院で実習も始まって集中しないといけないのに。
今、ちょっとから回っているかもしれません。

あゆこさんは何か起きたとき、自分とむきあって話し合いができる男性が理想です。
結婚したら、幸せな家庭を築いていく、そのためには、自分に自信を持つこと、あゆこさんは悩みながら変わろうとしています。

(音楽)

あゆこさんは4年前、NPO法人が運営するお独り様会の会員になりました。

お独り様会では、独身者の同性や異性の友人作りを支援しています。
毎日LINEグループでおしゃべりを楽しみ、事務局や会員有志が主催するオフ会で交流しています。
ご関心のある方はホームページをチェックしてみてください。

今日、お聞きいただいた曲は倉木麻衣さんの「Feel fine!」でした。あゆこさんが高校時代によく聞いていた思い出の曲だそうです。

7月27日(火)放送 離婚 男性 57歳 おおたまさひこさん(仮名)三重県

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おおたまさひこさんのストーリー(テキスト)※クリックで開きます。

おおたまさひこさん、57歳。三重県伊勢市で暮らしています。

15年前、離婚と同時に会社を辞めたまさひこさんは、自営業者として働きながら人生を謳歌しています。

まさひこさんは大学を卒業後、OA機器メーカーに就職しました。
営業マンとして忙しく飛び回る中、ある取引先の事務員だった女性に一目ぼれ。
猛アタックの末、まさひこさんは翌年26歳で結婚します。
バブル期の当時、営業マンといえば昼間の仕事が終わると夜は接待が続き、寝る間もなく働いていました。

「休日も妻と一緒に買い物に行き、部屋の掃除をしました。子供が生まれるとおむつ替えをしたり、育児も一通りやって、忙しかったですね。家族のだんらんを期待していた妻に対してできることはやらないと、と、思ってたんです。」

しかし、まさひこさんは次第に自宅に帰るのが、おっくうになっていきます。
夜、接待で遅くなれば、ビジネスホテルやサウナで一晩を明かすようになりました。
営業マンは営業ノルマだけじゃなくて、見積もりを出して書類を作ったり、やることは山ほどある。ストレスだらけで発散しないとやってられなかったんです。
1か月の半分は自宅に帰らなくなったある日、まさひこさんは妻から、出ていってほしいと切り出されます。

まさひこさんが42歳の時、離婚が決まりました。
2人の子供の養育費として稼いだお金のすべてを支払うと約束しました。
子供たちに愛情をかけられなかった分、経済面で惨めな思いをさせたくないと考えたからです。
同時に知人からホテルの支配人にならないかと誘われたまさひこさんは転職を決めました。
「ホテルの仕事は安定していましたよ。でも、お給料のすべては養育費。自分の生活費を稼ぐために、得意だったパソコンのスキルをいかして、アルバイトもしました。好きなことをやっていたからつらくなかったです。」

アルバイトの経験をきっかけに半年間、ウエブ制作を学ぶ学校に通ったまさひこさんはウエブで商売をしていくことを決めました。
まさひこさんは会社員時代に身につけた営業力をいかし、小規模な飲食店に狙いをつけ新規顧客を開拓します。
仕事は順調でした。
3年後、子供たちが成長し、金銭的にようやく楽になったころ、まさひこさんは友人からたまたま誘われて出かけた北海道札幌で、豊かな自然、おおらかな人々に魅了されます。
地元に戻った後もまた札幌に行きたい、そう考えると仕事の張り合いになりました。

しかしある日、まさひこさんは仕事中、気を失って倒れてしまいます。
「これまでの不規則な生活と喫煙がたたったんでしょうねぇ」、狭心症だと診断されたまさひこさんはこれからはもっと自分を大切にして、自分の時間を取り戻そうと思いました。

その後、休みになれば札幌に出かけるようになったまさひこさんは現地でいろんな人に出会いたいと思い、独身者が集まる交流の場に参加します。
「北海道の人達って格好をつけてなくて話していると何だか若いころに戻ったみたいで楽しいんです。これからも今住んでいる三重県と札幌を行き来しながら、休日は札幌でゆっくり散歩なんてできたらいいですね。」

まさひこさんは離婚して自分はマイペースな性格だとよくわかったと言いますが、フィ-リングが合う人と出会えれば・・。
そんな気持ちも芽生えています。

(音楽)

まさひこさんは楽しい時間を過ごすために喫煙をやめて、健康に気を付けているそうです。今日お聞きいただいた曲は、まさひこさんの選曲でスピッツのロビンソンでした。

7月28日(水)放送 死別 女性 72歳 やまだえいこさん(仮名)北海道

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やまだえいこさんのストーリー(テキスト)※クリックで開きます。

やまだえいこさん、72歳。北海道札幌市に住んでいます。

21歳の時、北海道の建設現場に来ていた建築士の男性を紹介されて結婚。
一緒に行ったスナックでトマトジュースを飲んでいると、突然、「お母ちゃんになってくれないか」そうプロポーズされたことを今でも覚えています。

えいこさんは結婚してから、長男、長女、2人の子供に恵まれました。
高度経済成長の真っただ中、現場監督として各地を飛び回る夫は仕事が終われば飲み歩き、自宅に帰ってくるのは毎晩遅い時間です。頼る人がいない中、一人で子育てをしていたえいこさんは息が詰まりそうでした。それに夫はたまに帰ってくれば暴言だらけ。
「お前は頭が悪い、バカだって。今でいうモラハラです。私を人間として見ていなかったんじゃないですかね」
べろべろに酔っぱらっては土足で障子を蹴っ飛ばすこともありました。
そんな夫の姿を見ている長男。思春期になるとえいこさんに暴力をふるうようになります。
しかし、だれにも相談できません。子供たちが一人前になったら離婚しよう。えいこさんはそう思っていました。

夫は50歳を過ぎて現場監督を離れると自宅に帰ってくるようになりました。
だけど、家でお酒を飲んで酔っ払うと目の前にいるわたしが嫌いな上司に見えるみたいで文句や愚痴をぶつけてくるんです。
でもその姿を見ているうちに、だんだん、この人は不器用なだけなんだ、と思うようになりました。

ある日、えいこさんは山菜採りに夫を誘いました。
山に入る準備をした夫を見ると股引きに黒い長靴をはき、頭には手拭いでほっかむりをしています。
その姿を見たえいこさんはお腹を抱えて大笑いをしました。

何回別れようとしたか、わからないけれど、一緒にいると何だか憎めない。
夫はわたしや子供にやさしい言葉をかけたくても、どう、言葉をかけていいのかわからない。
感情をうまく表現することができない人なんです。

夫は68歳になった時、貧血がおさまらず咳が止まらなくなります。
かかりつけ医では原因がわからず、総合病院で検査を受けると肺がんだったと宣言されました。
すでに肺全体にがんが広がっていると説明されたえいこさんは、夫の最期を看取ることが自分の最後の大仕事だと覚悟しました。

えいこさんは毎朝7時にバスに乗り夫の入院先へ向かいます。
顔を洗って歯を磨き、食事の介助、散歩の付き添いなど。
夜、夫が寝るまで看病をしました。抗がん剤治療が終わり自宅に戻っても副作用に気を配る生活が続きます。
えいこさんは他に何も考える余裕もなく夫を支え続けますが、2年後、夫は危篤状態に陥ります。

えいこさんは夫が息を引き取る前に、子供や孫たちを病院に呼び「死に水」を行いました。
「死に水」とは、臨終の間際や亡くなった後に立ち会った人が故人の口に水を含ませる儀式です。
一番最後に、孫が一滴(ひとしずく)夫の口に含ませた瞬間、がっくり亡くなりました。

現在、えいこさんは介護福祉士として働いています。独身者が集まる交流会に参加して、みんなで楽しい時間を過ごすこともありました。
しかし、今でも夫の最期を思い出すと涙があふれていきます。
周りを見ると、夫と不仲で悩む人が多いんです。
でもねぇ、人は憎いばっかりじゃあない。
良いところだってあるんだって、みんなに知ってほしい。

(音楽)
えいこさんは65歳の時に介護福祉士の資格を取得しました。
退職する74歳まで元気に働きたいと思っているそうです。
今日お聞きいただいた曲は平井堅「瞳をとじて」でした。

7月29日(木)放送 離婚 女性 57歳 たちばなゆみさん(仮名)

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たちばなゆみさんのストーリー(テキスト)※クリックで開きます。

たちばなゆみさん、57歳。

シングルになって4年。これからの幸せを考え始めています。

ゆみさんは26歳の時、大学の同級生だった夫と結婚しました。

やさしい夫に不満はありませんでしたが、32歳の時、その気持ちが変わり始めます。
会社員だったゆみさんは毎日家事と、0歳、3歳になる子供の育児に追われていました。
そこに加えて母が末期がんと分かり、看病を始めます。
その時、週末、入院先まで車の送迎しか協力できないと夫に言い放たれ、モヤモヤした気持ちを感じるようになります。

システムエンジニアの夫は普段帰宅が遅く、連絡もないまま帰って来ない日もありました。
その後母が亡くなり、さらに翌年、父が大腸がんを患います。復職したばかりのゆみさんは姑に育児を手伝ってもらいながら仕事が終わると父がいる病院に向かいました。

「わたしは仕事を辞めたくなかったんです。中卒だった母はパートを転々としていたんですけど、最後の最後は、念願の正社員になって清掃の仕事をしていました。そんな母の姿を見ていたからでしょうか。
だけども仕事をしながら育児と介護はできません。

病院へ行けない日が続くと看護師さんから父が泣いていると言われてしまう。
体力気力は限界でうつ病になる寸前でした。
そんな状況でも夫は、ゆみさんをいたわることなく、まるで傍観者のようだった」と言います。

その後、ゆみさんは会社に相談し、介護休暇制度を利用すると決めて、介護に専念。
10か月後、父を看取ることができました。

ゆみさんは38歳になり、離婚を考え始めます。
しかし、お互いの主張が食い違えば離婚の成立に時間がかかります。
ゆみさんは小学生になった子どもたちとの時間を増やしたいと考えていたため、離婚話は切り出さず、夫に対しては、冷めた気持ちのままで過ごしていました。
「家庭では夫の食事の用意をして、洗濯物も洗っていましたよ。でも会話はなかったです。会話どころか、一緒にいたくない人と一緒にいなくちゃいけないなんて、ほんとにつらくて先の見えない暗い時代でした」

44歳の時、ゆみさんはファイナンシャルプランナーの資格を活かして保険代理店に転職しました。
シフト制だったため夫が自宅にいる土曜日と日曜日になるべく仕事を入れずいぶん気が楽になったころ、夫の単身赴任が決まりました。

週末、夫は自宅へ帰ってくると子供と一緒に慣れない料理をしたり、おいしいパン屋さんがあると聞けば山のようにお土産を買ってくる日もありました。

たぶん歩み寄りたかったんでしょうけど、わたしと夫の間には、もう埋めようのない何かがありました。

ある日ゆみさんは体に蕁麻疹が出たのをきっかけに限界を感じ離婚に向けて準備を始めます。
9年後、夫や夫側の親族とも話し合いながら離婚が成立しました。
「これまで大変だったけど、仕事を手放さないで本当に良かったと思います。経済的に厳しいと、もっと時間がかかったかもしれません」

「今年1月、娘は結婚し、息子は地方の大学院で学んでいます」
ゆみさんに再婚したい気持ちはまだありませんが、一人で生活するようになりふだん気軽に話せる相手がいたらと思うようになりました。

1年前、独身の男女が集まる交流会に入会します。
SNSを通して気の合う人たちと連絡を取り合い、時々ランチを食べに行ったりする距離感がちょうどいいと感じています。

「これからの人生、自立した人と出会えたら幸せですね」

(音楽)

お聞きいただいた曲は、THE YELLOW MONNKEYの「JAM」でした。
結婚したゆみさんの娘さんもゆみさんに素敵な人ができるようにと願っているようですよ。
沁(し)みるお話でした。
この曲はゆみさんが落ち込んだ時に聞いて元気を出していた曲だということですね。

7月30日(金)放送 離婚 男性 75歳 成澤正人さん(本名)北海道

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成澤正人さんのストーリー(テキスト)※クリックで開きます。

なりさわまさとさん、75歳。現在北海道札幌市のアパートで独り暮らしをしています。

年齢を重ね、死を身近に感じるようになり、1度きりの人生を後悔したくないと思っています。

なりさわさんは27歳の時、社会人サークルで出会った女性と結婚します。
子供が生まれると、毎晩銭湯で沐浴をさせるのがなりさわさんの役目でした。
しかし、飽き性で1つの仕事を長く続けられないなりさわさんは転職を繰り返します。
「ずいぶん妻と子供には迷惑をかけました。でも中古車販売の営業をやっていた時は1か月に30台くらい売ったかなぁ。営業には向いていたと思いますよ」

40歳になるとなりさわさんは知り合いに紹介された石材店で働き始めます。
しかし、もともと経営状態は悪く、立て直していくつもりでしたがうまくいきません。
妻に渡す生活費が足りず、なりさわさんは消費者金融で借金をしました。
その金額は500万円ほどに膨らみ、自宅に取り立ての電話がかかるようになります。
「このままだと妻や子供に迷惑をかけてしまう。そう思って離婚しようと思いました。その方がいいって思ったんです。26年間あきれながらもそばにいてくれた妻には感謝しています」
なりさわさんは妻の実家近くに購入していた100坪の土地の権利と実印を渡し、53歳の時に離婚します。

翌年、なりさわさんは裁判所で自己破産の手続きをしました。
「金のことでもう人には迷惑をかけない」、心に決めていたなりさわさんはハローワークで仕事を探します。「札幌市にあるマンションの管理人の仕事が見つかったんです。住み込みの仕事だったんで、家賃、水道、光熱費がかからなくて、助かりました。」

しかし3年後マンションの管理体制が自主管理に変わり、仕事を辞めなくてはいけなくなりました。
それからなりさわさんはガソリンスタンドの従業員、高齢者施設のホームヘルパー、遺品整理の清掃人など未経験の仕事でも躊躇することなく働きました。

60代になると高齢者施設の正社員として働くようになり、定年退職した後は年金を受け取りながら月に数回、グループホームの世話人として働いています。
「このグループホームは老人だけじゃないの。20代から30代の入居者が多くて、驚いたね。気持ちが荒れて自傷行為をする人たちをなだめるのがわたしの仕事。そりぁあ大変だよ。腹が立つことがあっても怒らないで話を聞かないといけない。でも悩んでいる若い人を見てると、誰か、話を聞いてくれる人がそばにいてくれるといいのにって、思うよね」

2011年、なりさわさんは独身の男女が集まる交流会に入会しました。
東日本大震災をきっかけに1人で暮らす生活に不安を感じたからです。

これ迄に1度、女性とお付き合いはありましたが、半年後に連絡を取らなくなりました。
無職の女性だったため、一緒に住み、養う自信が無かったからです。

コロナ禍の今もパートナーを探しているなりさわさんは交流会のオンラインサロンに参加するためにパソコンの使い方を学びました。
近所に住む自分と同じ独り暮らしの人には、独身同士じゃないとわからない悩みや困りごともあると思い声をかけて話もします。
なりさわさんは縁をつなげる努力を続けています。

(音楽)

なりさわさんが入会しているお独り様会は独身者の同性や異性の支援をするNPOが運営を行っています。
ふだんLINEグループでおしゃべりを楽しみ、事務局や会員有志が主催するオフ会で交流しています。ご関心のある方はホームページをご確認ください。

お聞きいただいた曲はヘイリ―・ウェステンラの「アメージング・グレイス」でした。なりさわさんが好きな1曲だそうです。

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