有名人も、リアルの世界では私たちと同じく、独身だったり、恋をしたり、失恋したり、相思相愛となったり、パートナーと気づかいあって仲良く暮らしたり、破局したり、死別したりしています。
気になる有名人や、興味深いエピソードをご紹介します。
あ行
蒼井 優(あおい ゆう)
既婚(2019年に南海キャンディーズの山里亮太(やまさと りょうた)さん、山ちゃんと)。1985年生。女優。
蒼井さんが山ちゃんのことを尊敬していたため、冗談でしずちゃんが「山ちゃん(を彼氏とかに)どう?」と言ったら、蒼井さんが真に受けたという。交際から2か月で結婚。2022年、第1子女児を出産。
青木さやか(あおき さやか)
離婚(一般男性と)。1973年生。お笑いタレント。
2007年、3歳年下のダンサーと出会って、半年で結婚することを発表。2010年女児を出産した。2年後に離婚し、女児の親権は青木さんが持つ。
浅丘 ルリ子(あさおか るりこ)
離婚(石坂浩二さんと)。1940年生。女優。
浅丘さんの実家は、戦後、日本に引き揚げた際、先に出港した船が沈没し、一家で命拾いしたという。東京の借家で生活は貧しかった。
映画『緑はるかに』ヒロインのルリコ役を募集していると中学生の時に知り、両親も賛成のもと応募、銀幕デビュー。芸名もそこからとった。
日本映画全盛期の日活アクション映画において、小林旭(こばやしあきら)さんや、石原裕次郎さんの多数の作品でヒロイン役を演じた。
私生活では、1960年頃に小林旭さんと事実婚の関係にあったが、1961年に別離。
出演映画の監督を務めた蔵原惟繕(くらはら これよし)さんとは愛人関係にあった。
1971年、ドラマ『2丁目3番地』で共演したのをきっかけに石坂浩二さんと結婚。石坂さんは当時の世の男性の羨望を一身に集める事となったが、程なくして別居。30年後の2000年に正式に離婚した。
その後、大衆演劇俳優で「劇団誠」座長の松井誠さんとの交際を公にしたり、2013年には金児憲史さんとの交際が報じられて話題になった。
浅野 温子(あさの あつこ)
既婚(1983年に作詞家の魚住勉さんと)。1961年生。女優。
アナウンサーの魚住優(うおずみ ゆう)さんは、結婚翌年1984年に生まれた長男。
浅野さんは1988年に放送されたトレンディードラマ「抱きしめたい!」で共演の浅野ゆう子さんと共に「W浅野」と呼ばれる人気を博す。
1991年に武田鉄矢さんと共演したドラマ『101回目のプロポーズ』が話題に。
翌年からドラマ版『サザエさん』でサザエを演じるコメディエンヌぶりも披露。
1995年には『沙粧妙子-最後の事件-』でイメージを一新しクールな役を演じるなど多彩に活躍した。
それら全ての時期に既婚で子供がいたこととなる。
浅野 ゆう子(あさの ゆうこ)
既婚(一般男性と)。1960年生。女優。
父親は母親の妊娠を知ると「子どもはいらない」と母の腹を蹴り、ゆう子さんが生まれた直後に新しい女性を連れて、産婦人科に離婚話を持って来た。そして、母の銀行の退職金を持って逃げ、3歳の時に両親が離婚。ゆう子さんは親戚の家を母と共に転々とし、母はゆう子さんを連れて自殺しようと何度も森に入ったという。
ゆう子さんは幼少時代から大人びており、小学4年生で既にナンパされるほどだった。小学6年生の秋、母や友人とラジオの公録『スターへの登竜門』を見た帰りにスカウトされる。
1979年(19歳ごろ)、夏のカネボウ化粧品テレビCM「一気にこの夏チャンピオン」で披露した大胆な水着姿は世間を驚かせた。
プロポーションは当時から芸能界随一と噂された。面積極少の三角巾風のブラとパンティは、際どいところを辛うじて隠す大胆なものであった。
当時は東京都内の国鉄や私鉄、地下鉄の構内にポスターがよく貼られたが、朝貼ると夕方までに全部盗まれて、マスメディアにも大きく取り上げられた。
1988年にフジテレビの連続ドラマ『君の瞳をタイホする!』のヒロイン・シングルマザー役に抜擢された。
写真は左から工藤静香さん、三上博史さん、陣内孝則さん、浅野ゆう子さん。
さらにドラマ『抱きしめたい!』で『W浅野』と呼ばれた浅野温子さんとの競演で、女性からの圧倒的な支持を受けた。
これ以降は「トレンディドラマの女王」と称される程にブレイクし、1990年代初頭には、W浅野を意識した服装が大いに流行している。
私生活では、2014年、自宅で当時交際中だった俳優の田宮五郎さんが47歳でクモ膜下出血で倒れ、浅野さんに看取られ死去している。
2017年に一般男性と結婚したことを公式サイトを通じて発表した。
麻生 久美子(あそう くみこ)
既婚(伊賀大介さんと)。1978年生。女優。
伊賀さんが、麻生さんのスタイリストを担当したのがきっかけで、4年の交際期間を経て2007年に結婚。女児と男児を出産。
天海 祐希 (あまみ ゆうき)
独身(未婚)。1967年生。元宝塚歌劇団月組トップスター。
woman.exciteに、情報番組スタッフコメントとして、もっともゴールインに近づいた男性は、吉川晃司さんとしている。30代半ばだった天海さんと吉川さんは結婚目前とまでいわれていたとのこと。吉川さんは2歳年上。
安室 奈美恵(あむろ なみえ)
離婚(元夫はダンサーのSAMさん)。1977年生。
安室さんは芸能界を引退し、現在は私人であるため、その後の情報は出ない可能性がある。
元夫のSAMさんは1962年生で15歳年上であった。1997年に結婚し、2002年に離婚。男の子が一人いる。
綾瀬 はるか (あやせ はるか)
独身(未婚)。1985年生。女優。
オリコン調査の「恋人にしたい女性有名人ランキング」で、2009年以降、5回、1位に輝く。
しかし、恋のうわさはほとんどなく、FRIDAYには、「記者泣かせで、昔から張り込んだり、車で追っかけていてもすぐにバレる」と書かれている。一方、同じくFRIDAYで佐藤健さんとの噂が報じられている。
新垣 結衣 (あらがき ゆい)
既婚(星野源(ほしのげん)さんと)。1988年生。女優。
『逃げるは恥だが役に立つ』の撮影終了後、共演者であるシンガーソングライターで俳優の星野さんと交際を開始。
東洋経済オンラインは、メディア各社が星野さんと新垣さんの結婚を一斉に報じた際、日本中が驚きと祝福の声に包まれたと記しており、2人の交際をにおわす報道が事前になかったとしている。結婚は2021年。星野さんが7歳年上。
有森 也実(ありもり なりみ)
未婚。1967年生。女優。
1991年のテレビドラマ、『東京ラブストーリー』出演で注目された。
写真は左から江口洋介さん、有森也実さん、鈴木保奈美さん、織田裕二さん、千堂あきほさん。
有森也実さんは優柔不断な役どころから嫌われ女優となり、事務所に脅迫状やカミソリ入りの手紙まで送られている。なお、手紙は事務所のスタッフが整理した上で有森さんに届けたため、有森さん本人が脅迫状などを直接手にすることはなかった。
恋愛に積極的で「仕事が終わって彼氏の家に行って、彼氏と24時間、唇が腫れるまでキスをした」、「彼氏が骨折で入院した時に、毎日長い文章の手紙を送り続けて彼氏がストレスで胃潰瘍になった」など、「ドラマと実際のキャラクターに差がある」ことが原因で、恋愛が短期間で終わることが多々あったという。
自身の写真集ではセミヌードなども披露している。
飯島 愛(いいじま あい)
未婚。1972年生−2008年没。元AV女優、タレント。
厳しい両親に育てられ、小学校の頃は成績が良くおとなしい子であった。しかし、中学1年で精神的な支えでもあった祖父が亡くなったことで精神のバランスを保てなくなり、両親からのプレッシャーに耐え切れず非行に走った。
中学卒業前後には既に家出同然の状態で、彼氏との同棲を経て、六本木でホステスとして働いていたところをスカウトされ、1992年にAV女優となる。芸名は店のママが「みんなから愛される子になるように」と「愛」という源氏名を付けてくれたことによる。
AVデビュー後、『とんねるずのみなさんのおかげです』のスタッフととんねるずの木梨憲武さんが彼女のファンであったことから、同番組にハプニングゲストとして出演したことがテレビ初出演。1994年頃、AV女優を引退。完全にタレント業へ転身した。
2000年、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害、AV出演や性病感染、中絶手術、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされた。
2007年、腎臓病(腎盂炎)であることが報道され、引退。引退後も「飯島愛」としてブログを続け、2008年12月5日、最後のブログを更新。同月24日、渋谷インフォスタワーの自室で亡くなっているのが親戚の女性によって発見された。死後1週間ほど経過していたことが判明した。
亡くなった後、芸能人の千秋さんが飯島さんとのツーショットを公開。飯島さんとタイに行ったときに撮影したとのこと。
井川 遥(いがわ はるか)
既婚(ファッションデザイナーでブランド「ato」のプロデューサーである松本与さんと)。1976年生。女優。
wikipediaによれば、14歳年上の松本与(あとう)さんと2006年に結婚。女児と男児を出産。
yahooニュースによれば、2022年、自身のインスタグラムで、結婚記念日を夫と祝ったとして「築地で天麩羅を食べて 銀座を歩いて 16年目の乾杯」と投稿した。
石川 秀美(いしかわ ひでみ)
既婚(薬丸裕英(やくまるひろひで)さんと)。1966年生。元歌手。
1989年、23歳の時に、芸能界の同期でもある薬丸裕英さんとの親密な交際が報道され、当時は珍しいアイドル同士の恋愛として話題になった。
翌年1990年に結婚と妊娠8か月であることを発表。その際、石川さんの芸能活動は一時休止とされたが、出産を経てからも本格的に復帰することはなく、各種タレント名鑑からも名前が削除され、事実上引退となった。
一方、文春オンラインによれば、薬丸さんには仕事がない時期があったという。
所属していたシブがき隊は、後からデビューした少年隊が高いダンス技術をもって追い上げてきたうえ、チェッカーズや吉川晃司といった従来のアイドル像をくつがえすようなライバルが現れていたこともあり、交際報道前の1988年に“解隊”していた。
薬丸さんはそのままジャニーズに残るつもりでいたが、ほかの二人が退所したのでそれに続いた。
周囲は「パパドル」として売り出そうとするも、抵抗した。「僕自身は父親や家庭の匂いを感じさせないアイドルのままやっていけると思っていた。でも、需要と供給が一致してないんだから、仕事が来るわけがない」と振り返る。
妻に仕事がないと思われるのがいやで、撮影現場に出かけるふりをしてゴルフ練習場やスポーツクラブで時間をつぶしたという。
そんな中、あるトーク番組で「毎日チラシを見て、安い店で買い物をするようにしている」としゃべったのを、『はなまるマーケット』を立ち上げたプロデューサーが見て、生活感があると感じ、MCとして起用。
薬丸さんは番組開始時に「半年間の“つなぎ”だから」と言われていたという。結果的に1996~2014年まで、17年半に渡り岡江久美子さんとともに総合司会を務めた。
薬丸さんと石川さんは現在、3男2女の親となっている。
長男の薬丸翔(しょう)さんは芸能界デビュー。2021年、第一子となる男児が誕生し、石川さん、薬丸さんにとって初孫の誕生となった。翔さんは、出演した舞台の衣装部に在籍していた3歳年上の女性と2019年に結婚している。
長女はRemiの芸名でタレントとして日本とアメリカで同時デビュー(ハワイに居を構えDJなどをしている)。
次男はサッカー選手としてヨーロッパで活動。三男は、13歳から海外へ留学し、将来、サッカー選手を目指している。その他、次女(5番目)がいる。
石田 ゆり子(いしだ ゆりこ)
未婚。1969年生。女優。
LINEニュースによれば、結婚願望を明かしている。
「一生のうち一度は、誰かの奥さんになってみたい。一度も誰かの妻にならず終わるというのは寂しい」。だが、「自分は何もできないし、手際も悪いし、不器用というかマイペース。一緒に暮らしたら、めんどくさいと思う」と自身の性格を分析。さらに「常に人がいるとダメ。ずっと人がそばにいると頭がおかしくなる」と距離感を大切にしたいと打ち明けた。
石野 真子 (いしの まこ)
離婚(長渕剛さん、広岡瞬さんと)。1961年生。女優。
『スター誕生!』でスカウト意向の芸能事務所プラカードが16社から挙がった。石野さんのキャッチフレーズは「100万ドルの微笑」。
初めて出演した映画『九月の空』にはキスシーンがあり、撮影自体は1度でOKを出せたものの、本番後に石野さんは涙を流したという。
1981年、歌手の長渕剛(ながぶちつよし)さんと結婚し、芸能界から引退。
石野さんは幸せな結婚をして家庭に入ることが夢のひとつであった。長渕さんからも「家庭に入って欲しい」と望まれたという。
挙式直後、インタビューで長渕さんは「やっと自分のものになった。うちはもう亭主関白でいきます!」とコメントした。
しかし長渕さんからの度重なる家庭内暴力や、長渕さんの母との確執などが原因で結婚生活は2年だった。1983年に離婚と同時に芸能界へ復帰し、主に女優として活動を始める。
長渕さんとの結婚引退直前には、セミヌードグラビアが雑誌「GORO」に掲載された。アイドル引退前年の秋(19歳時)に、山中湖で篠山紀信さんによって撮影された。従来の正統派アイドルのイメージをくつがえすアダルトな世界を模索し、背中を大きく露出したり、バストトップを見せるなどの大胆なショットになった。
しかし、グラビア掲載後に出演したラジオ番組の中で「まさか(バストトップが)写っていたとは思わなかった」と釈明すると共に、本人に承諾なく掲載されたことに憤りを感じていると語り、ファンに対して涙声で謝罪した。
テレビ『歌のトップテン』の初代司会者を、徳光和夫さんと共に約1年間担当。元夫の長渕さんが「注目曲コーナー」で同番組に生出演し、長渕さんが直接「元気?」と尋ねると石野さんは「元気」とうなづきながら答え、長渕さんが歌唱する直前、石野さんは「頑張って!」と励ましの声を掛けた。
1990年、舞台共演がきっかけで親しくなった広岡瞬(ひろおかしゅん)さんと2度目の結婚をしたものの6年で離婚。
元極真空手全日本チャンピオンで会社経営、新進党大阪府第18総支部会長などを務めていた大西靖人(おおにしやすと)さんと石野さんは愛人関係になった。
大西さんが2003年にガンで死去した際の葬儀会場には未亡人と共に臨終を看取った石野さんの姿もあった。
2011年にはイオン×ワコールが選ぶ「美胸(びむね)大賞」(50代の部)を受賞している。写真はともに受賞した辺見えみりさん、国生さゆりさん、石野真子さん。
著名人に石野さんのファンは多い。小泉今日子さん、堀ちえみさん、芳本美代子さんは石野さんに憧れて芸能界へ入った。ダウンタウンの浜田雅功さんは、石野さんのファンで頻繁にメールのやり取りをする。爆笑問題の太田光さんは、「石野さんの所属事務所にファンレターを送り、返信の葉書を本人から頂いた」と証言している。
いしの ようこ
未婚。1968年生。コメディエンヌ。
姉は女優・歌手の石野真子(いしのまこ)さん。妹は元タレントの石野敦子(いしの あつこ)さん。
ようこさんは1985年にアイドル歌手としてデビュー。「アイドル・石野真子の妹」ということでデビュー時から注目を浴びていた。
テレビドラマ『セーラー服通り』の主演や『志村けんのだいじょうぶだぁ』で志村けんさんと息の合った夫婦コントでバラドルとして人気を博す。
志村さんはかつて、いしのさんが恋人であることを公言していた。年の差18歳。
いしのさんは、2019年に放送された「人生イロイロ超会議」にて、1歳年下の男性と事実婚であることを明かした。
石原 真理子(いしはら まりこ)
離婚と思われる。1964年生。元女優。
高校2年時にスカウトされ、1980年「翔んだカップル」のヒロインとしてデビュー。
ドラマ「ふぞろいの林檎たちシリーズ」などで、清純派女優として人気を得た。
写真はふぞろいの林檎たちの撮影現場ショット。(左から) 石原真理子さん、時任三郎さん、中島唱子さん、柳沢慎吾さん、中井貴一さん、手塚理美さん。
一方で石原さんは「ぷっつん女優」の1人とも言われ、その破天荒な言動は注目を浴びた。
1985年、19歳の時にミュージシャンで既婚の玉置浩二(たまき こうじ)さんとの交際が発覚。玉置さんとは6歳差。
石原さんは記者会見を行い事実を認めたが、1986年に破局した。
吉川晃司さんの1987年発売シングル「MARILYNE」は、当時の恋人である石原さんとの恋愛実体験を歌詞にした曲である。吉川さんは石原さんの一歳年上。
石原さんは1989年に渡米。現地の大学卒業後も米国に留まり、家具を修理保善する会社でアルバイトをしつつ、女優のオファーがあると日本に戻り仕事をする生活を続けた。2003年に16歳年下の米国人男性(白人)と結婚。しかし、2004年に破局。
帰国し、全盛期である1980年代の自身のことを中心に綴った自伝「ふぞろいな秘密」を2006年に発売。
石原さんは同著書を原作とした実写映画を、石原さん自らが監督を務め2007年に公開。
2009年、かつて交際していた玉置浩二さんと23年の時を経て復縁したことが報じられ、都内の区役所に婚姻届けを提出。同年4月にギリシャで挙式、新婚旅行は世界各地を巡る旅であった。しかし、7月に訪れた韓国で玉置さんといさかいを起こし、置き去りにされたという。その後、玉置さんと破局したことが報じられた。
また、前夫である米国人男性と正式に離婚が成立していなかった(婚姻継続状態)ため、2月に提出した玉置さんとの婚姻届けは受理されていなかったことも併せて報じられた。
2017年に墨田区内のスーパーで弁当など数点を盗んだ疑いで警視庁に任意で聴取され、書類送検された。
2018年には53歳で水着姿を披露している。
いとう あさこ
未婚。1970年生。お笑いタレント。
異性関係の希薄さや金銭面の困窮など、自虐的なネタを好んで用いる。
恋愛体験として、初めて交際した男性は熱燗を飲んだ勢いで性行為をした人で、20歳の時だった。2人目の男性も赤ワインの勢いで交際し、3人目は芋焼酎だったという。
稲森 いずみ(いなもり いずみ)
未婚。1972年生。女優。
高校3年生の時にモデルデビュー。1996年以降、ドラマ『ロングバケーション』『ビーチボーイズ』などに出演した。
『ハッピー・マニア』は連続ドラマ初主演となり、藤原紀香さんと共演した。
井森 美幸(いもり みゆき)
未婚。1968年生。バラエティアイドル。
15歳の時ホリプロタレントスカウトキャラバンで12万人の中からグランプリを獲得し、アイドル歌手としてデビュー。当時のキャッチフレーズは「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」。
現在も独身。そのため、デビュー当時のキャッチフレーズをもじって、バラエティ番組で「未だに誰のものでもありません」などとネタにしている。
岩崎 宏美(いわさき ひろみ)
離婚・既婚(離婚は一般男性と。再婚はミュージカル俳優の今拓哉(こん たくや)さんと)。1958年生。歌手。岩崎良美さんは妹。
中学3年生の時に日本テレビ『スター誕生!』に応募し、最優秀賞に輝く。
ドラマ『火曜サスペンス劇場』の主題歌として、1982年に発売された「聖母たちのララバイ」が大ヒットとなった。
1987年、女優としてTBSテレビの連続ドラマ『男女7人秋物語』に出演。
写真は向かって左から、岡安由美子さん、片岡鶴太郎さん、大竹しのぶさん、明石家さんまさん、岩崎宏美さん、山下真司さん、手塚理美さん。
1988年、商社マンと結婚。芸名も夫の姓に合わせて益田宏美に改名した。長男と次男を出産。1995年に協議離婚が成立し、子供の親権は夫側が、養育権は岩崎宏美側が得た。しかし翌年に前夫が再婚し、前夫の後妻が養子縁組する形で子供たちを引き取ってしまう。岩崎さんは提訴を考えたが、「公判中は子供に一切面会させない」と告げられたため断念したという。
前夫が再婚相手と2人の子供を連れて海外へ転勤したため、子供に会うことはできなくなった。芸名を岩崎宏美に戻して歌手活動を本格的に再開した。
1998年にミュージカル『レ・ミゼラブル』で共演したことが縁となり、10歳年下の俳優、今拓哉さんと出会う。
2001年から今さんと同居を始めた。2008年に、初めて自身のコンサートに子供たちを誘ったところ見に来たため、客席の2人を見て「夢はかなうものだ」と幸せを感じつつ歌ったという。
2009年、今さんと7年間の事実婚期間を経て、再婚。岩崎さんが50歳、今さんが40歳という節目の年を迎え「社会的にけじめをつける」として婚姻届を提出した。2013年頃からは、子供たちが成人して一人暮らしを始めたことで自由に会えるようになり、再婚した岩崎さんと今さんの新居にも頻繁に訪れるようになったという。
AERA によれば、岩崎さんと今さんは、「レ・ミゼラブル」の舞台公演中の3年間はプライベートなことを話す仲ではなかった。
しかし、岩崎さんが「レ・ミゼラブル」を離れてから、芝居を見にいったら席が隣だったり、二人それぞれの公演宿泊先が同じホテルだったりの偶然が重なり、二人で会うようになった。岩崎さんから「よかったら一緒に住まない?」と聞き、今さんが「え? いいんですか。わかりました」と応じた。
岩崎さんは「結婚しても生活は何も変わりませんが、精神的に本当に元気になって、人としてまともになりました」と話す。
上戸 彩(うえと あや)
既婚(EXILEのHIROさんと)。1985年生。日本の女優。
HIROさんの知人が上戸さんの在籍していたグループZ-1のダンス指導を担当していたことをきっかけに知り合い、長年友人関係にあった。
2年の交際期間を経て、2012年、自身の27歳の誕生日に結婚。女児と男児を出産。
内田 有紀(うちだ ゆき)
離婚(元夫は吉岡秀隆(よしおかひでたか)さん)。1975年生。女優。
吉岡さんとは2002年に放送されたテレビドラマ『北の国から 2002遺言』で共演し、同年に結婚。
2005年に離婚後、テレビドラマ『ビッグウイング』で共演した柏原崇(かしわばら たかし)さんとの交際が報じられている。
柏原さんは2006年に、女優の畑野ひろ子さんと離婚している。畑野さんはプロサッカー選手の鈴木啓太(すずきけいた)さんと再婚。
現在、柏原さんは俳優業を引退し内田さんのマネージャーに転身した。
大島 美幸(おおしま みゆき)
既婚(放送作家の鈴木おさむさんと)。1980年生。お笑いタレント森三中。
小中学校時代は過激ないじめに遭っており、全裸でプールで泳がされる、全裸で土に埋められるなど壮絶なものだった。意を決していじめっ子に自分をいじめる理由を聞いたところ、「お前が泣くとおもしろいから」と返される。それを機に「私が泣くとおもしろい→私が笑わせている」と心の持ち様が変わり、いじめを受け入れたという。その後、当時のいじめっ子から吉本総合芸能学院を紹介され、芸人を目指した。
夫の鈴木おさむさんとは交際無しで結婚。
飲み会で酔っていたせいもあってか、鈴木さんが初対面の大島さんに向かって「結婚しよう」と言い、大島さんも「いいっすよ」と芸人のノリで返していた。
しかし、会うたびに鈴木さんから「結婚しよう」と言われ続け、当時鈴木さんには恋人がいたことから(その後に別れている)、大島さんは精神的に参ってしまい、見かねた相方の村上知子さんが鈴木さんに電話で注意したほどである。
ザテレビジョンによれば、大島さんが「知らない人と結婚したくない」と母親に相談。すると、「あんたみたいなブス、もらってくれるだけありがたい」と背中を押された。結婚後3カ月ほどは、大島さんは寝る時になると2人の新居から自分のマンションに帰ったという。
大島さんは外食した後の帰り道で腹痛を起こし、鈴木さんの前で大便をしたことがある。その時鈴木さんは、他人に見つからないようにそばにあった新聞紙で隠してくれた。これが鈴木さんに心を開く一因となる。
黒の勝負下着を着用して鈴木さんの前に出たところ、長州力と言われた。2015年に第1子男児を出産。
小倉 優子(おぐら ゆうこ)
二度の離婚(ヘアメークアーティストで美容師の菊池勲さんと、一般男性)。1983年生。タレント。
2011年に美容師の菊池勲さんと結婚。
写真は、2人のツーショット写真を手に持って結婚会見を行っているところ。
その後、男の子2人を出産。
しかし、不倫騒動を起こした夫と2017年に離婚。
不倫相手は、小倉さんと同じ所属事務所の後輩タレント、馬越幸子(うまこし さちこ)さん。馬越さんはそれにより、所属事務所から契約解除されている。
小倉さんは2018年、半年間の交際を経て一般男性と結婚し、第三子となる男の子を出産。4年後、二度目の離婚をしている。
越智 志帆(おち しほ)
既婚(2018年にフジファブリックの金澤ダイスケさんと)。1984年生。Superfly(スーパーフライ)のボーカル。一子の母。
乙葉(おとは)
既婚(お笑いタレント藤井隆さんと)。1981年生。タレント。二人の間には女児がいる。
乙葉さんの実父が病床に伏せった際、乙葉さんを藤井さんが励まして支えたのが交際のきっかけという。
また、ドラマの収録中に、スタッフのミスで乙葉さんの頭に照明器具が直撃。しかし、乙葉さんはニコニコと笑顔で「大丈夫ですよ」とむしろミスしたスタッフに気を使い、収録に参加する様子を見て藤井さんが惚れたとのこと。2005年に結婚。
2015年、「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」を夫婦で受賞。
写真は左から藤井隆さん・乙葉さん・高見恭子さん・馳浩さん。
か行
加賀 まりこ(かが まりこ)
未婚。1943年生。女優。
高校生の時に路上でスカウトされ、フジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』でデビュー。以来、奔放な言動でマスコミを賑わせ、「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」などと呼ばれる。
20歳の時、人生をリセットする目的でスケジュールをキャンセルして、単身パリに渡る。それまでに稼いだ金で豪遊のかたわら、イヴ・サン=ローラン、フランソワーズ・サガンらと交友する。
半年が経ち、金が底をつき帰国を考えていた矢先に、国際電話で演出家・浅利慶太さんから舞台出演の打診をされ帰国。
1965年に出演した映画『美しさと哀しみと』の作品中のレズビアン「坂見けい子」を加賀さんが演じることになり、川端康成さん(1899年生)は原作者として加賀さんと初対面した。
川端さんは加賀さんを気に入り、撮影所や劇場に見学にきたり、ともに朝食を摂る仲であった。加賀さんは川端さんについて「いいダチ」と述懐している。
石坂浩二さんとは1966年に舞台で共演したことを機に交際が始まり、一時は同棲にまで至るも、お互いの仕事が忙しくなり関係は自然消滅した。
なお、後に石坂さんと結婚する浅丘ルリ子さんを石坂さんに紹介したのは加賀さんである。
1972年、加賀さんは未婚のまま女児(父親は非公表)を妊娠、シングルマザーとしての育児を決意するも、出産7時間後に乳児は死亡した(死因は非公表)。
2017年にドラマ『良かれと思って!』に出演した際、6歳下のTBS社員のドラマ演出家と事実婚している。加賀さんは「60歳の時から(事実婚している)。向こうが振り向いてくれた。5年越し、55歳の時から(アプローチしていた)」と自分から男性に働きかけたことを明かした。
柏原 芳恵(かしわばら よしえ)
未婚。1965年生。歌手。
ポストセブンによれば、1986年、かねてから柏原さんの大ファンを公言されていた浩宮さま(令和の天皇陛下)がリサイタルを訪れ、バラを柏原さんに手渡された。この出来事は、翌日の一般紙とスポーツ紙の一面を埋めたという。
一方、柏原さんは、誰とも結婚には至らなかった。
1990年、柏原さんはVシネマの撮影で出かけた香港で、アクション監督兼俳優として活躍していたKさんと恋に落ちるが、Kさんは22才年上で、すでに妻と子供がいた。香港の芸能誌が関係を報じ、不倫が妻にバレると、Kさんは妻を捨てて柏原さんを追い、日本に来た。二人は東京で同棲を開始。
Kさんと妻の離婚協議は進まなかった。柏原さんとKさんは正式に結婚できず、事実婚状態である。2015年に70才を超えたKさんは白血病を患い、東京で柏原さんと自宅療養をしている。
河合 奈保子(かわい なおこ)
既婚(1996年にヘアメイクアップアーティスト金原 宜保(かねはら たかやす)さんと)。1963年生。元アイドル歌手。
第一子出産を契機に、芸能活動を完全停止。夫との間に2児がいる。現在はオーストラリア在住。
神田 沙也加(かんだ さやか)
離婚(村田充(むらたみつ)さんと)。1977年生-2021年没。女優。
神田さんと村田さんの出会いは2016年の舞台『ダンガンロンパ THE STAGE〜希望の学園と絶望の高校生〜』の共演。
2019年に円満離婚。離婚後に同居している期間もあったという。
2021年に神田さんが自殺とみられる急逝をした際には、神田さんが飼っていた愛犬を引き取る意向を示し、翌年、愛犬の世話をしていることをインスタグラムで明かしている。
菅野 美穂(かんの みほ)
既婚(堺雅人(さかいまさと)さんと)1977年生。女優、タレント。
1995年にNHK連続テレビ小説『走らんか!』の準主役、1996年にドラマ『イグアナの娘』で主人公を演じるなど、人気女優として知名度が上がっていた中、1997年、20歳の誕生日にヘアヌード写真集『NUDITY』を発売した。
映画『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』の共演をきっかけに交際していた俳優の堺雅人さんと2013年に結婚。第1子男児、その後女児も出産。
岸本 加世子(きしもと かよこ)
未婚。1960年生。女優。
西城秀樹(さいじょうひでき・2018年没)さんの大ファンで、高校1年在学時の1976年、横浜ドリームランドで行われた西城さんのコンサートを見に行った。
西城さんが失神する演技が、周囲の観客の振り回すポンポンなどでが見えないことに怒って「見えねえよ!」などと叫んだところ、偶然近くに居た西城さんのマネージャーの目に留まり、自宅へ何度も熱心に通われて芸映に加入したという。1977年、テレビ番組『ムー』でデビューし、当初はアイドル女優としてテレビドラマや映画、歌手活動など広い分野で活動した。
1980年代以降、富士フイルムでの樹木希林さんとの掛け合い漫才のコマーシャルに出演し、岸本さんが発した「それなりに写ります」は流行語になった。
お客さん「お見合い写真なものですから、特に美しく」
店員さん 「フジカラープリントでしたら美しい人はより美しく、そうでない方は」
お客さん 「そうでない場合は?」
店員さん 「それなりに写ります」
お客さん 「それなりに・・・ですか、それなりに」
吉瀬 美智子(きちせ みちこ)
離婚(一般男性と)。1975年生。女優、ファッションモデル。
モデルから女優への転身を支えた10歳年上の実業家の一般男性と、出会いから5年の歳月を経て2010年に結婚。女児2人を出産した。2021年に離婚を発表。
黒沢 かずこ(くろさわ かずこ)
未婚。1978年生。お笑いトリオ・森三中。
森三中では唯一の独身。元俳優の成宮寛貴さんのファンで、テレビ番組「VivaVivaV6」で成宮さんからドルチェ&ガッバーナの下着をプレゼントされ、「もう死んでもいい!」と感激した。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ)
独身(未婚)。1933年生。タレント、司会者。
「外国人男性との交際」として、40年近くにわたって遠距離恋愛をしていた外国人の恋人がいた。お互い多忙なため、1年に1、2度しか会うことができず、男性の死去により交際が終了した。
zakzak by フジテレビでは、(81歳だが)「結婚を諦めたわけではない」との発言が書かれている。
研 ナオコ(けん なおこ)
離婚か死別・既婚(再婚は元俳優の野口典夫さんと)。1953年生。歌手。
ストーカー被害に遭っていたが、その相手を自宅に招き入れ、最終的に自身のマネージャーに採用した逸話がある。
1987年に野口さんと再婚後、一男一女を出産。
小池 栄子(こいけ えいこ)
既婚(元プロレスラーの坂田亘(さかたわたる)さん)。1980年生。女優。
oriconによれば、小池さんがリング上の坂田さんを見て一目ぼれ。
知人にセッティングしてもらい、高級焼肉店で食事。3・4杯強いお酒を飲んで『好きなんです』と告白。連絡先を聞いて1ヶ月間、毎日電話でアタックしたという。坂田さんとは5年に渡る交際の末、2007年に結婚。
小泉 今日子(こいずみ きょうこ)
離婚(永瀬正敏さんと)。1966年生。女優。
元夫の永瀬さんとの結婚について、映画.comによれば、女性誌「anan」の対談で知り合い、意気投合。挙式・披露宴を行わず、結婚を記念して開催した写真展では入浴中の半裸写真を隠すことなく一般公開した。「ジミ婚」の走りとして若い女性から圧倒的な支持を得た。
2004年に離婚後、映画「毎日かあさん」で夫婦役を演じた。永瀬さんは現在も独身と思われる。
2018年、小泉さんと豊原功補さんの交際公表が話題に。
スポニチによれば、既婚で妻子がいる豊原さんとは、かつてから不倫と報じられていた、「恋愛関係」と認め、異例の“不倫交際宣言”と書かれている。豊原さんは2020年に離婚した。
倖田 來未(こうだ くみ)
既婚(BACK-ONのボーカルを務めるKENJI03 (ケンジスリー) さんと)。1982年生。歌手。
スポニチによれば、KENJI03さんとの馴れ初めについて、妹(タレント・misono)さんの曲をKENJI03さんが書いていて、「めっちゃいい曲やったんで、この人に曲を書いてもらいたいと思って。曲を一緒に作っているうちに」と説明。倖田さん自身から告白したことを明かした。交際を実らせて、2011年に結婚、男児を出産。
プライベートの倖田さんの様子について、KENJI03さんは「一言で言うとジャイアン。常に自分のペースに持っていく勢いと、周りを巻き込む感じがジャイアン。もちろん良い意味で…」とのこと。
小林 麻耶(こばやし まや)
離婚・既婚(整体師の國光吟(くにみつあきら)さんと離婚し、同じく國光さんと再婚)。1979年生。アナウンサー。
TBSアナウンサー時代は常に「結婚したい女子アナランキング」で上位にランクインしていたが、39歳まで独身であった。バラエティー番組などで「早く結婚したい」という旨の発言をすることも多かった。
2018年に4歳年下の國光さんと結婚。2021年に離婚するが、同居は続け、翌年2022年に再婚。
日刊スポーツに、小林さんは「父とは縁を切り、母は市川海老蔵洗脳にかかっているので駆け落ちすることにしました…交際0日婚、姪甥と会うために離婚、駆け落ち再婚 あきらくんのブログを読むと結婚式が楽しみ 皆様にもぜひお祝いしてもらえたら嬉しいです」と書かれている。市川海老蔵さんの亡き妻、小林麻央さんの姉。
さ行
坂口 良子(さかぐち りょうこ)
離婚・再婚(離婚は不動産会社社長の田山恒彦さんと。再婚はプロゴルファーの尾崎健夫(おざき たてお)さんと)。1955年生- 2013年没。女優。
1986年に田山さんと結婚し、1男1女をもうけたが1994年に離婚。田山さんの借金40億円を背負うが、10年で完済した。
知人の紹介でプロゴルファーの尾崎さんと知り合い、長年の事実婚の後、2012年に入籍した。その翌年に坂口さんは病死となった。
亡くなった時、「池中玄太80キロ」の恋人役で共演した西田敏行さんは、「玄太を愛したアッコをあんなにステキに演じてくれてありがとうございました」とコメントを発表した。
前夫との娘、坂口杏里(さかぐちあんり)さんは坂口さんの生前にタレントデビューし、母子でバラエティー番組に共演したこともあるという。
杏里さんは坂口さんの死から数年後、タレント事務所を自主的に退所。そして、キャバクラ店のホステスとして働きながらアダルトビデオの女優や雑誌のヌードモデルとしてメディア出演を続けたり、デリヘルで働いたりしている。
2017年には、知人のホスト男性から現金3万円を脅しとろうとしたとして恐喝未遂容疑で逮捕された。2022年、バー経営者(元女性)と結婚したことを発表したが、Instagramで離婚が成立したことを発表、しかし、夫側は離婚は成立していないと主張した。
柴咲 コウ(しばさき こう)
独身(未婚)。1981年生。日本の女優、歌手、実業家。
白石美帆(しらいしみほ)
既婚(夫は元V6で俳優の長野博さん)。1978年生。タレント、女優。
スポニチによれば、2014年春頃、長野さんが司会を務めるNHKBSプレミアム「晴れ、ときどきファーム!」に白石さんがゲスト出演したことから意気投合した。
2人とも料理好きであることから、「いい肉の日」の2016年11月29日に都内の区役所に婚姻届を提出した。
鈴木 亜美(すずき あみ)
既婚(一般男性と)。1982年生。歌手。
7歳年下の会社員と2016年に結婚、男の子二人を出産。
シンガポール旅行をしていた際にバーでナンパされたことがきっかけで、交際に発展し、結婚に至った。相手は芸能界に興味はなく、鈴木さんの存在を知らなかったという。
鈴木 京香(すずき きょうか)
独身(未婚)。1968年生。女優。
瀬戸 朝香(せと あさか)
既婚(V6の井ノ原快彦(いのはらよしひこ)さんと)。1976年生。女優。
スポニチによれば2007年の結婚式では瀬戸さんは新郎へのプレゼントに、2人の絆(きずな)や未来について自ら作詞した歌を披露。
時折、音程を外しながらも一生懸命歌う姿に、新郎が大泣きする場面も。
井ノ原さんからはお返しに手作りのリングが贈られたという。
た行
高岡 早紀(たかおか さき)
離婚(保阪尚希(ほさかなおき)さんと)。1972年生。女優。
1994年、映画 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に出演し、ヌードを披露。同作品では日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞などを受賞する。
翌年には、篠山紀信さん撮影のヘアヌード写真集 『one, two, three』を出版。映画、写真集と相次いでヌードを公開した。
子供の頃から「母と同じ23歳で結婚したい」との思いがあり、1996年に俳優の保阪さんと結婚。男の子2人を出産。
その後、自身がギターリストの布袋寅泰(ほてい ともやす)さんと不倫関係になり、2004年に離婚(息子2人の親権は保阪さんが得た)。
なお、布袋さんは歌手の今井美樹さんと既婚。
その後、高岡さんは6歳上の青年実業家と交際を始め、2010年に女児を出産しているが、再婚はしていない。また、高岡さんは子供を3人とも自宅で出産している。
2014年頃からのパートナーは、外食産業ダイヤモンドダイニング社長の松村厚久さん。NEWSポストセブンによれば、松村さんは2010年頃から、体が硬直して歩けなくなったり、手足が震えるなどの症状が出る難病・若年性パーキンソン病を患っていることが明かされている。
2021年、初めてのエッセイ集「魔性ですか? 」を発売した。
高島 彩(たかしま あや)
既婚(歌手の北川悠仁(きたがわ ゆうじん)さんと)。1979年生。元フジテレビアナウンサー。
オリコン調査「好きな女性アナウンサーランキング」で1位5連覇を達成したため、2008年に殿堂入りを果たしている。“アヤパン”の愛称。
2005年より交際していたゆずの北川悠仁さんと2011年に結婚。披露宴には芸能関係者や歌手など約500人が出席した。
二女がいる。2014年に出版した「彩日記-Birth-」で、死産を経験していたことを告白。結婚から半年後、妊娠4カ月目に入り、染色体異常により子宮内胎児死亡。またその後も、化学的流産も経験していたという。
姑は宗教法人「かむながらのみち」教主の北川慈敬さん。
滝川 クリステル(たきがわ クリステル)
既婚( 政治家の小泉進次郎さんと)。1977年生。 フリーアナウンサー。
デイリーによれば、衆議院議員の小泉さんと結婚することと、妊娠していることを発表し、首相官邸で安倍晋三首相(当時)と菅義偉官房長官(当時)に結婚を報告した後、報道陣の取材に応じたという。2019年結婚。
遠野 なぎこ(とおの なぎこ)
離婚。1979年生。女優。旧芸名は遠野 凪子。
子役として幼い頃からこの仕事を続けている。
1999年、NHK朝の連続テレビ小説『すずらん』でヒロイン・常盤萌を演じる。
幼少期から親による虐待の被害を受けており、言われるがまま子役を続けた。幼い時に親から「吐いたら太らないから吐け」などと言われ、今も摂食障害に苦しむ。
3度の結婚を経験したが、1度目の結婚生活は72日間、2度目の結婚生活は55日間、2023年2月22日、3度目の結婚をしたが、2週間後に離婚した。
著書に、「一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ」(2013年)、「摂食障害。食べて、吐いて、死にたくて。」(2014年)がある。
友近(ともちか)
未婚。1973年生。お笑いタレント。
14歳で「全国ジュニア歌謡選抜」全国大会で渡辺美里の「Long Night」を歌い準優勝。大学在学中より愛媛のテレビ局レポーターのアルバイトをする。多くのレギュラー番組やCMを抱える「愛媛のスター」となるが、自分がやりたいこととのズレを感じ、26歳で吉本総合芸能学院に入る。
2007年、かねてから噂のあった3歳年上のなだぎ武(たけし)さんと2人で「ディラン&キャサリン」(『ビバリーヒルズ高校白書』のパロディ)として活動。2010年に破局を発表。
マイナビニュースによれば、二人は6年間交際していた。海外ドラマ『新ビバリーヒルズ青春白書』の試写会で友近さんは「この人(なだぎ)は自分のことばかり考えているのよ」と攻めるも、「”円満破局”という言葉を作りたい」と円満さを強調。報道陣の前で、目に涙を浮かべる場面もあったという。
なだぎさんは2017年の主演ミュージカル『ソーォス!』の共演を機に知り合った14歳年下の舞台女優の渡邊安理さんと結婚。子供ができた。
な行
永作 博美(ながさく ひろみ)
既婚(2009年に映像作家の内藤まろさんと)。1970年生。女優、タレント。
39歳のときに第一子となる男児、2013年には41歳で第二子となる女児を出産。
長澤 まさみ(ながさわ まさみ)
独身(未婚)。1987年生。女優。
中森 明菜(なかもり あきな)
独身(未婚)。1965年生。日本の歌手、女優。
1989年、当時交際をしていた近藤真彦さんが住むマンションで命を絶とうとしたが助かり、芸能活動を約1年間休止している。
西田 ひかる(にしだ ひかる)
既婚(一般男性と)。1972年生。タレント。
神奈川県に誕生するが、電機メーカーに勤める父親の転勤に伴い、生後10ヶ月から13歳までアメリカ・ロサンゼルスで育っている。
歌手デビューした1988年から結婚する前の2001年まで、毎年大勢の芸能人などを招いた盛大なバースデーパーティが開催されていた。誕生日が8月16日であることから、一部マスメディアでは「夏の風物詩」と評され、ワイドショーなどで話題とされていたという。
かねてより噂があった3歳年上の貿易会社副社長の男性と2002年に結婚し、男の子を二人出産している。
は行
浜口 京子(はまぐち きょうこ)
独身(未婚)。1978年生。女子レスリング選手。
日刊スポーツによれば、2023年の抱負のひとつに結婚を挙げ「自分の殻を破る。いつも自信のないネガティブな自分がいるので、今年はのびのびと生きていきたい」と語った。
原 日出子(はら ひでこ)
離婚・死別(最初の夫は高校時代の同級生で一般人、1987年に離婚。1994年に渡辺裕之さんと再婚するが、渡辺さんは2022年死去)。1959年生。女優。
日刊スポーツによれば、渡辺さんとは90年にドラマ共演をきっかけに知り合い、お互いの趣味である音楽を通して意気投合。渡辺さんは交際3週間目にして早くも「熱愛宣言」をしたほどだった。
2022年、渡辺さんが自宅内で死亡していたところを家族によって発見された。66歳没。死因は縊死(いし=くびをくくって死ぬこと)だったと明らかになり、自殺とみられている。
広末 涼子(ひろすえ りょうこ)
離婚・既婚(元夫はモデルの岡沢高宏さん。2010年にキャンドルアーティストのCANDLE JUNEさんと再婚)。1980年生。女優。
2003年に、モデルの岡沢さんとの結婚を発表。
翌年、第1子の男児(長男)を出産。
結婚5年で離婚。
離婚から2年後、6歳年上のCANDLE JUNEさんと再婚。広末さんのお子さんの姓を変えないために、広末姓を名乗っている。
日刊現代によれば、キャンドルさんがユーチューブで広末さんとの収入格差についても「稼ぐことより(東日本大震災の被災地の支援になる)“活動、活動”ってしてたんで。それでも家族がちゃんと今あるってのは、本当、彼女の(おかげ)。ベタ褒めですけど」と語っている。
広末さんは自身のエッセーで「エプロンを着けた男の人も素敵」と書いている。
深田 恭子(ふかだ きょうこ)
独身(未婚)。1982年生。女優。
深津 絵里(ふかつ えり)
独身(未婚)。1973年生。女優。
藤山 直美(ふじやま なおみ)
未婚。1958年生。女優。
実父は喜劇俳優で活躍した藤山寛美(ふじやま かんび)。直美さんは藤山家三女として生まれる
(上2人の姉は母親の連れ子で、直美さんと四女・五女は寛美と母の間の子)。
父の借金の都合で、母の故郷に引越す。5人姉妹の中で唯一父と同じ道を歩み、以後舞台を中心に活躍する。
1964年、父が主役を務めた、NHKのテレビ番組『お好み新喜劇・初代桂春団治』でデビュー。
1992年、NHK朝の連続テレビ小説『おんなは度胸』の名脇役ぶりで全国区になり、2006年のNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』では、主役を演じた。
2017年、乳がんを患い、上演予定だった舞台を降板しているが、その後仕事に復帰している。
藤原 紀香(ふじわら のりか)
離婚・既婚(元夫のお笑いタレントの陣内智則さんと離婚。再婚は歌舞伎俳優の片岡愛之助(六代目)さんと)。1971年生。タレント。
最初の陣内智則さんとの結婚式の模様は日本テレビ系にて特番「完全独占中継!おめでとう!藤原紀香・陣内智則 愛と爆笑と涙の結婚披露宴」として放送された。2009年に離婚。
再婚は2016年で片岡愛之助(六代目)さんと。
再婚時、藤原さん本人は披露宴をしないと決めていたが、片岡さんが「それは違う」「自身が選んだ人を歌舞伎界に『よろしくお願いします』という披露目なので、『しなければいけない』」と藤原さんを諭したという。
結局、一度目と同じく徳光和夫さんの司会による披露宴が行われた。
片岡さんは、2011年、女性週刊誌『女性セブン』で片岡さんと元ホステスとの間に小学校5年生の男児(当時)の隠し子がいると報じられた。愛之助さんは会見を開き同誌の記事について「おおむね事実でございます」と認め、養育費など生活の援助は続けているが認知していないことを明かした。
別居している子どもについて今後認知するかどうかについては、「子どもがもう少し大きくなってから本人の意見を聞きたい」とした。
本田 美奈子.(ほんだ みなこ)
未婚。1967年生 – 2005年没。歌手。
姓名判断により名前の後に「.」をつけ改名したのは2004年からである。
高校2年生の1984年に長崎歌謡祭に出場し、グランプリを受賞。レコードデビューのきっかけとなった。
1985年に「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビュー。その後、4枚目のシングル「Temptation(誘惑)」や1986年に「1986年のマリリン」がヒット。
へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出であった。
1990年、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。
生涯子供を持つことはなかったが、とても子供好きであったことが知られている。『ミス・サイゴン』の楽屋では子役で出演する子供たちを我が子のように可愛がった。
風邪に似た症状や微熱が続き、2005年に急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院。極めてまれな予後不良の白血病であったという。容態が急変し、同年、家族に看取られながら息を引き取った。38歳没。
同時期に白血病と診断され入院したお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(なかしま ただゆき)さん・1971年生とは互いに文通で励まし合っていた。
中島さんも本田さんの急逝から約1年後に亡くなった。
ま行
松田 聖子(まつだ せいこ)
離婚(神田正輝さんと。2000年に一般男性と)。1962年生。歌手。
高校2年で『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に出場。両親には内緒で応募していたため、当日は「大好きな歌手に会いに行く」と嘘をつき母親に会場まで車で送ってもらった。母親は聖子さんと別れて買い物に行くが、買い物を終えて会場に入ってみると我が子がステージ上で歌っていて驚いたという。優勝して全国大会への切符をつかんだが、父親の反対と学校規則で退学になるといわれ、全国大会は辞退。
一方、出場者のデモテープを聞いたCBSソニー担当者が歌声に衝撃を受け、「この子は絶対に売れる」と確信して熱心にスカウトし、デビューにつながった。
たぐいまれな声質と「ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿で人気を獲得し、「聖子ちゃんカット」と呼ばれるヘアスタイルを模倣した若い女性たちが街中に溢れかえった。
私生活では、デビュー前から憧れの存在であり数年にわたる交際の末に結婚間近とまで言われていた郷ひろみさんと1985年に破局。聖子さん単独の記者会見で「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と泣きながら語り、話題となった。
その会見からわずか数日後の2月には、映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演していた神田正輝さんが聖子さんとの交際を認めた。1985年に結婚。当時、既に人気俳優だった神田さんとトップアイドルだった聖子さんの華やかな結婚は、「世紀の結婚」をもじった「聖輝の結婚」と呼ばれた。
式の2日後、『夜のヒットスタジオ』で司会の芳村真理さんが、出演者の郷ひろみさんに「聖子ちゃん、きれいだったわよ」と言うと、郷さんが「そう…よかった」とだけ応じる場面があったという。
翌1986年に長女・沙也加さんを出産するなど、話題は尽きなかった。母となり大きな転換期を経た後も変わらずアイドル歌手としてヒットを続けたため、「ママドル」という呼称も生まれた。
1997年神田正輝と離婚。翌年に、6歳年下の歯科医師と2度目の結婚をするが、2000年に離婚。
2021年、一人娘の沙也加さんが札幌市内のホテルの高層階から転落して死去。自殺とみられている。聖子さんは当日、自身のディナーショーを行なっていたが、事務所の計らいにより、公演後に状況を知ることになったという。札幌市内の斎場に赴き、一連の式の後に元夫の神田さんと並んで短い会見を行った。
松本 明子(まつもと あきこ)
既婚(俳優の本宮泰風(もとみややすかぜ)さんと)。1966年生。バラエティアイドル。
アイドル歌手でデビューした当初は売れなかった。
1986年、「読売巨人軍の原辰徳選手(当時)が“松本明子”と結婚」と報じられた。この女性は同姓同名の別人だったが、松本さんは地元の友人や親戚から「よくやった」「でかした」などとお祝いの電話をもらい、その都度別人と説明した。
6歳年下の俳優・本宮泰風さんと1998年に結婚し、第一子となる長男を出産。
本宮さんとの出会いは、本宮さんの兄の原田龍二(はらだ りゅうじ)さんが、松本さんとドラマで共演した際、撮影現場に弟の本宮さんを連れてきたことから。
その日の撮影終わりに3人でお茶をすると原田さんはすぐに帰ったが、話の流れで本宮さんに「ウチに来る?」と誘った。これにより松本さんと本宮さんでお互いの家に訪れると、親たちから「2人が結婚前の挨拶に来た」と勘違いされた。この結果、本人たちもお互い異性として意識するようになり、短期間で結婚が決まった。
事務所の1年後輩の中山秀征さんと仲が良い。
中山さんがナベプロ入寮時に最初に出会った所属タレントが、風呂上がりで全裸で出てきた松本さんだった。中山さんとはすぐに馬が合った。時には諸事情により寮の女風呂が使えず、彼と一緒に男風呂の湯船に浸かったこともあるという。
松雪 泰子(まつゆき やすこ)
離婚(ギタリストGAKU(門脇学)さんと)。1972年生。女優。
wikipediaによれば、高校在学中に雑誌『MEN’S NON-NO』のオーディションに応募し、「第1回メンズノンノ・ガールフレンド」に選出された。
1993年、主演ドラマ『白鳥麗子でございます!』の強烈なキャラクターがハマリ役となり、以後女優としての地位を確立。
1998年、音楽バンド「ザ・スリル」のギタリストGAKU(門脇学)さんと結婚。
2001年に長男を出産。「仕事が忙しくすれ違いが多い」ことを理由に2004年に離婚。
元美容師で俳優の高村晃平さんと、歌手のYUNAH(ゆうな)さんの2人は弟。
南野 陽子(みなみの ようこ)
既婚(一般男性と)。1967年生。女優。
1985年のドラマ『スケバン刑事II』で主人公の2代目・麻宮サキ役を演じ、一躍トップアイドルの座を獲得。写真は向かって左から、おニャン子クラブのメンバー吉沢秋絵さん、南野陽子さん、相楽ハル子さん。
歌手としても「はいからさんが通る」「吐息でネット。」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」などヒット曲を連発。2007年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーとなった。
2011年のスポニチによれば、43歳になってから、4歳年下のIT系の会社社長と結婚。会見では、「やっぱり私は“スケ晩婚”なんだと思いました」と、スケバン刑事にちなんだダジャレで喜びを表現した。
子供については「是が非でも欲しいという年齢でもないので、自然に任せたい」と話した(その後、出産の様子はない)。
結婚10年後の2021年の日刊現代などに、南野さんの夫の度重なる金銭トラブルが報じられている。
宮崎 あおい(みやざき あおい)
離婚・既婚(元夫は元俳優の高岡蒼佑(たかおか そうすけ)さんで2011年に離婚。岡田准一さんと再婚)。1985年生。女優。
最初の結婚は、知人の紹介で知り合い10代の頃から7年間交際していた俳優の高岡さんで、電撃結婚だった。
高岡さんは映画『バトル・ロワイアル』や『パッチギ!』に出演していた。俳優を引退し、現在は再婚して二児の父親である。
宮崎さんは、V6メンバーで俳優の岡田さんと、映画『陰日向に咲く』、『天地明察』の共演を経て友人関係にあり、2017年に再婚した。二人の間に男児が生まれている。
宮沢りえ(みやざわりえ)
離婚・既婚(一般人男性と離婚。再婚は2018年で、夫は元V6のメンバーで俳優の森田剛(もりた ごう)さん)。1973年生。女優、ファッションモデル。
1991年、宮沢さんは18歳で人気絶頂時のオールヌード写真集『Santa Fe』(篠山紀信撮影)を発売。150万部以上のベストセラーとなる。
1992年、元大相撲力士の貴乃花光司(たかのはなこうじ)さんと婚約。しかし、発表から2か月で解消している。
2009年に宮沢さんが妊娠6か月であることを発表し、後日、相手は40代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった。結婚し長女を出産。結婚から3年後の2016年に離婚している。
スポニチによれば、森田さんとは、2016年の舞台共演をきっかけに交際。交際約1年半でゴールインとなった。森田さんが改姓し宮澤姓となっている。
村上 知子(むらかみ ともこ)
既婚(一般男性と)。1980年生。お笑いトリオ森三中のメンバー。
2008年、2歳年上の一般人男性と結婚した事を発表。出会いから3日後に交際を始め、1週間後にプロポーズされ、3週間後に結婚したという。
ラジオ番組の中で、松本人志さんは(その男は)カネ目当てかDVじゃないか?とネガティブな憶測を立てたが、結婚前に森三中の大島美幸さんと鈴木おさむさんが男性に会っており、非常に優しくおっとりし、アパレル関係の会社員でオシャレだったという。2014年に女児を出産。
や行
山崎 静代(やまさき しずよ)
既婚(佐藤達(さとう とおる)さんと)。1979年生。お笑いタレントの南海キャンディーズ。
愛称は「しずちゃん」。日本人女性の平均と比較すると背が高く、骨太のがっちりした体格で182cm/79kg。
俳優の佐藤達さんと2022年に結婚した。佐藤さんの身長は178cm。
吉永 小百合(よしなが さゆり)
既婚(共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎さん)。1945年生。女優。
1973年、28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎さんと電撃結婚した。
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