全国の死別者様のためのZoom交流会

夫と死別・妻と死別の悲しみから立ち直りたい・幸せに(独身者の声)

配偶者と死別された方々から頂いたエピソードです。死別の悲しみから立ち直りたいとのお気持ちや、前を向いて進もうというお心掛けをご紹介します。

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目次

夫や妻と死別の悲しみから立ち直りたい

40代男性
3年前に妻を亡くしました。子供も無く喪失感だけが残りました。突然一人になり、心のさみしさは言い表し様がありませんでした。仕事で孤独を紛らわしても、家に帰ると時間が止まっています。自分でもこのままではいけないと思っています。前を向いて再出発のきっかけを探したいと思います。

50代女性
主人を昨年、病気で亡くしました。まだまだ立ち直るのに時間がかかりそうです。

50代女性
先日、最愛の人をがんで亡くしました。私の楽しみといえば、毎日の仕事が終わって一緒に晩酌をして、お互いその日にあった出来事、グチなどで呑む時間がとても幸せなひとときでした。定年退職したら、キャンピングカーで旅をするのが夢でした。
今、一人になり、家族、友人は心配して優しくしてくれます。でも何か心のよりどころがなく、「この気持ちは同じ境遇でないと分からないのでは」とか、「この先何を楽しみに、何を目標に生きて行けばいいのか」と考えてしまいます。

50代女性
夫を亡くして早や9年…。長くて短い9年間でした。よく、死別女性は強く、元気になるのが男性より…と申しますが、果たしてそうでしょうか?泣く回数は減ったかも知れません。でも想い出す回数は前より増えたかも?

50代女性
6年前に主人と死別しました。今は母と生活しています。介護ストレスや今後の不安で、薬なしでは眠れない状態です。残りの人生を少しでも実りあるものにしたいです。

50代女性
寒い日ばかりで、すっかり出不精になってしまった。この季節、家の中に閉じこもっていると、2年前に亡くなった夫を思い出すことが多くなり、やっと前向きになっていた気持ちが迷路に入りそうになる。
そして若い時と違って足、腰の筋力が衰えてしまいそうで、「だめだなー、これでは」とハッパをかける

50代男性
ここ数年というもの、とても涙もろくなってきた。TVのドキュメンタリー等で悲惨な話が映し出されると、涙がこみ上げてくることもある。若い頃はこんなこと決して無かった。そうだな、それまでは涙を流すような悲しいことが無かったからなんだ。それだけ幸せだったんだろうな。
個人的には激動の年だったかも知れない。諸々の事情より母との同居を決めた後、まず会社を辞め、家をリフォームして、母を引っ越しさせ、やっと荷物も片付いて落ち着いたなと思ったら、母が倒れてしまい帰らぬ人となった。自分の老後のためにリフォームしたみたいになってしまい、本当に虚しい。
ここまで書いたら、また悲しくなってきた。悲しいことはもう終わりにしたい。

50代男性
4年前には妻が、今年は母が、遠くへ旅立って行きました。残された者には思い出と悲しみが残りました。
でもいつまでも悲しみに浸っているわけには行きません。無念の想いで先に逝ってしまった人の分まで、残された人がとにかく生き抜いていかねばと思っています。

60代女性
秋も深まって、葉を落として樹々も一段と寒そうです。一人で登っていると、その美しさと静けさが身に染みます。小鳥やリス達も心を和ませてはくれるのですが…。
水泳仲間や他の友達も声を掛けて下さいますが、それぞれにダンナ様や家族も有ると思うと、つい、一歩引いてしまいます。
夫が亡くなってから4年余り、私も大きな病気を克服したばかり…。この辺で元気にならないと応援して下さっている皆様に、申し訳ありませんよネ。

60代女性
人の一生を四季にすると、今の自分は玄冬です。

青春~緑多いキャンパスで出逢い、恋を知った日
朱夏~就職し、結婚し、生活を営むのに必死だった頃
白秋(錦秋)~長い間積み重ねてきた人生の終盤に、沢山の実りを手にする(はずだった)日
玄冬~雪に閉ざされ、家の中で1人とじ込もる日々

(白秋を私はあえて稲穂の実る収穫の秋、山々が紅葉する彩りの秋として錦秋としました)

長い長いトンネルの様な閉ざされた冬…
いつ春が来るかもわからず、身を小さく丸めて穴の中に冬眠する熊のように…
今はじっと春を待ちます。
きっといつか、雪が融けて暖かい日差しが私にも差し込んでくることを信じて…。

60代男性
長年勤めていた会社を定年退職後、趣味と旅行などを楽しみにしていました。その矢先に家内の病気が深刻となり、一転して看病の毎日。その家内も看病の甲斐もなく他界してしまいました。
その後は気が抜けて、何事にも意欲が無くなってしまい、何か行動しなければと思うのですが、なかなか前に進めません。

70代女性
50年前の私。アルバムにいろんな思い出が一杯詰まっている。幼少から現在まで、さまざまな出来事が… こんなにも大切にしまい込んでいたのかと…。
自然の流れで楽しかったOL時代、そして結婚、子育てに専念、その後自分の時間にゆとりが出来、カルチャーに趣味に没頭できた。
あの頃に戻りたい、戻れない。この空しさ「わかって下さい」。今は、ただCDを静かに聴いている。時折の子供らの声かけは有りがたい。でも、やはり落ちつきはありません。「夫を残して先に逝けない」を口ぐせに言っていたのに、自分は、ホロ、ホロと涙で熱くなるのです。

さあ…!こんなことはしてられない。

70代女性
夫と死別、娘の近くに引越しをしてきました。慣れない都会のマンション生活にしばらく落ちこんで居ましたが、これではいけないと思い、卓球などに行き始めました。でも、家に帰ってくると一人で、早く夫の所へ行きたいと何度も思います。

夫や妻と死別経験から立ち直るために

50代女性
少しずつ元気でいる今でも、突然どうしようもなく夫に逢いたくて、夫が着ていたセーターを抱きしめ、思いきり泣いています。声を出して泣くといい。それで悲しみ、寂しさが減る訳ではないですが、がまんする事を一つ減らすだけでも、少し楽になれる気がします。
家にいても夫との想い出ばかりが残っていて、外に出たら少しはと思ってみたものの、夫婦で買い物する姿を見て、私にはもうできなくなってしまったとか、どこにいても、どこを見ても悲しいことだらけで、そしてそれをがまんしていたから、心の中がパンクした。精神的に不安定になり、今も安定剤や眠剤を手放せません。
泣く自分がいてもいいから笑う自分もいるようにしよう、そう思うことに…夫に甘えっぱなしの今までだったけど、いつか迎えにきてもらった時、沢山話すことがあるように、一人になった人生を元気に歩いて行こうと思います。

60代女性
私は主人と33年、結婚生活を致して居り、男の子二人に恵まれ、それはそれは幸福な生活でした。でも、主人が退職後1年で脳梗塞で他界。私は病気持ちになり、暗い生活が続きました。寝ても覚めても生きる意味をなくしてしまい、死ぬことばかり考えていた日々でしたが…。
こんな生活をして子どもの重荷になってはいけない、と気を取り直しました。外に出て、人と接する事をしなければ、と必死の日々。私に気を向け、親切にして頂ける人達にも出会いました。また、母の介護が私のやる気を起こしてくれたのでしょう。やっとやっと一人歩きが何とか出来る様になり、これからの人生(余生)を母の事を一番にと思う日々です。
今は何とか充実した日々を送って居ります。今年で満100才に成った母を、またもう一年、絶対ケガや病気をさせず守って行きたいと願っております。私の体力の続く限り、母と一緒にいたいと思います。

60代女性
二人の子供の独立、夫との死別、色々な事がありました。
特に、夫との別れがなかなか受け入れられず、立ち直るのに、とても時間が掛かりました。寂しさを紛らわせるために、カルチャースクール、資格取得、派遣社員等々、色々試してみました。
なかでも、老化防止の為に始めた『麻雀』にはまってしまいました。いわゆる『健康麻雀』と巷(ちまた)では呼ばれているものです。昔の悪いイメージとは違って、純粋にゲームを楽しむのです。同じようにマージャン大好きの方達と、週に1~2回集まって楽しい時間を過ごしています。

60代女性
夫に突然先立たれてから2年半経ちました。兄妹も子供も無い私は、荒野に一人置き去りにされたようで、ただただ半年間泣き暮らしておりました。夫の姉妹夫婦と私の昔からの友人に助けられて、なんとか自分をとりもどしつつあります。
都会の友人に、そんな淋しい田舎に住んでいないで出ておいでと言われ、すぐアパートを借り、いつでも出かけてこられるようにしてから気持ちが明るくなりました。いずれ自宅を売却して転居するつもりです。

60代女性
夫が亡くなり2年経過しました。家で話し相手がいなくなり、休日も仕事にでてしまいます。近くに友人、知人もいないので、生活のきりかえが必要と感じます。

60代女性
痩せに痩せていた私が、少しづつ太りだして来ました。知らぬ間に元の体重を超えて、70kgの大台は目前。冬期肥え。これではいかんと、春三月末から桜旅をする事にしました。一人旅です。お友達をさそっても御主人がいる人だったり、お孫さんのお守だとか、皆さん御家族のある方々ばかり。結局一人旅になりました。
旅に出ると、しばらくは元気で居られるのですが、戻ると何もする事がないので、だんだん元気がなくなり、1週間も全然戸外に出ないでいる事も多いです。おひとり暮らしの皆様は、日頃どんな生活をしていますか?ひとりあそびの方法、楽しく暮らす方法などおしえて下さい。

60代男性
あなたは、どうして、そんなに明るく振る舞えるのですか。
こう聞かれたことがあります。
妻や夫を喪った(うしなった)悲しみは、察するに余りあります。私も同じ。何度も慟哭(どうこく)しました。でも、泣けば泣くほど辛くなるのです。その辛さ、苦しさをやわらげたいのです。だから、笑うことにしました。悲しい顔を見せるより、元気な顔を見てもらいたい。ただ、それだけです。

大好きな言葉があります。
泣いて一日
怒って一日
悩んで一日
どうせおんなじ一日なら
思いっきり笑って一日

60代男性
昨年妻を亡くし、一周忌も終えて少し気持ちの整理もついて来ました。親族が経営する会社に勤務する傍ら、不動産業をしていまして、仕事については現役です。
健康の為に始めた社交ダンスのサークルにも参加しております。何年もやっていらっしゃる方も多く、私などは始めたばかりとはいえ一番下手ですが、何とかついていこうと思っております。

一人息子は現在九州で働いています。一昨年に嫁さんをもらってそれなりにやっているので、心配はしていません。
私は学校を出てから建設会社を始め何社か替わり、三十才位から不動産関係の仕事が主になっております。今もその延長線上です。
妻とは死別です。息子が大学生の時に癌にかかりました。亡くなるまでは、比較的元気に家の雑事をこなして生活しておりました。いま振り返れば、突然ではなく癌の宣告からある程度の時間があったので、少しづつ気持ちの整理も出来たのではないかと思っています。
一生忘れる事はないでしょうが、引きずらないようにしようと思っております。
ゴールデンウィークの後にゆっくり九州旅行を計画しております。一人旅なのでマイペースの気ままな旅になりそうです。還暦を過ぎていますが、気持ちも体力も若いつもりです。

70代女性
夫に死別した直後、急につかまる所がなくなり、悲しみと言うより不安と恐怖で混乱していました。当時私は今より体重が13kgも少なくて(今の体重はヒ・ミ・ツ)、顔色も悪く、大好きな化粧をするところまで気持ちが廻らなく、尖った怖い顔で亡き夫のことばかり考えていました。時折、友人がお茶に誘い出して下さっても、場所柄もわきまえず、いま自分がどれだけ辛くて悲しいか、夫がどれだけ優しかったかなどを繰り返し話していました。
ある時、そんな私の顔をジッと見つめて、友人が「また、その話?」と一言いいました。私はハッとしました。周囲の人達の優しさに甘え、会えば暗い顔で愚痴ばかり並べ立てる私に、友人達はうんざりしていたのでしょう。それでも私を勇気づけようと、言葉を選びながら気長に付き合って来てくれたのでしょう。何て恥ずかしい哀れな姿をさらし、友人達に迷惑をかけているのも気付かずにいたのか、何て馬鹿なんだろうと思いました。
手負いの動物達は、山の奥深くに分け入ってひそかに傷を治すという。私も自分の心は自分の手で癒やそう、と決めました。以来、四年近く友人達とも会わず、極力外出も控えて引きこもりました。こんな立派な理由ばかりではなく、世間を歩いている人達がみんな幸せそうに見え、自分だけが惨めで不幸に思えて、誰にも逢いたくありませんでした。
その間、気の済むまで供養三昧でした。朝・夕、お経を二種類唱え、炊き立ての白いごはんを丸めて供え、精進料理やおりく膳、亡き夫が好きだった甘いお菓子、生花は絶やさず、大小さまざまな仏具で飾り立てた賑やかな仏壇の前で、心ゆくまで亡き夫と語り合いました。

そして、ゆっくりゆっくり、もう夫はこの世には居ないんだと自分に言い聞かせながら、夫の死を受け入れて参りました。

元気を取り戻し、笑顔で人さまの前に出られるようになった今、あの四年間は私にとって必要な年月だったと思います。

70代男性
お独り様暮しの淋しさを紛らわすために家庭菜園が大変役に立っています。わずか10坪ほどの小さな畑ですが、いろいろな種類の野菜類が順々に育っていて、その時々の新鮮な栄養を提供してくれます。
春一番は「フキノトウ」が芽を出してくれます。フキノトウが育って「京ブキ」が良い香りを食膳に添えてくれます。
「二十日大根(ラディッシュ)」の酢の物、「ホウレンソウ」のみそ汁、つづいて「サヤエンドウ」を茹でてマヨネーズで食べるのが何よりの楽しみです。どんどん育つので毎日のように食べています。続いて「ササゲ」が採れるようになります。そのうちに「キュウリ」が大きくなり、一株植えても一人では食べきれません。「トマト」「ピーマン」に早く食べてと催促されるようになります。
「ジャガイモ」も土の中で出番を待っているのが目につきます。
春になると畑の耕作を始めます。堆肥を混ぜ、畝(うね)を耕して種まきをするのが楽しみです。込み合った芽を間引きして、大きく育つように手を加えます。草取りと追肥に休む暇なくお付き合いをさせられます。
このように、家庭菜園は人生の伴侶といってもよいほどの友達ではないでしょうか。これが私の健康の秘訣だと思っています。

夫や妻と死別後、立ち直りつつある

40代女性
闘病生活の結果、3年前に主人を亡くし、ココロも体もぼろぼろになってしまいました。お互いに価値観が一緒で、なんでも話せる夫婦で、大親友でもありました。自分の片割れがなくなってしまったようで、さみしくて、苦しくて、涙が止まりませんでした。
今は、さまざまな癒しで、悲しみから、やっと立ち直りつつあるところです。
そろそろ前に出発しなくては、と思っています。気持ちを分かってくださる、または分かりあえる方にお会いしたい…。年齢、性別関係なく、新しいお友達も作りたいです。

50代女性
夫が病で亡くなり、三年が経ちました。
子供が巣立ち定年退職したら、夫婦でのんびり旅行やコンサート、映画館や食事などへ出かけ、第二の人生を楽しもうと考えていましたが、それも叶わず、夫は働き盛りで、年金を一度ももらうことなく旅立ってしまいました。
絶望、悲しみ、喪失感、怒り。そういった感情は、家族や周りの友人の支えや時の流れが薬となって徐々に薄れていきました。

50代女性
自由で楽しそうでいいね」とか「無理して明るくしているね」と言われます。どちらも当たっている私です。楽しい時間を沢山つくるようにしてはいますが…。

50代女性
主人と死別して9年が経ちます。なかなか立ち直ることはできませんでしたが、少しずつ落ち着いてきました。お独り様にはまだ慣れずに淋しく感じることがあります。

50代女性
今月誕生日だったので年齢が1つ増えました。
夫の写真に向かって「アナタの年齢に2つ近づきました。同じ年まで元気でいられるでしょうか?それとも越えて元気にしているでしょうか?どうか、ずっと見守ってください」と手を合わせながら、昨年はそれどころではなかったなーと、振り返られる私がいました。子どもたち、孫に花やケーキをプレゼントされ、久しぶりに嬉しい涙が出ました。
夫のいない2度目の誕生日でした。

50代女性
夫を亡くし1年が過ぎ、本当に泣いてばかりだった。でも、寂しいけど、この頃泣かなくなった

50代女性
自分自身を振りかえって、いざ語ろうと思ってもとても難しく、日が過ぎました。主人が倒れたまま急逝し10年がすぎました。悲しみはいつも同じところにあり変わることがありません。そんな自分でいいのだと受け入れられたのは、ここ数年の事です。

50代男性
妻を亡くして4年経ちます。苦しい時期を乗り越え、やっと落ち着いてきました。

50代男性
2年前に妻を亡くしてから、休みの日には読書をしたり、映画を見て、独りで過ごす日々が続いています。家を片づける訳でも無く、まるで2年前から時間が止まったような感じがします。
外へ出て、人の会話や活動をしたいと思うようになりました。

50代男性
今、猫と「ふたり」暮らしです。寂しくもあり楽しくもあり。
雨の日も晴れた日も、夜空の無数の星も、あるがままに感じ取れます。

60代女性
私は3年前に主人を亡くし、今は少しずつ元気を取り戻しつつあるところです。元気だった頃は主人と一緒に野球観戦、パークゴルフと卓球、カラオケ等、町内会の同好会に入り楽しんでいました。
私は30年位前から、同じ先生の元で女声合唱団に入り、充実した人生を送っておりました。しかし、主人の闘病生活から、すべての趣味を止め、付き添いの毎日でした。1年余り、共に戦ってきましたが叶いませんでした。

60代女性
死別後4年目の春、一人住いの母が施設入所となり、田舎の実家の処分が私に託されました。4~9月までかかって、一軒の家の整理が出来ました(地元の友人、知人、親戚の方々のお力を借りて)。この5ヶ月間が私の自立と自覚を促してくれた様でした。

60代女性
主人をガンで亡くし丸7年が過ぎました。私は60歳で、主人と2人、これから旅行したりして楽しもうと話していました。しかし、夫は8ヶ月の闘病で旅立ってしまいました。
悲しんでばかりいられません。気持ちを切り替え、現実を受けとめて、近頃はおひとり様生活も上手に出来る様になりました。望んだ自由ではないけれど、その自由を生かし、今は習字、卓球、水泳、菜園と、上手ではないけれど自分なりに楽しんでおります。

60代女性
私は七年前に主人を亡くし、四人の子供達もそれぞれの道に進み、四人の孫に恵まれ、今、倖せなのだと思っています。そう思えるまで、いろんな事がありました。人とのかかわりの中で学ぶ事がたくさんあります。

60代男性
昨年三月に妻を亡くして半年後、妻が一緒に連れてきたシーズー犬(13 歳)も突然亡くなりました。私自身も仕事を辞めたばかりで二重の悲しみの中、ペット・ロスになりかねないと思いました。それで、近所のペット・ショップに子犬を見に行くと、何と価格は20万円以上!もします。
なんとか、いい方法はないかと思い、市に相談すると、「動物管理センター」へ行ってみるようにといわれました。そこは、迷い、あるいは捨てられた状態の犬、猫がいました。
年齢はいろいろです。しかし、気に入るようなものはなかなかいません。帰りがけに、小さくて茶の犬(チワワ)が震えて(ふるえて)いるのを目にしました。担当の人に「この犬もらっていいですか?」と尋ねると、「明日土曜日に抽選会があります。それに参加して下さい」と言われました。
なんか気のりしなく、クジ運はまったくのダメ人間です。
翌日行ってみると、その小犬の希望者は、私を含めて6人います。皆さんは事前にインターネット等で情報を得て来たようです。初めにジャンケンでクジ引きの順番を決めると、なんと私が一番でした。それから、封筒にトランプが入れてあり、Aを引くと当たりです。当然、私が一番目に封筒から引くと見事当たり!あまりの出来事に驚く暇もなく、狐にだまされた感じとはこのことです。他の5人もアングリ状態です。推定3歳のメス犬を戴き、とても不思議な思いをして帰宅しました。飼い犬が亡くなって、わずか12日後のことでした。

~後日談。この犬は妊娠していたのです。たぶん、センターの獣医師も知っていて隠していたようです。後で「いらない」ということが出来ないシステムになっていました。また、飼い主もなんらかの事情で手放したのかも?約1月後に病院で帝王切開で出産しました。
今は黒の小犬と母犬がいます(※1匹死産、1匹は虚弱で処分してもらいました)。毎日、忙しく可愛い犬の世話に明け暮れる日々です。私も年ですし、この子達を全うしてあげられるか心配です。でも何か、「世にも不思議な物語」をみているような、あの世の妻が「そうすれば」と言わんばかりの出来事でした。~ジャンジャン~

70代男性
四年前に妻を亡くし、一時はどうなることかと思いました。くも膜下や弁膜症で病院通いはしていましたが、今日、明日の命とは考えもしていませんでしたから。ひと月くらいは何も手につかず、ただ茫然と日だけが過ぎていきました。何かしようとしても、ちょっとしたことが分からない。それだけで頭の中が真っ白になってしまうのです。
そんな状態から私を救ってくれたのは、小さな借り農園でした。キュウリやトマト、インゲン等が、雑草の茂みの中で私を待っていました。少しばかり心の中の何かが、洗い流されて行くようでした。
妻を失ってからしばらくの間は、人と会いたくないし、電話にも出たくありませんでした。朝のごみ捨てのときなど、お悔みの挨拶を受けるのが一番苦痛でみじめな気持ちになりました。
でも、菜園に行ったおかげで、この状態から早く抜け出したい、早く普通の精神状態に戻らなければと云う気持ちが強まっていきました。意を決して、休んでいた囲碁の会や、水泳教室に顔を出したのは2ヶ月目くらいだったでしょうか。あとで、仲間から「立ち直るのが早かったね」と云われましたが、一年間は地に足が着いていなかったように思います。時が解決してくれると云う気分も味わうことができました。

死別後に気づいた周囲の優しさ

50代女性
ボランティア団体に十数年前から所属しています。毎年、共に踊り、また普及のために福祉施設や外国の人たちと一緒に踊ったりなどのボランティア活動をしています。顔を合わすのは年に数回くらいです。個人的に親しくお付き合いをしている訳ではありませんが、みんな仲良しで笑い声が絶えることがありません。
夫が亡くなり踊る気力もなくなった時、「いつまでも待っているからね。」と言ってもらい、翌年は何とか踊れるようになりましたが、以前のような明るい笑顔にはなれないでいました。そんな私を温かく受け入れてくれ、やっと、笑顔を取り戻した私のことを皆はとても喜んでくれました。
そんな時、会から私に一つののし袋がプレゼントされました。「笑顔賞」と書いてあったのです。
夫が亡くなったことも、こんなに優しくしてもらったことも、私の人生に必要なことだったのかも知れません。いっぱい泣いた分、いっぱい笑うといいのです。

50代女性
夫を亡くした翌年から、介護の仕事を始めて、今年丸6年になります。47歳という妙齢?でしたので、自分の物覚えの悪さと記憶力の低下で、仕事を覚えることは、とても大変でした。
最初は何か1つ良い事をしてみようとか、お年寄りを助けようとか、そんな気持ちで始めたのですが、今振り返ると、身体の不自由なお年寄りに助けられていたのは、私のほうでした。夫を亡くした悲しみを充分理解している方が多く、いつの間にか私の悲しみを包み込んで、救いあげられていたように思います。
私の介護の信念は、利用者さんにお世辞を言ったり嘘を言ったりしない事です。認知の重度の方でも、流石に長年生きてきただけあって、私達が信頼のおける者なのかを常に見ていて見破るからです。
一度、ミスをしてしまい、先輩に注意をされたことがありました。それを見ていた、認知の利用者さんが、「貴方のことは私が守ってあげるから、大丈夫」と言ってくれた時は涙が出そうになりました。人と人が繋がっていくということは、片方だけがお世話に成っているのではなく、多面的にみると私も支えてもらっていることに気づかされたりします。
私は銀行とか書店とかの仕事に就いていましたが、介護の仕事が一番自分らしくいられると感じています。仕事は、きれいなものでもないし体力も必要ですが、私は、もしかしたら明日は会えなくなってしまうかもしれないんだなと思いながら、利用者さんたちと悔いなく楽しんで過ごしています。何事も楽しんで過ごせるよう、頑張って参りましょうか。

50代女性
私の事を考えてくれる友は有り難い事に沢山いてくれます。本当にどれだけ助けてもらった事か。振り返ればいつも寄り添ってくれる友、泣いてくれる友、励まし笑わせてくれる友、支えてくれる友、どれだけの感謝をしても感謝しつくせません。病気にもならずここまでこられたのは皆のお蔭です。
ただ年月が経って来ると無性に悲しく。季節のせいなのでしょうか?涙が止まらなくなります。

50代女性
主人を亡くし9年目になろうとしています。当時、PTAや町内会、子供のサークルの役員をしていて、そこで知り合った方々に助けていただきました。また同じ住まいの方や管理人さんにも見守っていただき、過ごしてこられました。

50代男性
誰かを思いやる優しい言葉に触れた時、人は天使の息吹を感じます。
真の力強い言葉に触れた時、人は魂の奥底から湧いてくる勇気を感じます。
良き言葉は善き言葉であり、自分を変えてくれる優しさと強さがあります。
苦しい時や辛い時に出逢った言葉は一生の宝物ですね。
ときに、言葉で…癒される事があります。
ほっとできる事があります。
心が落ち着く事があります。
がんばろうと思う事があります。
涙が落ちる事もあります。
やさしい気持ちになる事があります。
言葉はチカラなのだと思います。
そんな言葉を受け取れるように、いつも心を開いていたいと思っています。
そして、いつか自分の「言の葉」がたくさんの人に舞い降りて、勇気や優しさを感じてもらえたら幸せです。

60代女性
主人を亡くして4年半経ちました。子供達も独立しているので、犬と一緒の一人暮らしです。
この間、色々な友達、近所の人達、皆さんに助けられ、支えられて来ました。少し落ち着いて自分をみつめ直し、新しい生き方を探すことに…。そのためには身近な友達とは違う新しい出会いを求めています。

60代男性
きちんと自分の心を自己分析しないまま、時間が過ぎるのを待っていましたが、前を向く為には、セルフグリーフケアが必要なことに気がつきました。それも、周りの人たちのおかげだなと感謝しています。

夫や妻と死別して思うこと

50代女性
本当に突然に…。夫と死別してじきに4年。無我夢中で毎日を過ごし、最近ようやく自分自身のことを考えられるようになりました。友人知人には幸い恵まれてはいますが、やはり何となく閉じた暮らしをしてしまいがち。

50代男性
亡き妻と愛犬の遺骨を粉骨化してきました。これで、いつでも散骨することができます。あとは、散骨を希望する場所がかなうかどうかの問題です。
海外では火葬を選択すると「遺灰」の状態になるようですが、わが国では集骨しやすいよう如何にきれいに骨の状態に残すかに火葬炉設計に腐心しているかのような。遺族が遺骨か遺灰かを選択できるように願いたいものです。
前職場の後任者への引き継ぎ勤務も4月でほぼ終了し、これからは夢にまで見た「毎日が日曜日」です。お財布の中は「毎日が空席あり」ですが。

50代男性
今まで気付かなかった事に、ふとした瞬間に気付く事があります。
禅の世界では、気付きの瞬間を「禅機」と云います。
苦しい修行の後に訪れる、平穏で心が解放された静寂の時間にそれがやってくるそうです。
「気付き」には、天啓のようなタイミングがあるのですね。
お独り様の中には、つらい経験をされた方がたくさんいます。
まるで、禅の修行の如く、辛く苦しい時期があり、やっと乗り越えて今があります。
私もそのひとりです。いくつもの山を越え、ほっと一息。
やっと、気付けるようになったのですね。
当たり前の日常が、たくさんの人に支えられている事に。
生きているのではなくて、生かされている事に。
豪華な花のデコレーションよりも、可憐に咲く一輪の花の美しさに。
鳥のさえずりが自然と調和した極上のハーモニーだという事に。
夜が透き通るように美しい事も。
見えるはずの物、聴こえるはずの音、感じるはずの人の優しさに気付けなかった時、心を閉ざしていたのですね。
何気ない一言や、何度も読んでいるはずの本の一文に気付かされています。
今やっと、気付きの時期を迎える事ができました。
気付きとは、理解する事であり、感謝する事なのですね。

60代女性
夫と死別してから10年が過ぎ、当初は自分の人生も終わったものと思い生活していました。70才目前の今、当時の苦しい、悲しい気持ちから解放され、果たしてこれで人生終わるのかな、終わっていいのかなと考えます。
スポーツクラブに通い、少しの読書をし、家族とも普通に暮らしていますが、何か満たされない日々を送っている様な気がします。亡き夫の存在を改めて感じる今日この頃です。

60代男性
老境に入った今だから思うところですが、つくづく人生にはストーリーはないということです。「事実は小説より奇なり」。過去、素敵なドラマや、恐ろしいサスペンスもいろいろありましたが、メロドラマよりも恐ろしいほうが脳裏にたくさん焼きつく為か、そればかりの人生だったような気がします。
私は、妻に2度も死別にあったという男です(もちろん別々の女性です)。自身も病気で15~20歳まで生死をさまよったあげくに、奇跡的に完治はしました。でも、青春時代の5年間は長くて大変に辛く、悲しいものでした。その後も、色々な出来事に出会うたび、後遺症を引きずっているような状況です。
ある、有名な男性芸能人がいった言葉で、人生とは「10%の幸と、90%の苦である」という話。私も全くの同感です。
残り少ない人生ですが、私の精神的モットーでありますが、何事においても、自分が選択した結果に後悔はしないこと。そして、選択に迷いが生じたら、GO!で行く。今後もこれに徹して生きていくつもりです。

70代男性
独り者なので死んだ時に迷惑になるのではないかと思い、連絡網があればと思っています。
人は長生きしなければならない、そして長生きした人間がするのがボランティアであると考えています。

70代男性
定年を迎え、子供は出来なかったので、これからの余生をどう生きるか妻と相談の結果、若い頃から人生の楽園を森の中に求めたい夢があったため、私の我を通して*町の山麓に移住。夢が叶い、谷川のせせらぎを利用する水車をこしらえたりのアウトドア、車をキャンピングカーに自作改造して温泉巡りやオートキャンプなど趣味三昧の毎日で人生の楽園を謳歌していました。
しかし、わずか7年後に、健康体を誇示していた妻が突然のくも膜下出血で急死。奈落の底に落ちるが如く、哀れな独居老人と化しました。
時は流れ、それからさらに7年現在では立ち直り、特に好きな車旅行を車中泊で温泉巡り、オートキャンプの独り旅を楽しんで?います。しかし、如何せん楽しんでいるとは言いながら、独り身の侘しさは筆舌に尽くし難いものがあります。好き好んで森の中に移り住んだとは言いながら、男ヤモメには酷な余生です。
森の中なので薪が豊富です。今も赤々と燃える暖炉の前で書いていますが、いつまで続けられるやら…。

夫や妻と死別の悲しみから前向きに

死別から前向きイメージ

50代女性
主人を亡くしてから、精一杯頑張ってきました。最初は引きこもりの生活でしたが、このままではいけない、自分で行動できるようにならなければと目標を持ち、映画を観に行くことから始め、今は山登りや旅行も楽しんでいます。仕事をして、休日は家の事や、生活を維持するためのいろんなことをしています。
先日の休日には庭のサクランボの消毒をしました。「お前は行動的で前向き」と、自分を励まし褒めました。

50代女性
何かをやり終えると、ふと夫のいない寂しさに襲われることがあります。我が子がいても連れ合いがいない。「お独り様」と呼ばれることの悲しさや孤独を感ずることもありますが、天からいただいた自由です。自分がやりたいと思うことは何でもチャレンジしよう。
夫が生きることのできなかった60代を有意義に、そして楽しまなくては…。

50代女性
私には何も残っていません。悲しみと生きているのか死んでいるのか、この宙をふわふわと、さまよっている抜け殻の私でした。
しかし、私は生かされていました。私は生きている、そう気がついたのです。春を迎えている。彼は私を生かしてくれたのだと…。私は、これから自分らしく生きていかなくてはと思えるようになりました。私は、ここからスタートします。本当にご苦労様でした。今も愛しています。ありがとう、あなた。

50代女性
まだ時々涙がこぼれますが、亡くなった彼にいつまでも心配をかけないよう、少し前向きになろうと思います。夫は私の周りにたくさんの幸せの種を残してくれていますから。

50代女性
夫と死別後、やっと前を向いて一人の人生を楽しんで生きて行こう!!と思うようになれました。

50代女性
主人を突然死で亡くしました。前向きな気持ちで、いろいろなことを楽しみたいです。

50代女性
3年前、夫に先立たれました。現在子供と二人暮らし。これからの人生を楽しみたい、男女の友達がほしい…と、最近前向きに考えるようになりました。

50代女性
カラオケ・野球の応援・パークゴルフ・旅行、全て夫と一緒だったから、1人になった時どこにも行けず、家の中にいた。可愛がっていた犬も亡くなった時は、半端なく落ちこんだ。
きっかけになったのは、大好きだった歌手のコンサートに行った事。会場全体が昔に戻って、 一人で行ったのに周りの人と楽しく過ごしてきた。

50代女性
主人が亡くなって20年以上経ち、大病を患い、療養生活も経験した今、主人との思い出に生きる過去にばかり生きる)のは止め、ようやく前向きに生きる気持ちになりました。
療養生活中に友人2人が病気であいついで亡くなり、寂しい思いをしていたのも一因です。

50代女性
とても心に残っている文があります。それは「無念の想いで先に逝ってしまった人の分まで、残された人は生き抜いていかなければならない」。まさに私へ課されたことだと思いました。もう10年になるのに、こんなにはっきり文章になるとあらためて気づかされました。

50代男性
妻が亡くなって早七年以上過ぎました。その後もいろんなことがありました。親の死、子供の教育のこと、仕事の厳しさ、健康のことなど盛りだくさん。今、やっと落ち着いて一段落です。それこそ嵐のようでした。
これらの経験は、つらいことばかりだったけれど、過ぎ去ってみれば、私自身を形作っている一部のような気がしています。
「寒さにふるえた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る」 (W.ホイットマン)
最近目に留まったことば、感銘を受けた言葉です。この詩がこころの中にしみわたり、痛いほど良く分かります。おこがましいようですが、以前よりも人の気持ちが良く分かるような気もしています。

50代男性
過去の苦しみや辛さは時間とともに薄れていきますが、決して消えたりはしません。それでも、日々をたんたんと過ごしていくしかないのです。
先人の言葉に「人生には大きな幸せが、そんなに多くあるとは思えません。だから、身の回りにある小さな幸せをたくさん拾い集めて、大きな幸せにしていきましょう」とあります。
毎日の生活の中で、ちょっとした楽しみを見つけ、ほほ笑む事ができたらとても幸せですね。ささやかな事で幸せを感じる、そんな心の習慣を身につけたいですね。

50代男性
通り過ぎるだけのいつもの道。
毎日、通る道にあった可憐な花。
見ようとしなければ見えてこない。
いつもそこにあったのに…。
いつも接している人の本当の姿。
ふと見せる優しさ、想いやり。
感じようとしなければ感じてこない。
ずっと同じだったのに…。
川のせせらぎと鳥の声。
心安らぐハーモニー。
聴こうとしなければ聞こえてこない。
いつも変わらずに奏でていたのに…。
何も見えない、感じない、聴こえない。
それは、見ようとしなかったから。
感じようとしなかったから。
聴こうとしなかったから。
いつもそこにあったのに。
やっと気づいた。
気づいて良かった。
気づけた事に感謝です。
やっと、心が感じられるようになりました。
優しく、そして暖かい魂に触れた時、やっと心の雪が解けました。

60代女性
死別13年目に成り、日々、毎日手さぐりで生きている状態です。目標を見つけ出す事も出来ず、挫折の毎日でした。
人間は1人では生きて行けない。必ずや誰かに支えられて生きている。であれば、キズのなめ合いじゃなく、前向きに生きていける仲間創りの輪が出来たら幸せなのにと思うようになりました。“皆んな幸せになあれ”が私の合言葉です!

60代女性
友人は離婚して20年。長年一人で「嫌いなダンナと別れて、せいせいしている。のんびりしているよ」と言って笑っています。
しかし、私のように子どものいない人と、一人でも実子のいる人は、同じ一人でも微妙に行き違った心があると見えて、心の底まではわかりません。私は孤独感から脱しない限り、今後の人生も危い感じになっています。
元来、元気で行動的な婆さんでしたのに、主人が亡くなっただけでどうなるか不安。私より年上で元気な人は沢山いると思います。そんな人達に逢って、自分なりの元気をとり戻したいです。そして、自分が力を取り戻したら、誰かのために力になりたいです。虫のいい話ですが、人の輪に入ってこれからのエネルギーをもらいたいです。

60代女性
夫とは死別の60代の女性です。幸い健康には恵まれ、今は一人で頑張っています。

60代女性
私が単身赴任までして20年働いて、夫が定年になり、楽しい第2の人生なんて思っていた矢先、夫がガンにとりつかれてあっけない別れとなり、本当に悲しい日々でありました。でも、止まぬ雨はないと言いまして、小降りになったようです。これからの人生、前向きにと考えるようになりました。

60代女性
3年前に夫を、先月ペットのネコを亡くしました。本当の独りになってしまいました。仕事のことなどで、喜び寂しさを話すことがかなわなくなってしまいました。この頃「生きる」意味さえわからなくなることがあります。情けないですね(笑)
一人は自由ではありますけど、その何倍も寂しさがあることを初めて知りました。まずは前に進まないことには結果が出ませんものね。

60代女性
父は早く他界。夫も亡くなり、私が母の介護に通い出して9年になります。その時々で色んな事にぶつかる度、ああ、これも、あれも勉強、勉強といいきかせております。自分の老後の行く末と例えております。

60代男性
死別7年目で心の整理がつきました。残りの人生をアクティブに送りたいと思います。

60代男性
私の笑顔が あなたを 笑顔に
あなたの笑顔が 誰かの笑顔に
幸せは 感謝の 積み重ね
ありがとうの先に 笑顔が 生まれる

60代男性
健康管理は大事ですね。今まで、私も妻もお互い健康で特に悪いところはなく、病気は他人ごとと思い、余り気にしていませんでした。しかし、妻が病気になり、それを機に48年働いた職業生活をリタイアしました。
もっと、妻の健康管理に気を付ければよかったと思っています。妻が元気だったら、もっと楽しい生活ができたのに、仕事もあと数年は働けたし、慣れていたのに等、反省ばかりしています。
健康管理のポイントの一つは、風邪をひかないことです。風邪の症状が出ると、さみしく、心細くなります。私は風邪をひきたくないのでとにかく外出後は手洗い、うがいを励行しています。そして、風邪かなと思ったら、酒粕を飲んだり、大根飴、片栗粉・砂糖とお湯のミックス等を食べたり、また睡眠も十分とるようにしています。
お陰さまで、近年風邪はひいたことはありません。でも「馬鹿は風邪ひかない」と言われていますので、そのせいかもしれません。

70代女性
今の私は、わが家の窓辺に寒さにも負けず毎日誇らしげに咲いてくれる花々に囲まれながら、花に向かって「おはよー、今日も綺麗ね、明日も元気に咲いてね」から始まります。
長年連れ添った夫でした。夫の二〇年に渡る闘病生活は一生懸命尽くしました。あんなに大変だった看病も、居なくなりますと淋しいものです。あれもしてあげれば良かった、これもしてあげれば良かった。あんなに尽くしたのに悔いはあるものです。
幸い、今の私は素晴らしい友人に励まされ、助けられ、生きて行く力を頂き、サークルにボランティアに生き甲斐を見つけました。なるべく友人にも迷惑をかけない様、前を見て、友人に感謝しながら、誰かの為に私の出来る事をしなければとの思いです。

70代女性
独身満喫中の私。先日、ある本に目を通していたら、ニヤッとする様な笑える作品をみつけました。今の私の気持ちかなと…。そして先立った主人の思いかな…と。
他人の川柳拝借
子は育ち 夫は先立ち いま青春
先に逝き 待てど暮らせど 来ぬ女房

70代女性
夫に置いて逝かれた当初五年間は、いつも胸に涙がいっぱい溜まっていて、丁度、水のたっぷり入った風船が何かの拍子にパッと割れるように、心が少し揺れると涙々でした。明日の予定など何もなく、太陽の光や車の音が恐くて引きこもっておりました。
13回忌も間近の今は趣味三昧、おひとり様も良きかなの毎日です。しかし、限られた年金暮らし、いつ病気になってもおかしくない年令ですから、趣味などへの出費は極力控え目にしています。

70代女性
死んだ子の年を数えると言いますが、私は夫が生きていれば今年で何歳、とよく数えます。夫が亡くなった七十五才まで生きられたので、あとは母が逝った八十九才を目標に、よく動き、よく食べ、よく眠って生きて行きたいと思います。

70代女性
老人福祉センターで、お月謝を支払って週一回ずつ二つの習い事に通っています。その発表会が酷暑の中、五回あり、暑さにもめげず出歩いていました。こうして外様を楽しんでいられるのも、夫が亡くなって奥様を廃業、おひとり様になってしまったおまけです。
着物を着る時、やれ腰ひもが足りない、この帯は合わないとブラジャー一枚、裾除け(すそよけ)ひとつで、タンスの置いてある和室と姿見のある洋間を走り廻る。もしそこに夫が居て、テレビでも見ていたら、こんなあられもない姿は見せられない。こんなお気楽ができるのもおひとり様なればこそ。涙を封印して、只今、後家街道まっしぐらです。

70代女性
主人と死別して10年目。いろいろな事がありました。ある言葉で、前向きに生きようと思いました。
人に求めず自分を変えよう。すべてわが身の一歩から“。
チャレンジ精神で生活するように心がけています。

70代男性
妻を病気で失い、今日まで孤独でわびしい日々を過ごしてまいりました。そして気がつくと、早や10年余の歳月が流れていました。

一人娘は29年前に嫁がせました。幸い近郊なので何かと心強く思っています。しかし、娘には義理のご両親がいらっしゃるので、私は常々、自分の身は自分で何とかするから、そちらのお父さん、お母さんを大切にしなさいと申し、あえて娘に余計な心配・負担をさせないように考えています。
いま、あらためて過ぎた年月を振り返ると、さまざまな出来事が走馬灯のように脳裏をかすめ、また巡ります。本当にここまで来るのは長かったと実感しています。

妻は闘病生活3年。二人三脚で、ひたすら回復を唯一の目標として夢中で療養介護に努めてまいりましたが、残念ながらその願いはついに叶うことはなかったのです。その時の精神的衝撃は非常に大きく、胃腸障害や不眠症など体調に異変が生じました。
でも、長い時の流れや経過によって徐々に孤独の生活にも慣れ、今は何の不思議も疑問もなく、ひたすら自身の体調管理に専念している今日この頃です。しかし、加年とともに気力や体力が弱まり、つい臆病になってしまい、さらに寂しさが募ってくるような気がしてなりません。

最近は私のような孤独者を取りあげた報道、本の記事が多く、その殆どが私の想いと同様です。拝見し、私はこれまで多分に本音を隠し、平静を保って無理をしてきたような気がいたしました。世間には私と同じ境遇の方々が数多く、孤独に苛まれながら健気に頑張っていることを知り、男女の差こそあれ、その苦しみや寂しさは誰もが同じで、これからはもっと素直に胸襟を開き、同じ悩みや苦境を語らい、少しでも目の前が明るくなるような生き方をしていこうと考えました。

70代男性
同居していた次女の一家5人が、近くですが新居を構えて転居していきました。賑やか過ぎると思っていた家の中は、火が消えたように静かになってしまいました。この時から私は文字通りのお独り様になってしまいました。
がらんとした空き部屋がたくさんできました。ここに誰か来てくれないかな!と期待するのは無理な願いですね!淋しい単調な生活が続いていくことは体調にもよくないので、何か生き甲斐のもてる目当てを持たなくてはと思いました。空き部屋が利用できることで思いついたのは、植物を育てる事でした。植物は生き物なので、人と気持ちを伝えあうことができます。水が欲しいよ!水が多すぎるよ!肥料が足りないよ!肥料が多すぎるよ!植物は葉の色や艶、伸びる勢いやしおれてしまう容態によって気持ちを表しているのです。植物と会話をしながら過ごしていくと淋しくないと思いました。
そこで、以前に成功したことのある「パイナップル」の栽培に挑戦してみようと思いつきました。「パイナップル」を育てるためには日当たりのよい南側の空間と、冬期間の室温が20℃以上必要になります。また、開花し結実するまでには3~4年位かかりますが、何とか実らせたいと頑張るつもりです。まずは自分の健康と規則正しい生活を続けることを大切にしたいと思います。

70代男性
妻はガンで死す。子供3名(男1、女2)独立。孫6名。私は一人暮しで元気です。これからも元気で、子供たちの負担にならない生活を続けていきます。一人生活も慣れてきました。早いもので10年になります。
子供達が良く気配りしてくれています。これも妻が、生前に子供に良い生活をしっかり教えていたためと、亡き妻に感謝しています。今後も子供、孫に尽くして行きます。親が良い見本を示してあげないと、と人の悪口を言わず、良いことは話して、他人に喜ばれる生活をすべきです。

70代男性
昨年春、妻を癌で失い、残された義母と二人で毎日を過ごしています。与えられた条件の中でも元気に生きなければ…と思いますが、追慕の念も激しいです。
若い時の独身と違って、この年になっての一人暮らし(正確には義母と二人ですが、気分は一人)はこたえますし、気分も鬱々となります。
一人の食事も味気なく、世の動きや季節にも鈍感になり、このような無気力な自分に腹を立てています。でも同時に、なんとかこれからの人生をそれなりに有意義に、楽しく、自分らしく、元気に生きていかなければ、とも思っています。

お独り様会会員様の寄稿から抜粋しています。

お独り様会

独身の「友達」を作ることから始めませんか

独身者限定で、同性・異性の友人作りを目的とした会です。

未婚・離婚・死別の方々が「友達をつくりたい」「結婚相手を見つけたい」「同じ独身の方と気持ちを共有したい」などの目的で入会し、会報、LINE、オフ会、オンラインコミュニティサロンなどを通して日々交流しています。

会費:月額1,980円
20~34歳の女性は無料

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 妻をガンで亡くして2年8か月。
    そろそろ立ち直らなければと思い結婚相談所に入りました。
    ですが、数人の方とお見合いをして出た結論は「妻は宇宙1」でした。
    早く迎えにきてくれないかな~

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