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小泉雅弘さん〜NPO 法人さっぽろ自由学校「遊」

小泉雅弘さん小泉雅弘さん
NPO 法人さっぽろ自由学校「遊」事務局長1962年神奈川県生まれ。
小学生〜高校生の頃は東京で育つ。1982年、大学入学のため札幌に移住し、以後、札幌暮らし。
1990年、自由学校「遊」の立ち上げに関わり、事務局を担う。
2004年、42歳で結婚、現在6歳と3歳の2児の父親。

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市民活動への関わりと「遊」の設立

 私が市民活動に関わるようになったのは、大学の工学部建築工学科にまだ在籍していた20代半ばのこと。授業にほとんど出ず(しかもそれを少しも反省しない)確信犯の不良学生だった私は、卒業論文や卒業設計をなんとか仕上げたものの単位不足で卒業できず、宙ぶらりんの状態でした。
もともと一般的な就職に積極的な意義を見出せずにいたため、時間ができたのをよい機会ととらえ、「専門の枠にとらわれず、自分の関心をひらこう」と、飢餓状況にあったネグロス島(フィリピン)支援キャンペーンや、東チモールの独立支援運動、脱原発運動などに関わり始めました。
そして、これらの市民運動に関わっている私より少し上の世代の人たちと出会い、行動を共にするようになりました。

 1988年には東京のNG O アジア太平洋資料センター(PARC)からピープルズ・プラン21世紀(PP 21)の呼びかけがありました。これは、「アジアの人々と共に21世紀のオルタナティブな未来図を描こう!」というもので、具体的には、89年の夏に全国各地でテーマ別の国際会議を同時開催するという大がかりな企てでした。
大学を追い出される寸前で生き方を模索していた私は、この大風呂敷な呼びかけに強く惹かれて北海道実行委員に加わり、世界先住民族会議を開催し、参加者とともに沖縄や水俣の会議に同行しました。この経験は、自由学校の活動を継続する私の原点となりました。

講座の様子

 「遊」の設立は、翌年の1990年。PP 21の国際会議終了後、札幌で関わったメンバー数人が中心となり、PARC が行っていた「市民が様々な社会課題について学ぶ自由学校活動」札幌でもやろうと始まったものです。
東京にモデルがあり、PP 21の経験と議論が理念的な下地になったため設立はスムーズでしたが、自由学校自体は念入りに準備したわけではなく、資金もなにもない中での静かなスタートでした。
当時は、この自由学校が20年以上も続くとは、私を含め誰も思っていなかったでしょう。

NPO について、北海道について

 設立初年度は私が勤めていた東区にある学習塾を週一日空けてもらって「教室」としました。
おのずと私は事務局を担うこととなり、設立から数年間は、塾に引かれた一本の電話と私の机の中が自由学校の財産のすべてでした。
無論、この頃は事務局も無償でしたが、新たな活動をつくりあげていく楽しみもあり不思議と苦になりませんでした。
もっとも、それができたのは、本業の塾の仕事そっちのけで自由学校の作業をする私を大目にみてくれた塾長のおかげでもありました。
当時はまだNPO という言葉は流通せず、北海道でいち早くNPO に注目してNPO 推進北海道会議を立ち上げた佐藤隆さんから「NPO の非営利とは、利益を山分けしないこと」と聞いた際も意味が分かりませんでした。
地域で小さな商売をやっている人にとっては皆、利益など出ればよいほうで山分けも何もない、であれば床屋でも学習塾でも何でもNPO になるのかな…と感じたのです。
その後2001年に、独自の教室スペースをもち事務局スタッフを有給化するようになった「遊」はNPO 法人となりましたが、今も私はNPO を何か特別な市民活動を行う組織形態ではなく、「活動(仕事)する組織のあり方の原則」ととらえた方がよいと思っています。
本来、仕事は床屋にしろ八百屋にしろ、利潤を大きくするためにやるのではなく、地域の人々の生活の必要に即して成立したと思います。
ところが、経済効率優先のあり方が広がる中で、こうした地域の小さな商売が成り立たなくなっています。
今の世の中が抱える貧困や格差、環境破壊といった問題の背景には、「営利追求を目的とする組織」が巨大化し、歴史上かつてないほど幅を利かせている現実があります。
そう考えると、「非営利」が何らかの活動(仕事)を行う前提となり、「営利」がむしろ特殊となる社会を目指した方がよいのではないでしょうか。

「エルプラまつり」にて

  話を自分に戻しますが、私は、40歳を過ぎて思いがけず(?)結婚することとなり、子どもも二人生まれました。
家族ができたことだけが原因ではないと思いますが、北海道という土地に暮らす意味を考えるようになりました。ベースになっているのは、「遊」の活動で出会ったアイヌ民族の人たちとの関わりです。
この地が北海道と呼ばれるようになったのは140年ほど前のこと。それ以前は、この島の大部分は蝦夷地と呼ばれ、自他共に認めるアイヌ民族の生活圏でした。
140年といえば、一人の人間が生まれてから死ぬまでのたかだか二倍で遠い昔の話ではないのに、北海道に暮らす私たちの多くはそのことを、意識的にか無意識にか忘れているように見えます。
アイヌ民族とどう向きあい、どのように共生しうる社会を築いていくのか―それは、北海道に暮らす私たちの根本的な問いで、それを抜きに北海道の未来を語ることはできないと思います。

ボランティア募集

講座のコーディネートや会報誌「ゆうひろば」の編集などに関わるボランティアを常時募集しています。
学生などのインターンも歓迎します。お問合せは事務局まで。

NPO 法人さっぽろ自由学校「遊」
札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル2階
メール syu@sapporoyu.org TEL:011-252-6752 
ホームページ http://sapporoyu.org/

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