内田 慎吾(うちだ しんご)
ひまわり号を走らせる札幌実行委員会事務局次長
1982年札幌生まれ。沖縄が大好きで、旅行と写真が趣味。温厚で人の懐に笑顔で入っていく性格(自己分析)。仕事は老健施設の介護職員。祖父、両親、妹と5人暮らし。
旅の概念が変わった
ひまわり号に出会ったのは高校生の時です。部活が終わって家に帰ると、母に「あんた、ひまわり号に参加してみたら?」と言われました。その日、母が見ていたテレビの某情報番組で、ひまわり号のボランティア募集が紹介されていたというのです。私は鉄道と旅が大好きで、J R の青春18きっぷを使って夜行列車を乗り継ぎ、飛騨高山まで行ったりするほどの、いわゆる「乗り鉄」でした。そんな私の当時の夢は「J R の運転士さんになること」。そのため、高校を卒業したらすぐ、J R の就職試験を受けようと考えていました。それを知っていた母は、「駅に来るお客さんの中には、障がいのある方や車いすの人もいるはず。今のうちに訓練しておいたら?」といい、半ば強引(?!)に申し込みまでしてしまいました。
その衝撃は自宅に帰ってからも冷めることがなく、その後も各イベントに参加するようになり、ますますのめりこみました。翌年、旅行関係の専門学校に進学が決まると、私はなんとか親を説得し、ひまわり号を支える事務局スタッフの仲間入りを果たすことになりました。
笑顔の魅力にとりつかれて
ひまわり号の名前の由来は、東京で障がいのある方が訪問入浴を利用するために巡回していた車で、それは「日・廻る」ことから「ひまわり号」と呼ばれていました。それを利用していた方の「一度でいいから、列車に乗って旅がしたい」との思いを叶えようと実行委員会が立ち上がり、1982年11月3日、当時の国鉄の車両を借り切り、障がい者専用列車「ひまわり号」として上野駅と日光駅(栃木県)間を運行したのが始まりです。当時の駅には、エレベーターやエスカレーターがあまりありませんでしたが、上野駅と日光駅には階段がなかったことから、このふたつの駅が選ばれたようです。この取り組みが全国に伝わり、北は北海道から南は九州(熊本)まで各地に実行委員会が立ち上がり、現在は45の委員会が、共通のヘッドマーク(特急列車などのシンボルマーク)をつけて、同じ想いでひまわり号を走らせています。
札幌では「北海道実行委員会」として、1985年に余市まで895人で旅をしたのが始まりでした。25年目となる今年に行った増毛へのひまわり号が、累計32本目となります。列車の旅以外のものも含めると、フェリー体験乗船や有珠山登山、一泊温泉旅行、キャンプ、お花見、新春交流会など様々な企画で楽しんできました。時には、「行った先の地元を元気づける」趣旨のものもありました。年中通していろんなイベントをしながら、ひまわり号の輪を広げています。
いつも事務局会議では、イベントを成功させるために、一人ひとりが熱い想いをぶつけ合います。そんな熱意で作り上げたイベントが終わった後の快感は、言葉に尽くせません。参加したみなさんから「ありがとう」「楽しかったよ」と言葉をかけられる時が、やっていて良かったと心から思える瞬間。それが、次のイベントへの活力になります。
ひまわり号の良さは、みんなの笑顔が見られること。人間、楽しいことをする時は本当にいい笑顔になりますよね。イベント中は、私も自然に笑っています。最初の「京極の旅」との出会いから、笑顔の魅力にとりつかれたと言っても過言ではありません。つまり、私にとってひまわり号は「彼女」のようなもの。ずっと大事に支え、活動していきたいと思います。皆さんもぜひ、ひまわり号の旅を体験してみませんか?
ボランティア募集中
一緒にひまわり号を支えてくれるスタッフを常時募集しています。
興味をもたれた方は、ぜひご連絡ください。
ひまわり号を走らせる会札幌実行委員会
〒064-0805 札幌市中央区南5条西11丁目1288-19コーエイ荘1-6号室
TEL&FAX 011-562-2575
メール tabibito_ucchi@jcom.zaq.ne.jp(内田)
ホームページ https://www.facebook.com/himawarisap/