朝日新聞出版AERAアエラ(2024年12月23日号)で紹介されました。

2008年11月 吉田三千代さん〜NPO法人「飛んでけ!車いす」の会理事

吉田 三千代(よしだ みちよ)

NPO法人「飛んでけ!車いす」の会理事
1998年に「飛んでけ!車いす」の会を設立し、理事兼事務局長として活動。この9月からは理事兼ボランティアとして会に関わっている。(写真左が吉田さん)

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思いが形になって10年

1997年暮れ、私はバングラデシュにいました。長女の留学先のネパールを訪ねる途中に立ち寄ったのです。その数ヶ月前、来札したバングラデシュの障がい当事者団体代表アラム氏の講演で私は通訳を務めたのですが、彼が何度も聴衆に伝えた「一度来て、その目で見てください」という言葉に導かれていました。そして、彼のプロジェクトの一つ、スラムの障がい児・者支援視察で川沿いのスラムを訪問し、自分の持っている偏見に気づきました。世界で一番貧しい人々の暮らしには、「助け合う」「声を掛け合う」といった、もう日本では見られない光景がありました。途上国からも学べることが多いと感じた瞬間です。

しかし障がい児・者には移動の道具がなく、ちょっと離れた街のにぎわいすら体験できないようでした。一方、札幌では車いすが余っている――子どもは成長にあわせて乗り換えていることがわかりました。日本で使われなくなった車いすをバングラデシュに送ろう、でも送料はどうしようと思案していた時、車いす使用者である友人の紹介で、当時北海道大学医学部の4年生だった柳生一自(かずより)さんと知り合いました。彼は、サークル活動でアジアの国に行くときにお土産として飛行機で車いすを運んだ体験があり、20キロまでの手荷物は無料で運べるという素敵なノウハウを持っていました。出会ってから3ヶ月で、私は柳生さんと「飛んでけ!車いす」の会を立ち上げ、アジアなどに行く旅行者に車いすを1台ずつ渡し、直接相手に届けてもらうという地道な活動を始めました。
この10年で1,600台近い車いすが66ヶ国に届きました。現地の人と直接顔を合わせて笑顔をもらう喜びは、重たい車いすを持っていく苦労よりも大きな見返りのようで、協力してくれる旅行者にはリピーターが多いです。1台の車いすを届けるまでに関わるのは10人ほど。つまり、10年で16,000人もの人が関わってくれたので、ボランティアのすそ野を少しは拡げたことになるでしょうか。

アジア、そして障がい児・者との出会い

中国で車いすを受け取って喜ぶ孫とおじいさん

父がアジア関係の仕事をしていたことから、アジアの人たちとの出会いは私が中学生だった頃にさかのぼります。正月には家にアジアの方たちを招待していたこともあり、異国に違和感はありませんでした。でも若い頃の私の眼は欧米に向いていました。上智大学(東京)に通っていましたが、大学紛争から逃れたかったこともあり、英国に留学させてもらいました。1ドル360円の時代です。そのころ身につけた英語が、その後長く通訳や講師として働くことになった私の「飯の種」となっています。英語力は、いろいろな人との出会いや、「飛んでけ!」の立ち上げと展開の機動力にもなりました。

クリスチャンだった父が教会の関係で障がい者施設の理事長をしており、障がい者が家に訪ねてきた時などには私がお茶を出していたので、障がい者と接することも自然でした。しかし、実際に私が障がい児・者との関わりを直接持ったのは45才を過ぎてからで、ヘルパーの資格を取ったのをきっかけにボランティアに行ったり、障がい者と一緒のオランダ旅行を体験したりしていました。その体験は、後に「飛んでけ! スタディツアー」に生まれ変わります。会では毎年、車いすを届けた国の人たちとの交流などを目的にツアーをしていて、それは障がい者も一緒の旅です。介助はローテーションで、お互い気をつかうところもありますが、みなさんの様子を見る限り楽しいツアーになっていると思います。

10周年記念パーティにて

私には、柳生さんと同じ年の長女がいます。私は離婚して再婚し、しばらく一緒に暮らせない時期を経て、長女や次女が家に戻ってきました。もともと家庭向きではない性格もあり、「良い母親」ではなかったかもしれません。会の初期の頃は、子どもと同じ年代の若者が私の自宅兼事務所に通ってきて、よく一緒にご飯を食べました。当時から、活動の原動力は若者のバイタリティでした。札幌通運?のご好意で今のビルに移ってからは、利便性もあり、さらに若者の数が増えました。2002年頃はその最盛期で、次々と開催したイベントの中核を担ってくれたのも、今また「飛んでけ!」を盛り立てているのも大学生を中心とした若者たちです。当時は人材育成という意識は薄かったのですが、今年5月の10周年記念パーティには、初期のメンバーが遠くからも集まり、口々に「会での活動が社会に出ても役に立っている」と言ってくれ、嬉しかったです。

長女、長男は結婚し、私は3人の孫のバアバです。孫と遊ぶのはとても楽しいですが、疲れます。10年間、「飛んでけ!」を第一に考えてきましたが、その間に年も取りました。まだ仕事はし続けなければなりませんし、孫のお守り役もあります。そして会の広報を続け、いつも厳しい財政を助ける役目も残っています。活動に共感された方は、ぜひ会員になり、支えてくださればと思います。

手から手へ

吉田さんは、「飛んでけ! 車いす」の会10周年記念にを出版されました。「手から
手へ。飛んでけ! 車いす1600台の笑顔」(共同文化社)。400頁・税込1575円。
書店や会で購入できます。

こんなボランティアを募集しています

・ホームページの更新や、パソコンの管理ができる方。整理、整頓が得意な方。
・英語ができて、週1回、2時間ほど事務所にこられる方
※なお、会員も募集しています。正会員には総会での議決権があります。
正会員一般1口年5,000円、学生1口年1,000円
賛助会員一般1口年2,000円、団体1口年5,000円
NPO 法人「飛んでけ!車いす」の会
北海道札幌市中央区南8条西2丁目5-74 市民活動プラザ星園402号室
メール tondeke@bz01.plala.or.jp
ホームページ  https://tondeke.org/

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