60代の死別 独身 男性の本音~出会い、寂しさ、仲間、立ち直り、子育て、退職など

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60代の死別独身男性からいただいた本音です。
別の独身の方々の本音を読みたい方はコチラ

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出会いが欲しい

昨年、妻の13回忌を終え、自分も68才となりました。これからの残りある人生を誰かと寄り添いながら、心静かに過ごしたいです。楽しい日々を送れる人とめぐり逢えたらと思います。

最初の妻も、やっと出逢えた二度目の妻も病に倒れ死別(どちらも10年程度)。残り少ない人生を、頑張って生きてきた証しとして、共に語り、明るく行きたいです。これからはおだやかに過ごせる方と出会いがあればと思います。

残りの人生、長いのか短いのか解りませんが、一緒に笑ってくれる人がいたら、うれしいです。

サラリーマンを続けて40年。9月に親会社を離れる事になりホッと一息の今日この頃。現在40日の有給消化中です〜。
現役時代はかなりハードだったので、気が抜けてしまいました、新しい出会いと刺激を求めています。

妻の死後3年も経過した中で、一人身の寂しさから、婚活もと考えています。

4年前に妻が54才で他界しました。結婚してから一度も夫婦喧嘩したことはなく、近所からも仲のいい夫婦だねって時々ひやかされる程でした。
妻も私も趣味は多彩で、すべて同じ趣味でした。
まだ他界した妻を愛していますが、異邦人のような私から、少しはまともな??私に戻りたいと決心しました!性格は明るいです。

妻を亡くして一人になり、何か寂しさを感じています。
最近は会社、地域、友達関係も思っていたより疎遠な感じがして、もう少し社交的だと思っていたのですが、妻の役割が大きかったと思い知らされました。
これからの生活に、もう少し親しく話し合える仲間がほしいなと思います。

大学を卒業後、就職。数年前に定年を迎え、これから夫婦で第二の人生を楽しもうとしていた矢先、妻に先立たれました。晴天の霹靂。今後どうやって生きていくのか。
迷った末に、二人の古里に単身で帰ることを決め、昨年末に転居しました。ほぼ40年ぶりの古里生活です。
生活は落ち着いてきたのですが、周りに男性女性問わず話し相手が誰もいません。時々、遠くにいる二人の娘とメールをするぐらいです。

妻と死別して12年経ち、自営の建築板金、今年でリタイヤです。二男に引き継ぎ、どなたかと知り合いたいと思います。

一昨年仕事を辞め、妻も数年前に亡くし、一人生活です。
山登りが好きで山の会に入りました。
もう少し人の交わりが欲しいと思っています。

1人で生きていくのにたえられなくなりました。
話し相手がほしくなりました。

死別経験

定年退職を迎え、これから妻と二人の第二の人生を楽しもうと色々計画をしていた矢先、妻は病に倒れあっけなく逝ってしまいました。
あれから2年半という歳月があっという間に過ぎました。

私は子供もおらず人生設計ができたので、夫婦二人でのんびり暮らそうと早期退職しました。しかし半年後、震度7というべき烈震、死刑にも等しい「私」の肺ガン末期状態の宣告を受けたのです。

ガンを受け入れるに際し、私は何も悪い事はしていない、私よりも悪い事をしている人は沢山いるのに何で私が、と自問自答しました。そのストレスからか、頭がクラクラしてその場に崩れ落ち、しまいにはトイレに行くのにも壁を伝って(つたって)行くようになったのです。手術し約2週間で退院しましたが、半月後、極度の寒さから脳が壊れそうな42度の高熱で約3週間入院しました。

そんな折、今度はが、私の発症から3年半後、突然かかりつけの病院からがんセンターを紹介されました。妻は歩くこともできず車椅子で初診を受け、その場で肺ガン余命1ヶ月、長くても6ヶ月と、本当に死の宣告をされたのです。妻はその場で入院、その後ホスピスに10ケ月入院し、旅立ちました。

私は自分のガンや妻との別れから、極度のストレスを受け、うつ病、不安症などで自殺を考えたり、まさに地獄絵図を体験しました。そのような中、何とかしなければ自分が駄目になると思い、スポーツをしたりパソコンクラブに入ったり、人とつながりを持つようにして、現在何とか乗り越えて8年になります。

4年前、当日朝まで元気だった妻が、仕事から戻ったら旅立っておりました。

ライフワークで書いております詩です。ご笑覧下さい。

「パトラッシュの追憶」
大好きなウィンドウショッピング
マネキンを眺めて釘付けの貴女
病魔に侵された体の手術を施され
退院後は不安定な歩行となった

この荷物を持って待っていてねと
人ごみの中で待たされ続けた
パトラッシュのようだねと笑い
わずかな回復への期待感があった

夢を打ち砕く挫折が待っていた
筆舌に尽くせぬ16年に及ぶ闘病生活
治療の道が徐々に閉ざされて行く
なすすべもなく絶望の渕で喘いでいた

寒い霜の降りた静寂の白い夜明け
すべてが終わったなかで黄泉路へと旅立った
齢を重ねない遺影の貴女が
下手ねと揶揄した顔で見下ろし

未だに独りなの 
数年も経つのに
夜の巷では大活躍して
私をヤキモキさせた貴方がと
笑っているのでしょう

当時夜のマーキング行為は
ご法度だからと脅されていた
今なお鬼嫁の呪縛に捕われている
パトラッシュです

私は恵まれた、幸せな生活を送っていました。
しかし、妻が急逝し、不幸のどん底に落とされてしまいました。
かけがえの無いパートナーを一瞬にして失い、茫然自失となり、葬儀の手配連絡は全て、子供と会社の社員が取り仕切ってくれました。
正直言って、今でも妻の代わりに私が旅立った方が良かったと思っております(会社は少し困ったと思いますが)。

「昼飯食いに行こうや、あのレストランのハンバーグはどう?」
「いいネ、蛋白質は取らなくちゃ。セーター着替えてくるワ」。
これが妻と最後に交わした言葉になりました。
もう少ししたら仕事も減らしてもらい、二人で好きなゴルフと旅行を楽しもうと言っていた矢先の出来事でした。
あんな理不尽な病気が何故妻を襲ったのか、長寿の家系なのに何故一番若い彼女が…今でも受け入れられずにいます。

今まで、会社の人たちをはじめ友人、お客様まで大変、気を使って下さり、皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
私は会社の役員をいたしておりまして、かなり忙しい立場にあります。
そのため幸いにも、仕事をしている時、お客様とお話をしている時は何とか集中できているのですが、仕事が終わり一息ついた時、休日、一人で運転をしている時など、亡き妻を想い、いい様の無い寂しさが身を包みどうしようもありません。これではいけないと思っているのですが…。

地方都市で平凡な家庭生活を送っていた。
家の新築もようやく叶い、二人の子供も長男は希望の大学に進学し、長女も高校の部活動のバレーボールに熱中し、妻の悩みは帰りの遅い、飲んだくれ亭主の問題だけでした。

朝は新聞を挟んで会話をし、「前の家のご主人はきちんとした時刻に出勤し帰宅し、羨ましい。私はまるで母子家庭か愛人の生活だ」と口角泡を飛ばし、カールを巻いた髪のままで食卓をバンと叩く睨みは、新国劇・国定忠治の主演者島田正吾も顔負けのキメ技です。
妻の毎朝の苛め(いじめ)や恫喝(どうかつ)にも、家庭円満の為だと一人ぐっと耐えながら、玄関まで愚痴で見送られて二日酔いの頭には堪らない。些少のボタンの掛け違いは有ってもお互いに解り合い、仕事も家庭も推移してきたが、40歳の時から妻の身体に異変がおき始めた。

何の予感もしなかった私達、突然の恐ろしい進行性子宮頚部癌と医師から告げられ、驚きの生存率、助けてくれと神仏にも祈願した。
退院後、一時は快方にと思われたが、やがて寝たり起きたりとなり、気力体力が衰え、最後の治療の道も閉ざされました。

長男が結婚して念願の初孫誕生と、長女の結婚を見届けると、親としての肩の荷が降りましたと、松の内の賑わいも落ち着きを見せた七草粥の日に、享年57歳で泉下へ旅立ちました。

夫婦で暮らした34年間の日々が一枚一枚と鱗のように剥がれ、想い出が希薄になることを危惧し、夫婦の軌跡を辿り、想い出を綴っております。

5年前の1月、55歳9ヶ月の若さで妻が旅立ちました。
お嫁さんのお腹がだんだん大きくなり、初孫の誕生を誰よりも楽しみにしていましたが、望み叶いませんでした。
その孫が今月5歳になりました。

寂しい・立ち直りたい

私は昨年、妻(病気で)に先立たれ、一人寂しく暮らしております。今後、何を生きがいにして、生きて行こうと思い悩む常日頃です。

8年前に妻を亡くしました。とても仲が良かったので立ち直るまで時間がかかりました。
最近、一人ぐらしの淋しさを感じる事が多くなりました。

仕事は一人で管理の事務をしております。
家に帰って来ても一人ですし、シゲキがないと言うか、確かに淋しいです。

定年退職して、2年前に妻を病気で亡くしました。子供達も自立して今は独りで暮らしています。
20数年間単身赴任で働いてきましたためか?あまり社交的ではないためか?近くに知り合いなどいません。孤独で虚しい毎日です。

妻を亡くして、はや4年。話し相手は「テレビとパソコン」。
趣味も特になく、休みの日は一人で焼肉…

家内に先立たれ八年。仕事も一段落つくと何かしら、ひしひしと孤独感を感じるこの頃です。

私は3年程前にシングルライフの身となりました。
一人というのは、やはりコミュニケーション不足
日常生活において、つねづね孤独感を感じてきました。

現役をリタイアし、旅行等の趣味で過ごしたが、一人では楽しさも半減です。

妻を病気で亡くして、早くも10年が過ぎました。子供たちは独立し、元気に仕事をしています。

私は現在、大学で教員をしており毎日が多忙で、 夜も仲間たちと酒を飲んだりしていますが、帰宅した時に暗い部屋のスイッチを押す時や、天気の良い日曜日に、ふと一人が寂しく感じます。
還暦を迎え、これからの残りの人生で、専門分野あるいは教員として何をすべきかを模索している今日この頃です。

妻を癌の後遺症で亡くし、来年には7回忌を迎えます。当初は茫然自失の積み木崩しの日々に続き、同じ時期に、加入する業界並びに会社に対し行政処分と反則金があり、会社の担当役員の立場から引責辞任を致しました。

その後は妻の供養とスポーツ倶楽部での気力・体力作りに励んでおります。スポーツ倶楽部で皆様に励まされて、気持ちも次第に元気になり、お友達もでき、食事や行楽にと出かけ始めましたが、問題はそれからなのです。お友達の皆様には奥様やご亭主が居りますので、いつも一人寂しく取り残される私がいるのです。

同じ経験をした仲間と出会いたい

今年1月に家内を亡くし、全く予想外の一人生活が始まりました。一人での生活を何とか構築しようと試みていますが、人との繋がり(特に異性)を作るきっかけを中々、見出せません。
また、趣味の会などに入会して、配偶者の話になり、死別した旨を話すと、少なからず場が暗くなります。
死別に限らず、同じような境遇にある人達の集まりであれば、多少なりともコミュニケーション出来て、交友関係を広められるのではないかと思っています。
年齢的に結婚は望んでいません。異性の方で、気軽に色々な話が出来ればいいなと考えています。

一人の生活が長く、「気ままでのんびりと自由に過ごしていいね」と友人からは言われます。
でも、お花見、ランチ、スポーツ観戦…やっぱり一人よりお仲間が一緒の方が何倍も楽しいと思います。

ここ数年、ひとり暮らしに慣れて、気力が湧いてきて、趣味等に参加しています。しかし、周りの方は配偶者がいらっしゃる人が多いです。独身者同士、同じような境遇の人達と出逢い、お話しし、前向きな生活を送りたいと思うようになりました。

1年半前に妻をガンで亡くしました。私と同じ境遇でいる方やたくさんの人と出会い、話し、楽しみ、前向きに生きて行きたいです。

妻を病気で亡くし、5年の歳月が過ぎました。その間に色々失敗もしましたが、これからの残りの人生を、少しでも充実して送りたいと思いました。
社会とつながるためには、自分からドアを開かなければと思います。お互いの思いを話しあえる友人を求めています。

もう枯れてもよい年齢ですが、旨いものも食べたいし、我を忘れて遊びたいし、旅行もしたいし、恋もしたい。悲しいかな、まだまだ若く、いっこうに枯れないのです。
そんな私でありますが、最近ふと感じることは「さびしさ」であり、何かあるたびに独り言を言って過ごす生活なんてつまらないと思うようになりました。誰かと楽しみ、悲しみを共有したいと考えるようになってきました。

日本人男性の平均寿命からみた私の平均余命は18~19年。できるだけ運動をして体力維持には努めていますが、歳相応に心身ともまぁまぁ健康で暮らせるのは、そのうち何年でしょう。いずれにしても、残された時間が左程長くないことは確かです。
夜、一日を振り返ったとき「あれっ?今日もひと言も喋ってないわ」。こんなことがしばしば。声帯が退化してはいけないと、効果の有無は別として、声を出して新聞を読んだりもします。
2人の子供は独立し、今は1人暮らし。やはり1人は寂しいですね。人それぞれ事情は異なりますが、それぞれのお独り様がどのような道を歩まれ、そして、これからの人生をどのように歩もうとされているのか。興味あるところです。

妻に先立たれて1年。悲しく、虚しく、さびしい日々が続きます。
一人暮らしの孤独感も募ります。話し相手や仲間がほしいです。

子育てを終えて

死別して19年になります、その間いろいろなことがありました。
当時、小5と中1だった子供たちも今は独立して、肩の荷が少し軽くなってきている今日この頃です。
360度、見わたす限り野山に囲まれた、そんな田舎に生まれ育った私ですので、やはり自然との折り合いはいいようです。若いころはファミリーキャンプが中心でしたが、ここ10 年ほどはソロキャンプを楽しんでいます。
たまの休日は、折りたたみ自転車をマイカーに積んで、旅先でサイクリング&ウォーキング&温泉。自然にふれることで日頃のストレス解消になっています。

女房を不慮の事故で亡くして、早27年。
子供も男手で育てあげ、孫も出来、爺さんの出る幕も無くなりつつ有り。あと何年生きられるか分からないけど、話相手がいれば楽しいと思います。
生前、女房が良く長崎の夜景を見たいと言っていたので、遺影を持ってお独り様でツアーに参加しましたが、ただただ、さびしかったのを思い出します。めげずにもうすこし旅行をしようと思っております。

数えてみると、一人の生活は、もう6年も過ぎてしまった。
お一人様も良いけれど、たまには二人で連立ち、居酒屋で気兼ねなく美味い酒でも呑みたいな、と思うこのごろです。

最近は仕事のペースものんびりしてきて、以前のスピードの5割増し。緊張感が薄れてきたのかもしれない。あるいは、脳の回転が遅くなったのかも?そんなことを考えると、人との付き合いが大切だと思う。異性との会話も少なくなり、人生の喜びが薄れてきたのかもしれない。時々、夫婦で仲良く話したり、笑顔で睦まじく並んで歩いているのを見ると、羨ましくなります。

子供たちも独立し、ほぼ心配がなくなり、これからは本当にお一人様です。

若くして妻を亡くしました。その時、下の娘は小6、上の男の子は中1でした。それからは、俗に言う「男手一つ」で育てました。昨年の3月一杯をもって、65才で退職しました。
早速、香港、マカオ、台湾に行ってきました。しかしながら、いずれも一人参加のため、食事の時のテ-ブル配置とか、観光地の道すがらの話相手を見つけながら、少々遠慮しながらの旅でした。つくづく伴侶の居ない事の寂しさを痛感させられました。
私は、これからの人生に於いて結婚は望んでいません。一緒に旅したり、ドライブしたり、食事したり、観劇したり出来る友人が居ないか、と思っています。

退職

5年前に妻が、10ヶ月の闘病で天国へ旅立って行きました。
60歳で定年、引き続き嘱託勤務延長期間5年を退職しました。
仕事で出来なかったことの整理も一段落しました。
趣味の交友は有りますが、新たな交友関係が欲しいと思っています。

公務員を定年退職、その後再就職し、66歳まで働きました。現在は無職で年金生活です。一戸建て住宅に居住し、子供は独立して別居しており、お独り様の生活です。
健康面は、2年前の人間ドック的検査では特に異常はなく安心しています。今後は、料理の腕を少しずつあげ、健康管理にも努め、また、株等の予測精度を高め、小遣い稼ぎもしたい。
相手の希望は、①健康的な人。②私は単調な料理が多いため、料理好きな人。③時々庭いじりの好きな人。④そして、助け合い、のんびりとした話相手になっていただける人に巡りあいたいと思っています。
人生これから。明日の自分を楽しみに生きたいです。

4年前に定年をむかえ、まもなく妻が急逝。
第2の人生も来年4月に終わるため、余生の生活を考えてみようかと思います。

思うこと

老境に入った今だから思うところですが、つくづく人生にはストーリーはないということです。「事実は小説より奇なり」。過去、素敵なドラマや、恐ろしいサスペンスもいろいろありましたが、メロドラマよりも恐ろしいほうが脳裏にたくさん焼きつく為か、そればかりの人生だったような気がします。

私は、妻に2度も死別にあったという男です(もちろん別々の女性です)。自身も病気で15~20歳まで生死をさまよったあげくに、奇跡的に完治はしました。でも、青春時代の5年間は長くて大変に辛く、悲しいものでした。その後も、色々な出来事に出会うたび、後遺症を引きずっているような状況です。
ある、有名な男性芸能人がいった言葉で、人生とは「10%の幸と、90%の苦である」という話。私も全くの同感です。
残り少ない人生ですが、私の精神的モットーでありますが、何事においても、自分が選択した結果に後悔はしないこと。そして、選択に迷いが生じたら、GO!で行く。今後もこれに徹して生きていくつもりです。

働く人の多くが非正規社員という。これでは、まともな結婚や生活もできないでしょう。幸福だという実感がないのは、当然の結果です。

人は、病気や、苦労・悩みがあるときは、自分は世の中で一番辛く、悲しい立場に居ると思うはずです。しかし、今までの私の経験からはそうではないという思いに到りました(偉そうですが)。

初婚の人達の結婚に際し、収入面、子育て面等を相手になられる方と十分に話し合うこと。それが出来る方を選ぶのがベストでしょうね。その話し合いの中から2人の妥協点を見い出して、現実に即して行動する。

難しいですが、これからの男性は女性以上に料理、掃除なんでも可能でなくてはいけません。男性は今からでもこれらを覚える必要があるでしょう。(今の私は十分okですが…年を取り過ぎ?)

話し合いが出来る相手という問題は、実は、とても重要で、難しい問題ですね。自分が冷静に話し合おうとしても、相手が興奮して聞く耳を持たないという事があります(TVで嫌と言うほど見ます)。そんな自分も例外ではありませんでした。

生きていくにはをみて歩くのが一番ですね。みなさん一緒に頑張りましょう!

新聞に書いてありました。
近年、若者で減り中高年で増えているのが「婚姻数」。厚生労働省によると1970年には夫婦ともに9割以上が初婚でしたが、今ではその比率が8割強に低下。それに代わって増えているのが再婚です。1970年とその後の再婚数を比較すると、夫も妻も4万件増加。65歳以上の再婚数も飛躍的に増えています。
長年、若者の結婚相談に関わってきた某結婚支援アドバイザーは、相談に来た人に「お子さんのご結婚ですか」と尋ねると「いや、私です」と答える人が増えてきたので、最近は、そうした質問をしないことにしたそうです。
異性への関心が衰えないのは素晴らしいことですが、高齢期の結婚にはいくつかのリスクが伴います。現在の高齢者は性別役割分業意識が強く、男性は妻に対して家事や身の回りの世話を期待し、女性は、夫に対して経済的支援を期待しがちです。
男性の中には自分の世話だけでなく、同居する親の介護まで当てにする人も。女性は、自身の収入源を持たない人も多く、公的年金の多い元公務員の男性がもてるといわれます。再婚した妻に遺産の大部分が取られてしまうことを恐れ、子どもが反対するケースも少なくありません。
結婚前に相手をよく見極めたうえで、子どもに財産を多く残せるように遺言を書いておくか、婚姻届けを出さず事実婚にとどめるという方法もあります。頑張ろう。

一人の大変さ

妻がガンを患い死亡、約1年経過し新たな出会いを求めたくなりました。
最近は閉じこもらないで出かけるようにしていますが、基本的に話し相手のいない毎日が多く、一人生活の淋しい、物足りない思いをしています。
買い物、食事等の家事、家庭菜園や庭の手入れ等、今まで妻がしていた仕事に時間がかかり、主婦業の難しさ、また妻の有難さをつくづく実感しています。

昨年末、妻を病気で亡くしました。もう少し何かして上げられなかったかの思いがつのります。
今は寂しさが増してきていると同時に、これからの日々の生活を充実していければと思います。

自分の人生を

妻を亡くしてから20年になります。子ども2人も立派な大人になり、又、私の仕事(サラリーマン)人生も8月末日で卒業となります。同じ業種(会社)で44年勤務し、今後は、自分の時間を持ちたいと思っております。今後、同じ時間を共有できる仲間ができれば、又、今までと違った人生を歩む事が出来るかもと考えております。

娘夫婦と同居しており、一人の時間を自分なりに楽しんでは居ますが、やはり一人になると寂しさ、むなしさを感じる時があります。
交流、会話する相手が欲しいと思います。今、自分のマイブームは身辺整理を含め断舎利です。

自分の性格は、迷ったら進むです。そこから得た事は、多くの人との出会いや、良き想い出などいろいろです。
後悔は先にするものではありません。実行してからの事です。「生きて来て、本当に良かった」そういう人生でありたいものです。

死別7年目での整理がつきました。残りの人生をアクティブに送りたいと思います。

閉じこもりがちの生活をやめて、もっと外へ出てたくさんの方と会話したり、笑ったり、視野を広げて、日々明るく生きていきたいです。
また、私が明るくあることで、まわりの人にも元気を分けて差し上げられたらと思います。

感謝

人の心を癒せるような短歌作りをめざしています。
「青い鳥 心に迷い ありしとき そばにいるのに 色見えざるか」
「人生は 人の数だけ 道あれば 迷うことなく 自分の道を」
「さわやかさ 春風に似た あなたなら どこに行きても その場の華に」
「この歳に なりて気付きしこと多き 今だからこそ 出来る事あり」
「思い出は 心の中のアルバムに 日々新たなる ページ作りを」

私は自分の好きな道で独立しようと夢を見て頑張ってきました。資金も充分にでき独立のための調査をした結果、あまりにも厳しいことがわかり、涙をのむ思いで諦め、今住んでいる家を買ったのです。
向かいは公園で、コンビニ、銀行、郵便局、歩いて1分ぐらい。また、当市でやっている100円風呂と、車で20~30分走れば温泉が4か所あります。休みの日はゆっくり温泉につかっています。当市に来た頃は、とんでもないところに来てしまったと思っていましたが住めば、良き所ですね。
そして定年を迎え、今、運送会社で事務兼管理人をしています。楽をさせてもらっています。嬉しいやら申し訳ないやらで感謝しています。

きちんと自分の心を自己分析しないまま、時間が過ぎるのを待っていましたが、前を向く為には、セルフグリーフケアが必要なことに気がつきました。それも、周りの人たちのおかげだなと感謝しています。
・窓越しに 庭をながめる 毎日に心慰む 友からのLINE
・中指に 越してきたりし 金の輪の今日から 私は おひとりさま
・遅くても 進まなくても いいんだと微笑みながら パキラが揺れる

私は長い間、都会で暮らしていましたが、待遇の良さに憧れ、地方に移ってきて10年ほどになります。
この地で良かれと思って入った会社でしたが、入ってみるとチンピラのような人間の多い職場でした。そのうち、人生初のイジメを経験させていただきました。イジメられましたね、徹底的に。毎日が地獄の苦しみでしたね。考えることといえば、ただ辞めたい、逃げたいとの思いだけでした。
もちろん、この町には誰も知人はいませんし、どこも逃げる道はありませんでした。嘆き、グチをこぼす相手もいませんでした。それが幸いでした。

そこで2つのことを考えました。
1つは目標を持つこと。燃え上がるような願望を持つことでした。そして心に喜びを与え、耐え忍びました。
2つ目は私も清く正しく美しく生きてきたわけではないし、また、よく言いますよね、人生は原因と結果だって。そこで若い時に読んだ本で「四つの恩」という内容で、その1つが悪人の恩というもの。悪人は諸々の罪を消してくれるありがたい存在であるという内容です。イジメられるたびに自分に言い聞かせました。今日は得をした、ラッキーだったと感謝しましたね。50代にして流浪の旅に出たくないですからね。とにかく感謝しました。
でも、最後は取っ組み合いになりましたね。それからはイジメはほとんどなくなりました。逆転の発想です。

私の笑顔が あなたを 笑顔に
あなたの笑顔が 誰かの笑顔に
幸せは 感謝の 積み重ね
ありがとうの先に 笑顔が 生まれる

死別後の暮らし

昨年暮れより、国からの委託をうけ「民生委員・児童委員」をやらせて頂いております。児童委員は、乳幼児などの子育てに関して、また小・中学生などの子供に関しての悩み、相談そして今問題の虐待等の件を担当しています。月2回の乳幼児の子育てサロンにも参加しております。私には孫はいませんが、実に可愛くて、微笑ましい時間をすごしています。
これとは別に、交通安全指導員もしており、また、町内会の役員等(10年以上)も。何が何だか自分でもやり過ぎと後悔しています。これもひとえに、頼まれて頭を下げられると断れないという損で嫌な性格です(「最後の頼み」ですと言われてしまうと)。

昨年の10月、妻が亡くなりました。56歳でした。今まで妻と二人三脚で仕事、生活をしてきましたが、あっという間の38年間でした。妻がいなくなった今、私は仕事ばかりで妻に何をしてやったのかと思うと、呵責(かしゃく)の念に耐えません。
妻が逝って4ヵ月後に一人息子を亡くしました。36歳でした。もう生きる術をまったく失いました。何もする気になりません。
今思うに、妻との出会いがなければ、最愛の妻子共、亡くすことがなかったのではと…。
自殺を何度か考えましたが、13歳を過ぎた芝犬の銀次郎のことを思い、止まりました。人から時間薬とよく聞きますが、私は時が経つにつれ悲しみが増大してきます。毎日、朝から就寝まで涙が止まりません。

3年前になります。長年続けたサラリーマン生活とも縁を切り、すでに2人の娘も独立しておりましたので、新婚以来の夫婦2人だけの生活をどう優雅に過ごすかと思い始めていた矢先に、突然癌のため妻を喪い(うしない)ました。
当初の呆然自失の心境からはなんとか脱したものの、何をするにも張り合いがなく、それまでは何となく過ごしていた本音で気持ちを語り合える2人だけの時間をただ懐かしく思う毎日を続けていました。
一人暮らしの方には良くあることだと思いますが、うっかりすると誰とも話さずに一日過ごしてしまい、が出なくなってしまうんじゃないかとさえ思ってしまいます。
図らずもリタイアと死別という大きな節目をほぼ同時に迎えてしまったことは現実であり、どうしようもありませんが、やはりできるだけ積極的に行動して乗り越える努力をしなければ、亡き妻にも叱られそうです。改めて頑張ろうと心に決めたところです。

仕事で忙しい日々ですが、いずれ訪れる毎日が日曜日の人生。
その時、道に迷わないために、いま何をするべきか、いつも、いつでも考えているけれど、さっぱり前に進めません

妻を亡くして6ケ月を過ぎた頃から、昼間が寂しさを感じる。夜はTVを見て、まぎらわしているが何とも空虚。昼間は家にいないで街へ出よう。
そこで、パソコン教室に半年通いました。ワード、エクセル、パワーポイント等を習得して、東京の業務配信会社と委託契約を取り交わし、サーバーにアクセスして画像の制作、修正(CG)、病院の医療費レセプトの検索、学校のテストの添削等のアルバイトで、僅かですが報酬を頂いております。しかしながら楽しくない
昨年の9月から陶芸教室に通っており、陶器、磁器(白磁)、ポーセラーツアート等の手ほどき受けました。自家用の電気窯を設置するかどうか迷って居ります。

長年勤めていた会社を定年退職後、趣味と旅行などを楽しみにしていました。その矢先に家内の病気が深刻となり、一転して看病の毎日。その家内も看病の甲斐もなく他界してしまいました。
その後は気が抜けて、何事にも意欲が無くなってしまい、何か行動しなければと思うのですが、なかなか前に進めません。

昨年三月に妻を亡くして半年後、妻が一緒に連れてきたシーズー犬(13 歳)も突然亡くなりました。私自身も仕事を辞めたばかりで二重の悲しみの中、ペット・ロスになりかねないと思いました。それで、近所のペット・ショップに子犬を見に行くと、何と価格は20万円以上!もします。
なんとか、いい方法はないかと思い、市に相談すると、「動物管理センター」へ行ってみるようにといわれました。そこは、迷い、あるいは捨てられた状態の犬、猫がいました。
年齢はいろいろです。しかし、気に入るようなものはなかなかいません。帰りがけに、小さくて茶の犬(チワワ)が震えて(ふるえて)いるのを目にしました。担当の人に「この犬もらっていいですか?」と尋ねると、「明日土曜日に抽選会があります。それに参加して下さい」と言われました。
なんか気のりしなく、クジ運はまったくのダメ人間です。
翌日行ってみると、その小犬の希望者は、私を含めて6人います。皆さんは事前にインターネット等で情報を得て来たようです。初めにジャンケンでクジ引きの順番を決めると、なんと私が一番でした。それから、封筒にトランプが入れてあり、Aを引くと当たりです。当然に私が一番目に封筒を引くと見事当たり!あまりの出来事に驚く暇もなく、狐にだまされた感じとはこのことです。他の5人もアングリ状態です。推定3歳のメス犬を戴き、とても不思議な思いをして帰宅しました。飼い犬が亡くなって、わずか12日後のことでした。
~後日談。この犬は妊娠していたのです。たぶん、センターの獣医師も知っていて隠していたようです。後で「いらない」ということが出来ないシステムになっていました。また、飼い主もなんらかの事情で手放したのかも?約1月後に病院で帝王切開で出産しました。今は黒の小犬と母犬がいます(※1匹死産、1匹は虚弱で処分してもらいました)。毎日、忙しく可愛い犬の世話に明け暮れる日々です。私も年ですし、この子達を全うしてあげられるか心配です。でも何か、「世にも不思議な物語」をみているような、あの世の妻が「そうすれば」と言わんばかりの出来事でした。
~ジャンジャン~

前向きに

ある哲学者の言葉です。
人生は60代から始まる。人生にとって、なにも青春時代のみが“花”なのではない。
いくつになっても自分らしく花開くことはできる。心にしっかりとした芯をもっている人は、時とともに輝いていく。そのためにも何か、自分を進歩させる目標を持つこと、さらに人のため、社会のために尽くしていく事が大切である!

私の今の楽しみといえば、昨年より始めた良書を読むことです。一冊の良書は偉大な教師に巡り合ったと同じです、とありましたが、本当にそう思います。
まあ人生、苦あり喜びあり色々な人生を経験したような気になり、感心したり感動したり面白い。自分の人生は1回きりだが、読書によって何百何千の、他の人生に触れられると思う今日この頃です。
ちょっと硬かったかな。

(アケオメ コトヨロ) ←わかるかな?
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。つれづれなるままに、生意気にも本年の目標を語ろうと思います。

今現在は体調も優れ、これといって、悪いところがない。それでに行こうと思います。以前、夫婦で行こうかと思っていたものの、当然その思いは100%叶わず、では一人か二人かそれも大変に難しい課題です。参加者募集もできず。
思い立ったら吉日、まずは強い決心を持つこと。遠い昔を想いだすと、ボストン・バッグを一つ持って、初めて東京に仕事に行ったその時の思いは今だ変わらず。
だとしたら、お一人様で行くしかない。春か、秋にと決めています。

ただ、一番の心配事があります。それは、犬の事。1時間の外出でも、帰ると1週間も居なかったという位のハシャギようです。本当に可愛くて仕方ありません(目にいれても痛いくらい?)。

次に何処へ行くか。関西か、もっと西かは特に決めていません。せいぜい2、3泊の旅。カメラ片手に記念旅行にと気ままな旅をします。テレビで旅番組を見ると急に行きたい気分になります。今までの自分には、実に苦しくニガイ思い出しかなかった。そんな考えから、今年こそ旅に出ようと決心しました。

「災いは口より出て身をやぶる、幸いは心より出て我を飾る」と古書にあります。誠実に生きなさい、よけいなことは言うな、と言うが、所詮、言葉遣いと心遣いでしょう。
しかしそれが難しいんだな。会社、社会において、その時の体調とか心理状態において、つい余計なことを言ってしまうことがあるのではないでしょうか?
また、人生に起きる、いろいろなことには、なにか意味があるのではないでしょうか?苦しみの次には必ず喜びがやってくると信じたい。我が人生に春よこいと前向きに生きてゆきたいものです。

バスツアーなど新聞で見ますが、なかなか行けないものです。
第2の人生を楽しみにしています。

あなたは、どうして、そんなに明るく振る舞えるのですか。
こう聞かれたことがあります。

妻や夫を喪った(うしなった)悲しみは、察するに余りあります。私も同じ。何度も慟哭(どうこく)しました。
でも、泣けば泣くほど辛くなるのです。その辛さ、苦しさをやわらげたいのです。

だから、笑うことにしました。悲しい顔を見せるより、元気な顔を見てもらいたい。
ただ、それだけです。大好きな言葉があります。

泣いて一日
怒って一日
悩んで一日
どうせおんなじ一日なら
思いっきり笑って一日

昨年妻を亡くし、一周忌も終えて少し気持ちの整理もついて来ました。
親族が経営する会社に勤務する傍ら不動産業をしていまして、仕事については現役です。
健康の為に始めた社交ダンスのサークルにも参加しております。何年もやっていらっしゃる方も多く、私などは始めたばかりとはいえ一番下手ですが、何とかついていこうと思っております。

一人息子は現在九州で働いています。一昨年に嫁さんをもらってそれなりにやっているので、心配はしていません。
私は学校を出てから建設会社を始め何社か替わり、三十才位から不動産関係の仕事が主になっております。今もその延長線上です。

妻とは死別です。息子が大学生の時に癌にかかりました。亡くなるまでは、比較的元気に家の雑事をこなして生活しておりました。いま振り返れば、突然ではなく癌の宣告からある程度の時間があったので、少しづつ気持ちの整理も出来たのではないかと思っています。
一生忘れる事はないでしょうが、引きずらないようにしようと思っております。

ゴールデンウィークの後にゆっくり九州旅行を計画しております。一人旅なのでマイペースの気ままな旅になりそうです。還暦を過ぎていますが、気持ちも体力も若いつもりです。

健康管理は大事ですね。
今まで、私も妻もお互い健康で特に悪いところはなく、病気は他人ごとと思い、余り気にしていませんでした。しかし、妻が病気になり、それを機に48年働いた職業生活をリタイア(現在共済、厚生年金)しました。
もっと、妻の健康管理に気を付ければよかったと思っています。妻が元気だったら、もっと楽しい生活ができたのに、仕事もあと数年は働けたし、慣れていたのに等、反省ばかりしています。
健康管理のポイントの一つは、風邪をひかないことです。風邪の症状が出ると、さみしく、心細くなります。私は風邪をひきたくないのでとにかく外出後は手洗い、うがいを励行しています。そして、風邪かなと思ったら、酒粕を飲んだり、大根飴、片栗粉・砂糖とお湯のミックス等を食べたり、また睡眠も十分とるようにしています。
お陰さまで、近年風邪はひいたことはありません。でも「馬鹿は風邪ひかない」と言われていますので、そのせいかもしれません。

お独り様会会員様の寄稿から抜粋しています。

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